第5話 同じ言葉も話す人によって印象が変わる

 日曜日。宿泊研修の当日である。

 それにしても苦しい決断だった。まさか、プニキュラを観ることなく家を出る日が来るなんて……。第一クール終盤に差し掛かるこの時期は、喧嘩回を越え、互いに友情を深め合う大事なところなんだぞ。わかってるのか学校側! お前たちの罪は大きいからな。

 とはいえ、後ろを向いてばかりでは、それこそプニキュラに笑われてしまう。悔やんでも仕方がない。今は全力で宿研に集中しよう。

 そう意気込み、俺はバスに乗り込んだ。出発まで30分以上あるため、まだ誰も来ていない。一番乗りは気持ちいいぜ。委員長として点呼を任されている俺は、先頭の席に座った。では、いつも通り優雅に愛読書で時間を潰して――


「おはようございます。福地くん」


 風に揺られる草花を髣髴とさせる、透き通るような優しい声。その美しい響きに導かれて顔を上げると、そこには薄汚れた俺の心を浄化する、少女の純真な微笑みがあった。


「おはよう。海原さん」

「ふふふ。今日も読んでいるんだね、ニーチェ」


 かわいらしい笑い声に、身体中に幸せが満ち満ちていく。彼女の魔法だろうか。


「うん。まだ時間あるから」

「そっか。素敵な朝だね」


 はい。あなたとお話できたおかげで素敵な朝になりそうです。プニキュラの分も水に流してあげます。


「あ、そうだ。見て欲しいものがあるの」

「え、なに?」


 そう言ってかばんから取り出したのは、文庫サイズの本だった。彼女はそれを胸の前に収め、にこっと笑った。


「私もこの間買ったんだ、ニーチェ。……お揃い、だね」

「う、うん。そうだね」


 急激に体温が上昇する。バ、バスの中って熱こもりやすいもんね。


「……あとで感想共有できたら嬉しいな」


 恥ずかしそうな上目遣いと、ウルウルとした瞳がどうしようもないくらい尊くて、俺はそれを直視できなかった。


「……うん、ぜひ」


 声が上ずってしまった。めっちゃドキドキする。なんなの、このかわいい生き物。


「それじゃあ。宿泊研修楽しもうね」

「そうだね。楽しもう」


 そのまま、海原さんは慌てたように自分の座席に戻っていった。同時に、他の生徒がバスに乗り込んでくる。二人で話していたのは秘密ってこと……? 余韻がすごい。


 お揃い、か。


 俺の高校生活で、まさかこの言葉を聞くことがあるなんてな。

 それに最後の表情、めっちゃかわいかったな。えへへ。


「朝から気持ち悪い顔ね」

「げっ」


 通路を挟んで隣の席に、我が天敵、村雨沙羅が座っていた。


「あなた、いつも読んでるわね、ニーチェ」


 デジャブを感じる言葉。だが、俺に生じた気持ちは、先ほどとは正反対のものだ った。話す人が変わると印象ってこんなに変わるんだな。勉強になる。


「お前、なんでそこの席なんだよ」

「女子の点呼を取るのは私だもの。考えればわかるでしょ」

「……」


 せっかくいい朝を迎えられたのに。お得意の嫌味を聞かされたら台無しじゃないか。だが本研修の目的、『村雨沙羅の弱点発見プロジェクト』を考えれば、標的が近くにいるのは好都合である。大人しく情報収集に勤しもう。

 嫌味を言いたかっただけで雑談する気はない様子の村雨は、さっそくイヤホンを取り出した。よし、まずはここから聞き出そう。


「お前、いつも何聴いてるんだ?」


 村雨の手がピタリと止まった。ゆっくりと顔が上がる。


「……聴く?」


 それは、いつもの澄ました顔とは違う、溢れ出る感情を押さえつけるような表情。口角が上がるのを隠しきれていない。


「じゃあ聴こうかな」


 彼女の頬がさらに緩む。この女をここまで喜ばせるとは……一体どんな曲なんだ。


「はい」


 村雨がイヤホンを差し出す。俺は彼女の手に触れないよう、慎重にそれを受け取った。痴漢を疑われても困るからな。


「聴いていいか?」

「ええ、どうぞ」


 無事に許可を頂き、それを耳にはめると、流れてきたのはアイドルのような女の子たちの歌声だった。アニメっぽい雰囲気もある。なるほど、たしかにすごくいい曲だ。でも……正直クラシックとかオペラみたいなのを想像していたので、やや拍子抜けしてしまった。村雨さん、こういうの聴くんだ。


「これ誰の曲?」

「声優ユニットRainsよ。あるアニメのキャラクターが結成したアイドルグループで、声優さんも同じグループ名で活動しているのよ」

「ああ。聞いたことあるな。一時期はやっていたよな」


 ちょうど中学校入学したくらいの頃だったか。けっこう話題になっていた気がする。年末の歌番組に出てたし。


「アニメが本当に素晴らしくてね。自分には何もないと思っていた高校生の女の子が、仲間たちとアイドル活動をしていく中で、この瞬間の一つ一つが、かけがえのない時間だったことに気がつくのよ。ドームで九人が歌う最終回なんて、曲の素晴らしさも相まって涙なしには見られないわ……。彼女たちだけの煌めきが、そこには絶対にあったのよ」

「ほう」


 この人、プニキュラの話は興味なさそうに聞いてたけど、がっつりオタクじゃん。ちょっとだけ親近感がわいた。ほんのちょっとだけ。


「あなたも観た方がいいわ。本当の青春とは何か、しっかりと学ぶべきよ。その腐った性根も少しは直るんじゃないかしら」

「うるせ」


 とは言いつつも、実はかなり気になっている。だって、この女が夢中になるほどのアニメだぞ。どんだけ素晴らしい作品なんだよ。


「お前、アニメとか観るんだな」

「それなりにね。でもRainsは別格よ。去年行ったライブも、本当に素晴らしかったわ。アニメーションに合わせて、声優さんも踊るの。きらきらしてたな……」


 もはや乙女の顔だ。なんだよ、めっちゃ観たくなってきたじゃねえか。けど、近所のレンタルビデオ屋はこないだ閉店したし……。サブスク入ろうかな。


「おっはよ~。沙羅ちゃ~ん。学く~ん」


 出発の二分前に乗り込む、童顔ツインテールの松江萌菜。今日も元気いっぱいだ。


「おはよう。朝から元気だな」

「いつも元気なもなぴです!」


 い〇いい〇いばあのわんこかよ。ぐるぐるしてどっかーんするぞ。


「だってお泊りだも~ん。ウキウキだよ~。沙羅ちゃん、夜はコイバナだね!」


 そのまま村雨の腕に絡みつく。ふぬ。なかなかにいい画だ。


「コイ……それはなに?」

「え、知らないの⁉ コイバナって言うのはね――」

「よーし。それじゃ出発するぞー。福地、村雨、点呼を取ってくれ」


 そして、我らの点呼により、男子女子全員乗っていることが確認され、無事バスが出発した。

 いよいよ宿泊研修、及び『村雨沙羅の弱点発見プロジェクト』が開幕だ。


 とりあえず一つメモしておこう。村雨はコイバナを知らない、と。

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