第4話 趣味が同じ異性って気になっちゃうよね


 放課後。

 一日の授業を終え、生徒たちは体育館で汗を流したり、音楽室で楽器を奏でたり、美術室で芸術を極めたり、帰宅の速さを競ったりと、各々部活動に勤しみ、青春を謳歌している。

 そんな中、俺は全校協議会が行われる会議室を目指し、風を切って廊下を早歩きしていた。思いのほか掃除が長引いてしまったため、このままでは遅刻だ。副委員長の二人はとっくについているはずだし、俺だけ遅れるのはプライド的に非常にまずい。

 ギアを上げるため、俺は歩きながらかばんを背負い直す。そこで気がついた。


 あれ、かばんが軽い。荷物が入っていないぞ。


 さて困った。由々しき事態だ。会議が終わってから取りに戻るか? いや、さすがに筆記用具もないのは困る。あの二人に借りるのは……やだな。特に村雨に借りなんて絶対作りたくない。


「仕方がないか」


 俺は廊下を引き返した。さっき抜き去った生徒とすれ違うことに、若干の気まずさを感じる。「こいつ、廊下でシャトルラン、いやシャトルウォークしてら。ははっ滑稽だなあ」、とか思われてそう……

 そんな羞恥心を乗り越え、ようやく教室へと戻った。ふう、我ながらいい歩きだった。競歩の才能あるかもな。よし、さっさと荷物を回収しよう。

 俺は勢いよく教室の扉を開けた。ちょうど西日が差し込み視界が真っ白になる。

 そして視界に再び色が戻った時、浮かび上がってきた少女の姿に、俺は目を奪われてしまった。

 

 海原涼音うみはらすずねさん。


 本を読むその少女の、日の光に淡く彩られたオレンジ色の横顔が幻想的で、そこから目を離すことができなかった。


 ああ。これが一目惚れか。そう思った。


 もちろん、彼女とは同じクラスだし、顔を見るのは初めてではない。だけど、その時俺は彼女の姿に、たしかに一目で惚れたのだ。

 生まれてこの方、誰かの外見に惹かれたことなんて一度もなかった。好きになったことがないわけではない。好意を向けられたこともある。でも、それはいわば関係性によって生まれたもので、その対象が別の人間でもあり得たものだ。高校に入ってから、学年一の美人に罵倒されたり、童顔少女にあざとい顔を向けられてかわいいと感じたこともあったけど、特別な想いを抱くことなんて一度もなかった。


 でもきっと、こういう感覚なんだろうな。人に惚れるというのは。

 触れられなくても、見ているだけで胸がドキドキして、尊くて。頭の中が彼女でいっぱいになる。理屈で説明できない、運命的な感情。

 ゆっくりと流れる時間に、俺はただ身を任せていた。

 その少女を眺めている時間が、とても心地よかったから。


 彼女が五回ほどページをめくっただろうか。

 ようやく俺は我に返り、気がついた。

 そこ、俺の席だ。そして読んでいる本、俺の愛読書ニーチェだ。


「あ、あのー。海原さん?」


 少女がピクリと反応し、こちらを向く。


「あっ、福地くん! あの、え、えっと。ご、ごめんなさい。勝手に」

「ううん、大丈夫、大丈夫」


 何が大丈夫なのかわからない大丈夫を連呼してしまう。なぜか緊張してしまって調子が出ない。


「……福地くんがいつも読んでいて、気になっていたから。つい……」

「そ、そっか」


 互いが互いを見るだけの音の失われた時間。

 心臓の鼓動だけが、ドクンドクンと俺の頭に響いていた。

 でもどうしてか、気まずさはなかった。互いを見つめ合うだけの、沈黙なのに。

 壁の時計が視界に入る。時間は5時3分……って、あ!


「会議始まってる!」

「え! ご、ごめんなさい」

「ううん、気にしないで。俺、行かないと」


 まさか女の子に見惚れて遅刻するとは……。村雨に罵倒されても文句は言えない。海原さんから愛読書が返却され、それを机の中のものと共に急いでカバンに詰める。

 そのまま、教室を走り去ろうとしたところで、彼女に呼び止められた。


「あの!」


 彼女は頭をこちらに向け、髪につけたピンを指さした。

 そこには、俺の愛する少女たちの姿が描かれていた。


「プニキュラ。私も好きなんだ」


 上目づかいで見せた控えめな笑顔。身体がつま先から耳たぶまで熱を帯びていくのを感じる。


「あ、あの、えっと。休み時間にプニキュラの話しているの聞こえたから。その、ずっと話して見たくて……」


 村雨にプニキュラ布教してたの、聞かれてたのか……。ちょっと恥ずかしい。

 でも、嬉しいな。自分の好きなものを、同じように好きな人がいるのは。


「……今度また、お話したいな」

「うん、ぜひ!」


 海原さんの顔がぱっと明るくなった。


「ありがとう。会議、頑張ってね」


 彼女の素敵なエールを受け、俺は再び廊下を早歩きした。

 けれど、最後に映った彼女の笑顔が、脳裏に焼き付いて離れなかった。

 

