安心の作り方

すやすや太郎

本編

 空港という場所はやたらと広い。往来の激しい時でもそう思うのだから、人が少なくなればそれがより目立つ。年末の深夜ということもあってか、世界が終わったのかと思うほど寂しく感じる。たまに人がいたと思えば、椅子にもたれかかって寝ており、静けさに僕の足音だけが響く。搭乗までまだ二時間近くもある。


 僕はこの時間が嫌いでたまらない。


 待つのが苦手だとか、そういうのではない。


 飛行機に乗るのが怖くてたまらないんだ。


 だが仕事の都合上、出張が決まれば乗らざるを得ない。恐怖と向き合うための対処法はいくつもあるし実践してきたが、効果があった試しはない。『飛行機恐怖症の集い』なるものにも行ったことがある。決して悪いものではなかったが、根本の解決には至らなかった。


 それに自身のそれを飛行機恐怖症と言ってしまうのは少し違和感がある。なぜなら決して耐えられないこともないからだ。なんだかんだ言って、二桁回数ほどの渡航を僕は経験している。もしかしたら少しは慣れてきたのかもしれないと思うときもある。ただ間違えなく身体は震えているし、手からは汗が噴き出す。これはもう反射のようなものだ。諦めて向き合うしかない。


 とは言ってもトランジットは苦痛だ。恐怖を乗り越えた直後、またそれと向き合うことになる。しかもそれには制限時間が設けられている。時限爆弾のタイマーを一秒一秒、眼前で確かめているかのような気分だ。直行便だと高くつくため、経費を抑えるのが我が社の方針だ。まあ大抵そんなものだろう。


 『経費を抑える』というキーワードが脳内に引っかかる。最近見た映画だ。劇中の格安航空会社は燃料費を削減するために、パイロットの意見を無視して天候の悪いルートを通るように指示する。


 そして飛行機は墜落するのだ。


 あぁ、不安でたまらない。それが現実に忠実な物語なのかはどうでも良い。だがそういった事故が起こる可能性はゼロではないはずだ。


 まずい。不安が脳内を埋め尽くす前に、何かで気を紛らわせるしかない。搭乗前の待ち時間を潰す手段はいくつかある。メールの返事をしたりラジオを聴いたり本を読んだり、だがそのどれも集中できない。どうしても二時間後のことを考えてしまう。


 そうだ。こういう時には喫煙所に向かうに限る。国によっては搭乗ゲート前に無かったりもするが、ここには前も来ていたので存在を知っていた。


 フロアの隅にある喫煙所は、こぢんまりとしていて人は少なかった。


 椅子に一人の男が腰掛けている。特に何をするでもなくタバコを咥えてぼうっとしている。あまりどこの国出身かもわからないような見た目で、年齢は四十ぐらいであろうか。うってつけではないか。僕は彼の隣に向かう。


 喫煙所ですべき喫煙以外のこと。最高の時間潰しの手段。それは会話だ。


 会話は脳のリソースを良い具合に割き、今後の不安を考えなくても済む。もしうまく会話が弾まなくても、喫煙所を出ていけば良いだけなので気が楽だ。ただ相手が異性だったり、少し危険な雰囲気をしていた場合は、問題を産まないために話しかけないのが定石だ。


 そんな都合の良い話し相手などいるのかと思うだろうが、大抵の場合はいる。これまでも見知らぬ人々との対話によって恐怖を紛らわし、トランジットを乗り越えてきた。


 今回は空港内が閑散としていたため、誰もいないかもしれないと冷や汗をかいたが、運が良かった。


 「となり良いですか?」


 僕はとりあえず母国の言葉で話しかけた。これはあくまで勘だったが、この男には通じるような気がしていたのだ。それに通じなくても英語ぐらいなら少しは喋ることができる。問題ない。


