第12話

 学校の授業が終わり、僕は道路を歩いて自宅に向かっていた。

 暇だからアジトに行ってもいいんだけど、もうちょっと休んでおきたい気持ちの方が強い。

 そう思っていると、足下を歩く動物の存在に気づく。

 ……茶色い猫だ。何故か僕の足下でグルグル回ってる。何してるの、これ? 歩きにくいんだけど。

 すると、猫は鳴き声を上げながら途中の交差点を右に曲がる。

 やっとどこかに行った。さっさと家に帰ろう。

 自宅はまっすぐ進んだところにあるので、右に曲がった猫を無視して直進する。

 すると、また同じ猫が僕の前に現れる。僕は猫に構うことなく進もうとするが、猫が邪魔をしてくる。

 この猫、何がしたいの? 前に進めないんだけど。

 少しして、猫がこちらを見ながら別の道を進む。

 ……付いてこいってこと?

 大人しく猫の後を追っていく。すると、ある公園にたどり着く。

 その公園のベンチには一人の女性が座っていた。


「お、陽也じゃん。二日ぶり」

「……そうだね。二日ぶりだ」


 赤髪の女性、凜だ。にやりと笑っており、口元から見えるギザ歯が印象的だ。

 猫はそのままベンチにジャンプし、凜の膝の上で丸まる。

 凜は猫を手で撫でながら言う。


「今日は学校帰りか?」

「うん。凜もそうなの?」

「見ての通りだ」


 そう言う凜は学校の制服を着ていた。

 僕の学校ではないな。どこかで見たことがある。どの学校だっけ……。


「……もしかして、凜って女子校?」

「ああ、そうだよ。陽也はすぐ近くの高校だろ?」

「そうだね」

「ほら、隣に座ったらどうだ?」

「じゃあそうする」


 そう言ってベンチに腰掛ける。

 前に凜と会ってからたった二日しか経っていない。しかし、何だか久しぶりに感じる。


「学校、楽しいか?」

「いや、別に。普通かな」

「そっか。陽也、友達とかいなさそうだしな」


 あ、僕ってそんな印象なんだ。まあ大体合ってるんだけど。


「私さ、友達はそれなりにいるけど勉強が全然出来ないんだよな。授業もクソつまんなくて、いつも寝ちまう」

「そうなんだ。僕とは正反対だね」

「……え? それってつまり、陽也は勉強が出来るってことか?」

「まあ、それなりに出来るけど」

「なんか以外。平均ぐらいの学力って見た目してるのに。テストの順位とかどのくらいなの?」


 順位か。あまり気にしたことなかったな。


「前回のテストは学年一位だった気がする」

「え、それマジで言ってる?」

「嘘ではないと思うけど」

「めっちゃ凄いじゃん、それ」


 驚いた顔で凜が言った。

 確かに、学年一位ってよく考えたら凄いかも。


「陽也って今何年?」

「学年のこと? 二年生だけど」

「私の一個上じゃん。私は一年」

「年下だったんだ」


 すると凜は何かを思いついたかのように「あ、」と言って続ける。


「今日って暇だったりするか?」

「え? まあ、暇ではあるね」

「じゃあさ、私に勉強を教えてよ」

「いいよ、別に」

「よっしゃ! じゃあ陽也の家でやろうぜ」

「……ん? 僕の家?」

 

 目が点になる僕を見て凜が言う。


「外で勉強すると思ったのか?」

「いや、そういうわけじゃないけど……」

「なんか不服そうだな。じゃあじゃんけんで決めようぜ。私が勝ったら陽也の家、陽也が勝ったら私の家な」

「う、うん」


 僕と凜はじゃんけんをする。

 僕はパーを出して、凜はチョキ。僕の負けだ。


「よっしゃ! じゃあ陽也の家に行こうぜ」


 ニヤニヤしながら凜が言った。


「はあ、じゃあ行こうか」

「おうっ!」


 猫を家に連れて行くわけにも行かないのでそっとベンチに寝かせ、僕は凜を連れて自宅へ向かった。

 




 家の前にたどり着き、僕は凜に声をかける。


「母親と妹がいると思う」

「へえ、陽也って妹がいたんだ」

「まあね、最近は全然話してないけど」

「ふ~ん」


 僕はそのまま玄関の扉を開ける。


「ただいま」


 母親が出迎えてくれる。


「おかえり~って、え? 陽也……彼女さん?」


 何でそういう勘違いをするんだ。凜の前でそんなことを言わないで欲しい。


「違うよ。ただの友達。家に上げてもいい?」

「嘘……い、いいけど。女の子には優しくするのよ?」

「……何言ってるの?」


 そう言って僕が玄関を上がると、凜は母親にぺこりとお辞儀する。


「初めまして。陽也の友達の東凜です」

「あら……陽也の母です。よろしくお願いします」


 凜の敬語、初めて聞いたかも。

 

