第8話 交際は互いをよく知ってから始めるべきだと思うの
入浴後、いやシャワー後の自由時間。俺は共有ロビーの長椅子に腰かけ、自販機のココアを飲んでいた。甘いな。人生と違って。
男子と女子が交流できる唯一の場所なので、カップルらしき人々が多く集まっている。肩に手を回していたり、腕を組んでみたり、お揃いの指輪をつけている者まで……。なんで入学式から一週間で付き合ってるんだよ。お互いのこと何も知らないだろ。もっと誠実さを持ってだな……やめよう。交際経験0の人間の説教に価値はない。
「あら、奇遇ね。部屋から追い出されたの?」
ブラックな缶コーヒーを持った村雨が俺に声をかける。大浴場から出たばかりのため、髪をお団子にしてまとめているようだ。
「うるせ。風呂上がりにちょっと甘いものが飲みたくなったんだよ」
決して、他の男子とノリが合わないとか、そういうことは断じてない。
「あら、そうなの。それは失礼したわ」
絶対に失礼とは思っていない顔。
そしてなぜか、彼女は俺の隣に腰かけふーっと息を吐いた。あれ、いつもと匂いが違う。
「……暇なのか?」
「そうね」
「友だちは?」
「あなた、自分で聞いていて悲しくならない?」
「余計なお世話だ」
意地でも俺をボッチ扱いしたいらしい。俺は一人の時間も大切にしているだけで、別に誰もかまってくれないとかじゃないぞ。まじで。
「また満点だったんだな。テスト」
「一応ね」
村雨はコーヒーに口をつけ、再びふーっと息を吐いた。
「でも、あなたもそれなりによかったんでしょ」
「お前に負けてちゃ意味ねえよ」
「またそれか。たかだか数点の違いに何の意味があるんだか」
「……お前がそれを言うのかよ。俺の欲しいものをすべて持ったお前が」
そうだ。持たざる人間の苦しみが、こいつに理解できるはずがない。
「はあ。やっぱり何もわかっていないのね」
「なにがだよ」
「あなたの手放したものが、ずっと欲しかった人間もいるのよ……」
彼女はごくりと残りのコーヒーを飲みほし、自分の横に置いた。カンが空であることを示す、乾いた音が鳴る。
俺が手放したもの……愛北か? たしかに合格が叶わなかったものは大勢いるだろう。だが、それが何だというのか。誰の欲しいものであろうと、俺の手に余ったなら、それを保持する理由はない。
「……お前さ。俺が嫌いなんじゃなかったっけ?」
「ええ、嫌いよ。でも居心地は良いの」
こいつ……ドMなのか?
「は? どういう――」
「……あなたは私によく似ているから。私の嫌いな私に」
彼女の目は嫌悪を超え、強い憎しみを語っていた。少なくとも、すべてを手にした人間のそれには、とても見えなかった。
村雨との類似点。チクチクもザクザクもしていない俺には、それを理解することはできない。だが、垣間見えたその闇の深さに圧倒され、俺はその言葉の意味を、問い直すことはできなかった。
「ごめんなさい、忘れてちょうだい。要は、あなたの隣は気を遣わなくて楽なのよ」
「……そうかよ」
それは知っていた。明らかに気は遣われてないもの。ふん。あんまり油断してると、すぐにあなたの弱点見抜いちゃうんだからね。
「じゃあ私、そろそろ部屋に戻らないと。また、明日の遊園地でね」
「おう。おやすみ」
村雨は近くを歩いていた女子に話しかけると、そのままいなくなった。
明日はこいつとの遊園地か。やや気が重い。
そして彼女の憎しみの目。
そこには一体、何が映っていたのだろうか。
※※※
就寝時間となった。
男子はクラス十数人が一部屋に集められての雑魚寝である。
女子は何部屋かに別れているらしい。そう、予算がないのだ。私立なのに。
「電気消すぞー」
明かりが消えても、皆こそこそと話している。
だが、委員長という規律を守るべき存在として、みんなの見本として、俺はしっかりと寝なければならない。決して話す相手がいないわけではないのだ。
さて、この宿泊研修の中で、気がついたことが二つある。
一つは、村雨沙羅という女の、圧倒的な主人公属性である。
非現実的なまでに整った容姿、学力は言わずもがな、運動までできるということが今日発覚した。バスケの時なんて女子からもキャーキャー言われてたし。
それとモテる。入学してからこれまで、他クラスの男子が顔を赤らめて彼女に話しかけるのを少なくとも5回は見た。俺が確認できる範囲でそうなのだから、実際にはその10倍はいると思っていいだろう。
まさに、すべてを手にした主人公なのである。実に嘆かわしい。
そして、もう一つが――こちらの方が深刻であるとさえいえるかもしれない――俺がクラスでほのかに嫌われているかもしれないということである。
この宿泊研修で話したのは四人だけ。男に関しては田中だけである。その田中だって、俺をからかいたいだけで別に仲がいいわけではない。バスケではパスを貰えてないし、空き時間に話しかけられることもない。これって、主人公以前の問題なんじゃ……
「なあなあ。コイバナしようぜ」
「いや、女子かよ」
「いいじゃん。やろやろ」
布団から漏れる会話が耳に入ってくる。人に恋愛の話をして、何が楽しいんだよ。そういうのは心に留めておくのが美徳なんだ。ま、嫌われ者の俺には関係ないけどな。つーん。
「やっぱ、一番人気は村雨だよな」
「それはもう殿堂入りだろ。顔もいい頭もいい性格もいい。そのうえスポーツ万能。逆に何を持たないんだよ」
「まあ、たしかになあ。あそこまで完璧だと、逆に気が引けちまうよな」
何やら村雨の話題で盛り上がっているようだ。
いや、たしかに完璧なやつだが性格はよくないだろ。毒舌すごいし暴力も振るうぞ。おい、みんな目を覚ませ。
「でも俺、松江ちゃんもかわいいと思うんだよなあ」
「わかるかも。あざといけどかわいいから全部許せるんだよな」
「けど、こっちもハードル高そうじゃね。意外と男慣れしてそうだし」
松江のあざとさって普通にばれてたんだ。まあ、隠してもいないし当然か。
「そういえば、村雨とも松江とも仲のいい男。うちのクラスにいるよな」
「あれ、そうだっけ」
田中の声だ。嫌な予感がする。
と、思ったのもつかの間。俺の布団がめくられた。
「な? 委員長。起きてるだろ?」
「寝てる。ぐっすりと」
狸寝入りにより絡みの回避を試みる。都合のいい時だけおもちゃにすんな。あと、別に仲良くねえよ。
「さっきロビーで村雨と親密そうに話してたよな」
田中が耳元に囁いてくる。やめて、そういう趣味はないわ。ASMRはかわいい女の子の声がいいの!
「うるせ。寝るぞ」
「残念だなあ」
そう言うと布団を戻し、仲間たちに「委員長寝てたわ」などと話しながら、田中は自分の住処に帰っていった。
陽の者はこれだから嫌いだ。人のプライベートにずかずか入ってくんな。
好きな人。それは俺に縁のない話だ。
あの日の卒業式。俺はあいつを拒んだ。そこで全部、終わったんだ。
だけど、まどろむ意識の中。最後に浮かんだのは。
あの、プニキュラの髪飾りだった。
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