 男はこちらを見て「良いですよ」と落ち着いた声で返した。


 こちらの予想通り、言葉は通じた。僕は男を眺めて気づいたことがある。


 この男の姿勢には見覚えがあるのだ。膝に置いた右手は汗ばんでいて、ジーンズに染みができている。一見落ち着いているようだが、目の奥には暗い闇が垣間見える。


 そう、この男はきっと僕と同じだ。


 いきなり核心をつくのもなんなので無難なところから会話を始める。


 「あなたも僕と同じ国出身なんでしょうか、すごい偶然です。この国へはお仕事ですか?」


 「ええ、どうやら同じ国出身のようですね。この国へはトランジットで寄りました。そして今から仕事を終え帰るんです。祖国にね。あなたはお仕事ですか?」


 男はまるで自分は落ち着いているのだと装っているかのようにゆっくりと答えた。僕にはそれがよくわかる。


 「帰るんですね、それはお疲れ様です。私もトランジットでこの国に寄りました。仕事の出張で遠くに行きます。帰るのは年を越してからになりそうです」


 「それはそれは……大変ですね。これも良い機会です。少し私の話に付き合っていただけないでしょうか?」


 願ってもない申し出だった。まさか向こうから対話を申し出てくるとは。そして僕の疑念はほとんど確信に変わった。


 間違いなくこの男は僕と同じだ。


 飛行機が怖いんだ。


 「良いですよ。まだ時間もありますしね。ところで失礼ですが、あなたはもしかして……」


 「飛行機が怖い、ですか?」


 「そうです! その通り。飛行機が怖いんじゃないかと思ってたんですよ」


 「ええ、怖いですよ。とてもね。耐えられるものじゃない。あなたもそうなんですよね?」


 男はじっとこちらを見て答えた。その目の奥に秘めた薄暗い闇に、僕は少しぞっとした。何もかも見抜かれているようだ。そして少し恥ずかしくなった。


 「よく分かりましたね……僕も飛行機が怖くてたまらない。でも仕事なので仕方ありません」


 「私も同じですよ。何百回と乗っても慣れるものではない」


 なんとこの男は凄まじい上級者ではないか。何百回も恐怖を乗り越えているとは。


 「そうだ! 対処法などありますか?」


 「ええ、ありますよ」


 男は意味ありげに笑みを浮かべた。どうやら何か特別な対処法でもあるのだろうか。僕はとても気になった。


 「僕はいろいろと試したんですが結局ダメでして……何か特別な対処法でもあるんでしょうか?」


 「私もいろいろ試しましたよ。それはもうたくさんね。そしてある結論に辿り着いた」


 「ほお、その結論とは?」


 「完璧な対処法など、無いのです」


 僕はなんだと肩を落とした。よくよく考えてみれば、この男がまだ恐怖を感じていることは間違いない。それこそ、ぱっと見で僕が見破れるほどに。だからこそ完璧な対処法など期待するべきではなかった。


 だがまあ良い。別にここで問題を解決したいというわけではない。これはただの暇潰しに過ぎないのだから。


 「ただ、完璧に近い対処法はあります」


 なんだよそれは! じゃあもう完璧な対処法がありますで良いじゃ無いか。なんだよ勿体ぶって。


 「……あるんですね! なら教えていただけないでしょうか?」


 男は短くなったタバコを灰皿に押し付けて、もう一本を咥えた。そしてライターを探すそぶりをした。僕はすぐさまポケットのライターを差し出した。男は少し笑い「失礼」と言って火をつけた。そして煙を吐き出してから、話し始めた。


 「まず本題に入る前に、私がこうなったきっかけから話さなければなりません。全ての恐怖には原因があるのです。いわゆるトラウマというやつですな。


 それは今から何十年も前になります。私は小学生でした。毎年冬が来るのを楽しみに待っていた。両親がスキーを愛好していましてね。冬には家族旅行で北の方に行くのが習慣になっていました。移動手段はもちろん飛行機。私は慣れていた。飛行機に対して恐怖を抱くということは一切無かったんです。もちろん機体がひどく揺れたりすると驚いたり、少しの恐怖心を抱くことはありました。しかしそれでも乗るのが怖くてたまらない、なんてことはなかった」


 早く本題に入って欲しいと思っていたが、そうは言えない。まあ時間にも余裕があるしこの男の長話に付き合うのも悪くは無い。暇を潰せるのならば……


 そう。男が言っていたように恐怖には原因がある。それは僕も知っている。突き詰めれば全ての恐怖は『死』そのものであることは間違い無いが、それを抱くにあたって具体的なトラウマがあることがおおよそだ。