「凜、こっちね」

「ああ」


 僕は凜を自分の部屋に案内する。

 部屋に入ると、凜は部屋を見回して言う。


「何か、思ったより質素だな」

「まあ、あまり趣味もないからね」

「へえ~。そうなのか」

「勉強するんでしょ? 僕の勉強机でいい?」

「ローテーブルとかないのか? そっちの方が一緒に勉強できるだろ?」

「別に普段人なんて呼ばないし、そんなのないよ」


 すると凜は「え~」と肩を落とす。


「ぼくの勉強机でいい?」

「……まあいいけど」


 そう言うと凜は勉強机に歩いて行き、椅子に座る。


「ほう、これが普段天才様が勉強している机か。なんかいいな」

「普通の椅子と机だけどね。ほら、テキストとか出して」

「いきなり勉強を始めるのか? もっと話とかしようぜ」

「いや、勉強するために来たんじゃないの?」


 すると凜は人差し指を横に振って舌打ちを二回ほどならす。


「勉強会ってのは勉強するだけじゃない。友達と会話とかゲームとかを楽しむもんだ」

「それじゃ勉強出来なくない?」

「はあ、これだからぼっちは……」


 凜が呆れた目でこちらを見る。


「えっと、勉強を教えるつもりだったんだけど……しないの?」


 僕がそう言うと凜は諦めたかのように言う。


「あーもう、分かった、やるよ。その代わり、三十分経ったら休憩な」

「早くない? せめて一時間にしよ」

「お前、私を殺す気か? ……四十五分。これ以上は無理」


 微妙な時間だ。まあでも、学校の授業時間くらいか。


「う~ん、分かった。それでいいよ」

「よっしゃ」


 凜はバッグに手を入れてテキストを机の上に広げる。


「さあ、教えてくれ!」

「数学だね、じゃあやろうか」


 凜がペンを持って問題をじっと見る。

 ここの範囲は比較的簡単な問題が多い。凜自身で解ける問題も多いだろう。

 そう思っていた。しかし、僕の想定は裏切られることになる。

 問題を眺めていた凜はペンを動かすことなく、こちらに視線を送る。


「何も分かんねえ。教えてくれ」

「え? まだ一問目だよ?」

「分かんないもんはしょうがないだろ。天才様の解説を頼む」


 これが分からないんだ……大変になりそうだな。

 僕は左手でペンを持ち、問題を指しながら説明をする。


「ここはね、分配法則を使えば解けるよ」

「ぶんぱい……ほうそく……?」


 凜が首を傾げる。


「えっとね、ここにある数字を括弧の中にある全ての数字にかけて……」


 淡々と説明を続ける。

 凜はふむふむと首を縦に振ったり、首を傾げたりと、様々な反応をする。

 リアクションが大きい分、説明はやりやすかった。

 適度な解説を加えつつ、凜に問題を解かせていく。

 数問解いて、凜が口を開く。


「何だか、家庭教師みたいだな」

「そう?」


 まあ確かに、家庭教師に教わる雰囲気は似ているのかも知れない。知らないけど。


「なあ、ここ分かんねえ」

「ああ、ここはね、こうして……」


 説明を聞いている凜は頭を悩ませる。


「難しいってこれ。陽也が解いてよ」

「う~ん、それは厳しいかも」

「え~、自分の問題は自分で解けって?」

「そこまでは言わないけど。僕ね、利き腕に怪我をしててね。まだ痛みであまり使えないんだ」

「怪我か……確かに右腕を使ってないな……ほら、見せてみろ。治してやるから」


 そう言って凜がペンを置いてこちらに向き直る。


「治してもらっていいの?」

「当たり前だ。友達だろ?」

「そっか……そうだね」


 友達っていいな。なんていうか、普段感じないような気持ちになる。

 僕は自分のベッドに座り、体がなるべく痛まないように上半身の服を脱いで包帯を外す。


「……その上半身の包帯は何だ? 」

「あ、言ってなかったっけ。僕、肋骨にヒビが入っててさ。出来るならそっちも治して欲しいなって」

「何があったんだよ……まあいい。先に右腕からな」


 そう言って凜が僕の側まで寄り、そっと僕の右腕を手に取る。その瞬間、尖ったような痛みが走る。


「あっ、すまん!!」

「大丈夫だよ」


 凜は傷を見て眉を顰める。


「これって……陽也、どこでこの傷を負った?」

「ああ、これは……」


 言おうとして僕は口を閉ざす。

 ここで言うべきだろうか。確か、まだ凜には僕が超異人ということも、黒の棺ブラック・カスケットのメンバーであることも言っていない。

 何となく、本当の事を言ったら今の関係が変わる気がする。今日学校でさくらさんと会ったとき、彼女は僕を敵視していた。凜も同じ反応をするのでは?

