断罪者の清き手

戦徒 常時

断罪者の清き手

 オデュッセウスは激怒した。


 ここはユートピア。理想郷と訳されがちだが、本当は「どこにもない場所」という意味だ。理想郷がそんなへんぴな場所に押し込められるなんて、浮世はいつも憂き世である。

 しかし、今日ばかりは異なる様相だ。広場に怒号がこだました。


「デモクリトスには失望した!!奴もしょせんうす汚い守銭奴に過ぎないのだ。」

 まあそうかっかするなよ。とクレメンスが諫めるも激昂は収まらぬようだ。


「そう落ち着いていられるか?奴はルカーの汚い金を調べて正義面をしていたくせに、自分も叩けばホコリが出る出る。不倫と搾取。農産物を安く買い叩いていたそうじゃないか。娘も土地も奪われたゲオルギオスがかわいそうだ。そうは思わんのか?」

「まあ政治には金がかかるんだろうし、商売だから仕入れを安くするのは営業努力の一環だよ。そりゃあ、ゲオルギオスもかわいそうだが、みんなお金がなければ生きていけないのさ。デモクリトス一人が悪いわけじゃないさ。」


「ああ?お前はいつもそうだクレメンス。君は醜聞が出回るたびに、そいつの肩を持つじゃないか?ええ?」

「肩を持つわけじゃないさ。みんな人間なんだ。欠点の一つや二つあって当然だ。なにより確たる証拠もないのに、悪しざまに言うのはユートピア市民として寛容さが欠如しているよ?」


 はー、と深いため息をつくオデュッセウス。

「まったくいつもそれだ。お前の怒りを鎮める魔法の呪文、それは「許してクレメンス」なんだ。それを言われたとたん、お前は腰抜けになっちまう。」

「オデュッセウス、さすがに今のは、ムッとしたよ。」

「分かった。悪かったよ。許してクレメンス。ただ、これは忠告だ。誰とも敵対しないことは美徳とは限らんぞ。お前が誰の味方をしないように、誰もお前の味方にならぬ。都合よく利用されるだけのお人よしにしかなれん。」


 オデュッセウスが落ち着いたちょうどそのとき、通りかかったのはニコラオスだった。

「おお、ちょうどいいところにニコラオス。」

「なんだ、オデュッセウス。それにクレメンスじゃないか。」

「お前ももう聞いたか、デモクリトスの裏の顔を。」


「ああ、そんなことか。俺はしばらく無視する。今はルカーの容疑を固めることを急がねばならん。最悪の場合、奴は国を敵に売りかねん。正直、デモクリトスの悪事などたかが知れている。そして、ここでデモクリトスが失脚すればだれがルカーの専横を止められるんだ。」

「ではお前もデモクリトスの非道を許すというのか?」

「おいおい、そこの腰抜けと一緒にするな。・・・ごめん、悪かった。許してクレメンス!」


「だめ。今日の分は今さっき使い切ったよ。オデュッセウスがね。」

「ずるいぞ、オデュッセウス。俺も彼の許しが欲しかったのに。」

「おい、脱線させるなよニコラオス。なぜデモクリトスを責めないのだ。」


「決まってるだろ。罪なき者だけが石を投げてたら、地上に楽園が出現するぞ。悪人が好き放題できる楽園がな。悪人同士で粗を探し合い、叩き合い、ホコリと膿を出してもらう方がいいだろう。そして双方が疲弊したところで俺が政権を頂こうというわけさ。・・・あ、お腹をくすぐるのは反則だって、許してクレメンス!」

「ニコラオス、きっとお前の方が理路整然としているんだろうな。でも、・・・お前が一番悪人に思えるのはなぜなんだ?」

 じゃれ合ってる二人を尻目に、オデュッセウスは呆れ、怒気は消え失せた。


 ああ、やっぱりユートピアは今日も平和だ。

 翌日、ニコラオスの水死体が発見されたのは、また別のお話なのだから。

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