 そしてそれを見つけ出す。何度も心の中で再現して、それは怖く無いものだと思い込んで克服する。それはトラウマ療法として有名だ。もし完璧に近い対処法の答えがそれならつまらないなと、僕は思った。


 「しかしある日のニュースが私の人生を変えてしまったのです。昔のことですが、あなたも知っているんじゃないんでしょうか?」


 「もしかして、あの事故ですか?」


 「そうです。世界中に飛行機嫌いを産み出したであろう、あの凄惨な事件です。燃え盛る機体、散らばるスーツケース、乗員乗客全員死亡の文字。毎日のようにそれはテレビで放映されました。私はとにかくショックでした。今まで自分が信じていたものに裏切られたと思いました。


 そしてそれを初めて見た日の夜から、私はとある悪夢に悩まされるようになりました。乗っていた飛行機が揺れ始めて、やがて爆発音と共に機体が大きく傾き始める。混乱する乗客。頼りになるはずの両親すら動揺を隠せないでいる。鳴り響く警告アナウンス。そして酸素マスクが一斉に落ちてくる。


 私はパニックになって何もできない。そして何も考えることができないまま、ただただ恐怖に支配される。そして全てが光に包まれる。


 その夢を見るようになって以来、私は飛行機に乗ることが苦手になりました」


 嫌な気分だ。そんな話を飛行機に乗る前にしないでくれよ。気がつけば僕の掌には、うっすらと汗が滲んでいた。


 「翌年の家族旅行は私にとって死刑宣告と同じでした。その日が近づくにつれて恐怖が足音を立ててやってくる。搭乗した後に起こることを考えると動悸が止まらない。


 しかし誰にも相談はできない。しても馬鹿にされるだけでした。『飛行機事故に遭う確率なんか宝くじに当たるようなものだ。自動車事故の方がよっぽど怖い。事故が起こるかもしれないとバスに乗れないやつがいるか?』などと言われたら返す言葉がありませんでした。確かに私自身、電車やバスを平然と移動手段として使っていました。それに恐怖することはない。でも飛行機だけは違うんだと言っても誰も理解してくれませんでした」


 「それには本当に同感できます。同じようなことを僕も言われてきました」


 僕は心から同情した。特に数十年も昔ならば飛行機恐怖症に対する世間の理解は今より低かっただろう。


 「そう言っていただけると助かります。やはり同志ですな……家族もまた同様の反応でした。そんなこと気にするなよと言ってね。しかし奇跡が起こりました。旅行の前日、私は高熱を出したんです」


 「まあそれは……不幸中の幸いというか」


 「ええ、私はいるかもわからない神に感謝しました。そしてさらに追い打ちをかけるように、私が飛行機に乗らなくても済む出来事が起こります」


 「なんですか……?」


 「両親の離婚です。もちろん悲しかったですよ。でもね少し、少しばかり私は安堵の気持ちがあることに気づきました。それはもう飛行機に乗らなくても良いという安心感でした。


 私は苦しみました。両親の離婚という悲劇を、少しでも喜んでいるかもしれない自分にね。


 でもそれからの人生はとにかく楽しかった。もう恐怖に追い回される必要もない。悪夢も見なくなりました。でも結局その恐怖は私の中に残ったままだったのです。決して問題は解決などはしていなかった。


 中学校に進学し、それと向かい合う時は来ます。学生にとっての一大行事です」


 「もしかして修学旅行?」


 「その通り。修学旅行です。クラスメートは皆その日を楽しみにしていました。私も心の奥底にある恐怖を誤魔化しつつ、友人には『飛行機苦手なんだよ』と笑っていました。あれから時間も経ったし、なんとなく乗り越えられそうな気がしていたのです。


 しかし当日、離陸のアナウンスを聞いた瞬間。


 私の心の奥に詰め込まれた不安の箱が解き放たれたのです。いつもの夢が眼前に見えました。数秒の間にそれを体験したと言っても良いでしょう。


 私は本気で死にたくないと思いました。そして叫び出したのです。心からの叫びが外に出てしまった。『死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない』と大声で叫んでいました。周りは全く見えていませんでしたが、全員私を冷たい目で見ていたそうです。私はなんとか無理を言って、その飛行機から降りました。そしてその日以来、クラスメートの誰とも喋ることはなくなりました」