 ……いや、やっぱり話そう。

 そう思ったときだった。


「あまり言いたくないことなら言わなくていいぜ」

「いや、友達に隠し事はしたくない」

「アホか。友達に全てをさらけ出す人はいねえよ。誰でも秘密の一つや二つあるもんだ。それが普通だ」


 普通、か。僕にはあまり分からないけど、それが常識なのだろう。

 凜が手をかざすと、右腕の周囲を薄い光が包み、傷が次第に小さくなっていき、やがて塞がる。

 現実離れした光景に僕は思わず「凄……」と呟く。


「次は肋骨な」


 そう言って凜は右腕の時と同様に傷を治す。


「よし、これで大丈夫。体を動かしてみ?」


 言われたとおり、腕や肩を回したり、体をひねったりしてみる。


「全然痛くない。ありがとう、凜」

「どういたしまして」


 ふと凜は壁に掛けられている時計に視線を送る。


「あ、もう四十五分経ってんじゃん。休憩!」


 そう言って飛び込むように凜は僕のベッドに横になる。

 途中から勉強してなかったけど……まあいいか。


「は~疲れた。このベッド……ふかふかだあ」

「まあ、安くはないからね」

「これで毎日寝られるなんて、うらやましい」

「そう?」


 チラリと凜を見る。

 うつ伏せになり、枕に顔をうずめている。

 ……凜が僕のベッドで寝ている。制服姿で短めのスカートをはいており、膝や太ももが露わになっている。

 その光景に僕は悶々とする。

 あまり良くないことを考えてしまいそうだ。


「凜はさ、男友達っているの?」

「そりゃあいねえよ。女子校だし、バイト先はパートの人ばかりだから」


 そうか、いないのか。だから平然と僕のベッドで寝ているのかも知れない。

 女性と二人で、しかもその女性が僕のベッドで寝ていると思うと、駄目な方向に意識が行ってしまいそうな気がしてくる。

 色々気をつけなければ。


「あ、陽也。今から君に問題を出してやろう」

「問題? 凜の方から出すの?」

「おい、それ遠回しに私を馬鹿だと言ってないか? まあ関係ないから別にいいけどよ」


 そう言って凜は仰向けになり、人差し指を立てる。


「第一問! 目の前を歩いている見知らぬ男性が財布を落としました。あなたならどうしますか?」

「勉強と関係ない気が……」

「いいからいいから、答えてみ?」

「う~ん、僕なら何もしないかな?」


 すると凜が頬を膨らませて「ぶぶー」と効果音のように言う。


「不正解。正解は財布を拾って男性に渡してあげる、です」

「正解とかある問題なの? それ」

「もちろん。陽也はまず相手を思いやるということをしないとな。言ったろ? 優しさとかを教えてやるって」


 最初に凜と会った時に言ってたな。ちゃんと覚えている。

 そのための問題だったんだ。


「じゃあ続きね。何で財布を返してあげるのが正解なんでしょうか?」

「何で? ……お金がもったいないとか?」

「全然違うわ。正解は、財布がないとその男性が困っちゃうからです。陽也も財布をなくしたら困るっしょ?」


 僕は思案する。

 僕が財布を落としたら何も買えなくなりそうだ。銀行のキャッシュカードも財布の中だしな。


「うん、確かに困るかも」

「そういうこと。そうやって相手の気持ちを考えるのが重要なんだよ」

「面白いね。じゃあ次の問題は?」


 僕がそう言うと、凜は布団の中に潜り込んだ。


「終わりにするぞ。なんか私、疲れたわ

「え?」

「眠くなってきたから寝る。いい感じの時間に起こしてくれ」


 ええ。凜も随分と自由な人だなあ。

 少しして、ベッドから凜の寝息が聞こえてくる。

 ……一応勉強会だし、凜が寝ている間に僕も勉強しようかな。

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