 ……好き、なのかな。


 でも、もしそうなら、俺はこの気持ちに蓋をしなければならない。

 蘇る中学の卒業式の記憶。

 そうだ。

 恋をする資格を、俺はあの日、捨てたのだから。


※※※


 結局、会議には大幅に遅刻し、出席したのは最後の十分だけだった。欠席者が多かったこともあり、幸いお咎めはなかったが、俺は罪滅ぼしに撤収作業に従事していた。


「手伝ってくれてありがとね。福地くん」

「いえ、全然大丈夫です。ぼく、部活とかも入っていないので」


 生徒会副会長の山本先輩だ。眼鏡の爽やかイケメンである。どこかで見たことあると思ったらあれだ。学校パンフレットの表紙だ。受験情報とか載ってるやつ。


「そうかい? 助かるよ」


 遅刻について触れることもなく、優しくお話してくれる。めっちゃいい人……。イケメンは苦手だけど、俺この人好きだ。さすがは学校の顔。


「山本先輩はどうして生徒会入ったんですか?」


 生徒会長を目指す上で人脈は大事だ。こういう機会に副会長と親睦を深め、パイプを作っておくに越したことはない。というわけで、積極的にコミュニケーションを取ることにする。


「あー。あまり立派な理由はなくて申し訳ないんだけど。俺、楽しいこと好きでさ。学園祭の企画とかに参加して盛り上げたかったんだよね」

「めっちゃいいじゃないですか。ぼくも学園祭楽しみにしてます!」

「一緒に盛り上げような!」

「はい!」


 キラーンという効果音が聞こえそうなイケメンスマイル。眩しくて目がやられそうだ。


「じゃあ、俺このあと生徒会だからいくわ。手伝ってくれてありがとね」

「こちらこそ、貴重なお話を聞かせていただいてありがとうございました」


 山本先輩に深々と礼をし、荷物を持って俺も会議室の外に出る。

 やっぱ初対面の人と話すのは体力使うなあ。特に好印象を心がけると疲労がすごい。


「遅かったわね」


 扉を出てすぐのところに、我が家来こと村雨沙羅と松江萌菜が立っていた。副委員長って委員長様の家来だよね??? 特に村雨くんはもっと私を敬うべきだよ。


「おう、ちょっとな。……って、なんでお前ら待ってるの?」

「あのねえ、あなたが聞いていなかった時間の議題、報告しなきゃいけないでしょ」

「ああ、そういう……」

「そもそも、初めての会議でなんで遅刻してるのかしら。よっぽど掃除がお好きなんでしょうね」

「そうだよ~学くん。何やってんの~」


 村雨の嫌味はいつものこととして、松江に言われるのも相当屈辱だ。いやまあ、完全に俺が悪いんだけど。女の子に見惚れてましたとは言えないし。


「……悪かったよ。それで、何を話してたんだよ」

「まあ、たいした話はなかったわ。生徒会と先生方の自己紹介くらいかしらね」

「なんだよ。俺の謝罪返せよ」

「謝罪? された記憶がないのだけど」

「んぐ……」


 正論なので何も言い返せない。たしかに『悪かった』は謝罪になっていないな。悪かったよ。


「ああ、そういえば。毎年生徒会を中心に他校と合同で、地域の祭りの手伝いをしているらしいのだけれど。有志の募集に私とあなたで立候補しておいたわ」

「それ先言えよ! というか何を勝手に……」

「あなた好きでしょ? 生徒会絡みの仕事とか。むしろ感謝してほしいくらいよ」


 たしかに生徒会関係のことはなるべく参加したいのは事実だ。でも勝手に決めちゃうのは違うでしょ!


「詳しいことはまた後日の集まりで話されるそうだから。当日の日程だけ空けておきなさい。まあ、テスト前日だから予定はないでしょうけど」

「いや、テスト前なのかよ! 勉強は⁉」

「早めに手をつけることね。……それに、あなたなら大丈夫でしょ」

「お、おう」

「学くんがんば〜。もなぴも応援してるね〜」


 いや、松江に応援されても嬉しく……なくもないな。うん。いつもプニキュラを応援している身としては、たまには応援されるのも悪くない。

 ところで、今週プニキュラ応援できないんだけど。おのれ宿泊研修……どうしてくれんだよ!


 はあ。録画視聴でもプニキュラに応援届くかな。


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