 「それは相当ですね……たしかに修学旅行は関門でした。でも誰かといたから、友達といたから僕は乗り越えられたんですよ」


 僕は思い出した。修学旅行の日、友達は僕の恐怖に向き合ってくれた。それに数人が僕の怖がる様子を見て笑っていたりした。それがかえって助けになった。僕の恐怖など、ちっぽけなものだと思えたのだ。


 だからその時は乗り越えられることができた。でも彼の場合はそうはならなかった。飛行機が苦手と言っても度合いは全く違う。


 「それは良かった……あなたは周りの人にに恵まれていたんですね。


 私の青春は灰色になりました。中学を卒業しても高校がある。そして高校にも修学旅行はある。もうずっとその恐怖に怯えていました。そして耐え切れなくなった私は仮病を使ってなんとか修学旅行を欠席したのです。のちにクラスメートの楽しそうな記念写真を見た時、とても恥ずかしい気分になりました。彼らにとって飛行機はなんてことのないただの移動手段に過ぎない。私はなぜこんなにも恐怖に慄いているのだろうかと。たまらなく恥ずかしくて悔しくなった。


 しかし、もうこれが最後だとも思っていました。やがて私は大学に進学します。


 大学に修学旅行はありませんからね。そこで転機が訪れます。彼女ができたのです。恥ずかしながら人生で初めてでしてね。それは幸せな瞬間でした。一年経つまではね。


 彼女は記念に旅行に行きたいと言い出したのです。私は飛行機恐怖症であることを隠していました。それは私にとって恥ずべきことだったからです。結局、旅行先は海外になりました」


 「それで?」


 「その時は違いました。今までは逃げていただけだった。そこで初めて恐怖に向き合うことにしたのです。いろいろ試しました。飛行機についてのデータを調べたり、心療内科に行ってトラウマ療法を受けました。怪しげな互助会に行ったりもしました。そう、宗教を信仰しようと思ったこともあります。しかし元々信心深くもありませんでしたし、神は助けてくれませんでした。


 その日が近づくにつれて、私の心は冷たく暗い闇の底に沈んでいくような気分になりました。


 ひたすらに死にたくなかった。だから私はまたしても風邪をひいたことにしました。


 私は逃げたのです。もはや何もかもどうでも良かった。ただ恐怖から逃れれば何でもね。しかしその時、私が得たのは安堵感ではなく、これまでにないほどの恥辱でした。とにかく逃げ出したことが許せなかった。全てが無茶苦茶になった私は彼女とも別れ、大学も辞めました」


 僕は言葉が出なかった。この人は飛行機に人生を縛られている。そして逃げることすらできないのだと。


 「ほとんどの人がこんな思いをせずに乗っている。彼らと同じになれば克服できるに違いない。しかしそうもうまくいかない。私は彼らと同じではないのだから。そこで私は本格的に仕組みを理解することにしました。飛行機がどうやって動いているのかというね。それが今の仕事になったわけです」


 「え……? と言うと整備士とかパイロットになったということですか?」


 「ええ、まぁそんなところです」


 「それはそれは……というとあなたの克服方法は、飛行機に関する職に就くいうことでしょうか?」


 「いいえ、違います」


 「え?」


 僕はなぜかその場から動けなかった。僕の中に恐怖心が芽生えている。飛行機とは別の、この男に対しての恐怖だ。


 「どれほど知識を得ても、自らが仕組みを作る側になったとしても、恐怖はまだ心の隅に付き纏っています。いつそいつが吹き出るかはわからない。かつての修学旅行の時のように」


 「ではどうやって?」


 まずい尋ねてしまった。このままこの男の話を聞いてはいけない。本能にも近い何かが僕に警告している。でも好奇心がそれを邪魔した。


 「飛行機事故の確率について、我々のような者は考えますよね?」


 「ええ、たしかかなり少なかったはずです」


 「0.0009%ですよ。そして航空事故は日々減っていく。なぜなら事故が起こるたびに航空会社や整備士、パイロットはより多くの知識を得て改善していくからです」


 「はい。でも」


 「そう、0にはならない」


 だめだ。このままじゃ。逃げなければ……

 

 「私はそれを0に近づけるように活動しているんですよ」


 「それって……」


 「何か悪い想像でもしましたか?」


 「まさかそんな……あなたは……」


 声が詰まって出てこない。頭に浮かんだ質問をしてはいけないと解っているのに。でも、知りたい。答えを知りたくてたまらない。


 「単刀直入に言います。あなたは飛行機事故を自ら起こすことで、安心を作っているのではないですか……?」


 「はははははは!」


 男は声をあげて笑っている。僕はひたすらに後悔していた。もう手遅れだ。


 「いやだなぁ! 考えすぎですよ!」


 「え?」


 「そんな悪人面に見えますか……? そもそもそんな大それたこと、私のようなちっぽけな男一人にできるはずがない」


 言葉を返すことができない僕を、男はじっと見つめて続ける。


 「しいて言うならこれが恐怖の対処法です。より大きな恐怖で飲み込むこと。もし今のあなたが私に対して恐怖を感じたののならば、それはもう飛行機に対しての恐怖ではないのです。だからもう大丈夫」


 そんなバカなことがあるか。この男の言っていることは無茶苦茶だ。


 「悪い冗談はやめてください……」


 僕はもうぐったりしていた。


 「そろそろ時間ですね。もうあなたは大丈夫ですよ。大丈夫、我々は一人ではないのだから」


 男が僕の肩をぽんと叩いて喫煙所から出た。


 僕は放心してしばらく椅子から立ち上がれなかった。ふと時計を見ると搭乗時間が近くなっていることに気付く。もはや何かを心配する余裕など無く、そのまま流れるように飛行機に乗った。


 不思議と恐怖を感じることはなかった。




 目的地に着いたら、タクシーに乗ってホテルへ向かう。ベッドに寝そべると、何か夢の中にいるような気持ちになってきた。


 あの男との会話は何だったんだろう。幸か不幸か飛行機には何も考えず、恐れずに乗ることができたが、何か違和感がある。


 何かが引っ掛かっている。


 「あ……」


 彼は立ち去る時に『そろそろ時間ですね』と言っていなかっただろうか?


 あれは彼自身の予定のことだと思っていた。しかしそうでないとしたら……?


 もしかして僕の搭乗時間を知っていた……?


 しかしどうやって?


 何時のどの飛行機に乗るかなんて、僕は会話の中で言っていないはずだ。


 そう、会話の中では。


 二年前、僕はとに参加した。そしてその時に知り合って、仲良くなった友人がいる。もう直に会うことは少なくなったが、それこそ飛行機に乗る前はメールで励ましあったりしている。


 僕は急いでメールのログを確認した。


 日時はあの喫煙所に行く前、友人宛のメールには『あと二時間で搭乗する』とはっきり書いてあった。


 しかし解せない。友人があの男に僕の搭乗時間をわざわざ教えたりする意味は……?


 質の悪い冗談で和ますため? あり得ない。


 そうだ、もう一つある。


 僕が意を決して放った質問に、あの男は否定していない。


 『そもそもそんな大それたこと、私のようなちっぽけな男一人にできるはずがない』


 そう。はっきり言っている。一人ではできるはずがないと。


 そして最後にはこうも言っていた。


 『我々は一人ではないのだから』


 足元から崩れ落ちるような感覚。


 もしかして僕は取り返しのつかないことを聞いてしまったのではないだろうか。




 僕は出張中、ずっと上の空だった。仕事にも手がつかず、たくさんミスをした。


 でももうどうでもよかった。


 毎日のようにニュースを見た。飛行機に関する事故や事件は起こっていない様だった。


 年が明けて帰りの便に乗った時は、とてもじゃないけど正気ではいられなかった。でもこれが最後だと思うと、なんとか耐えることができた。


 僕は今、母国にいる。もう出張に行くぐらいならと仕事を辞めた。


 でもずっと考えているうちに、何かわかった気がした。


 だからあのニュースを見たとき、とても安心したんだ。

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