モテたい男。的場孝太郎のお悩み(前編)

「なんなんだよ! あいつ」

 的場孝太郎まとばこうたろうは勢いよくジョッキグラスを置いた。テーブルが揺れる。

「本当、嫌味だよな。課長」

 孝太郎の会社の同僚、宮本昇みやもとのぼるは同調した。彼も同じようにジョッキグラスで生ビールを呑んでいた。

 華の金曜日。定時に仕事が終わると、二人は居酒屋に入っていた。

「この前もさ。少し提出が遅れただけで、『君の神経は図太いな。針金でも入っているのか』だってさ」

 孝太郎は月に何回か、このように愚痴大会をしている。開催メンバーは同僚の宮本の場合が多い。

「そういえばさ。栄子ちゃんの今日の服装見たか? たまらないよな。あのナイスボディで肌の露出多めだったもんな」

 宮本は話題を変え、鼻の下を伸ばした。栄子とは、会社の受付をしている若い女子社員だ。

「いや、俺は永山ちゃん派なので」

 孝太郎は永山楓ながやまかえでの楚々とした佇まいを思い出し、にやけた。彼女は一個下の同僚で、服装は白を基調とした清楚で男受けのよいものを着ている。

「お前、好きだもんな。永山のこと」

「ば、ばか。大きな声で言うなよ。どこにいるかわからねえだろ」

 孝太郎は慌てた。

「はあ。それにしても、彼女、欲しいな」

 宮本が嘆息した。二人とも一年以上恋人がいない。

「欲しいよな」

 孝太郎は恨めしそうに、隣同士で仲良くカウンターに座るカップルを眺めた。

「欲しいといえば、こんな都市伝説知っているか?」

 宮本が言う。

「なんでも、どんな悩みも解決してくれる美少女が、突然現れるらしいぞ」

「はは。その御伽噺、童貞の妄想だろ」

 孝太郎の否定に、宮本は声を潜め、

「ところが、案外そうでもないらしい。歩いていると突然見慣れない店が現れて、そこに年齢不詳の美少女がいるらしいんだ。その子に頼むと、たとえば『モテたい』という願望も叶えてくれるらしい」

 鹿爪らしく言った。


 *


「じゃあ。またな」

 居酒屋を出ると、宮本が言った。

「またな」

 孝太郎と宮本は電車通勤だが、乗る路線が異なるため、店先で解散した。

 ストレスを吐き出すように予定以上の酒量を飲んでしまったため、孝太郎は足がふらついていた。

「いてーな。おっさん」

 通行人の若者にぶつかってしまったが、孝太郎は酔いで気が大きくなっており、無視して歩く。

「待てよ」

 若者二人が追いかけてきた。

(ヤバイ)

 孝太郎は走った。普段使わない道を駆けていく。


 五分ほど走っただろうか。ハンターの若者が見えなくなったとわかると、孝太郎はその場でへたり込む。

「はあ。疲れた。課長には叱られるし、若者とは逃走中ごっこするし……」

 孝太郎は疲労と酔いにより、ウトウトと寝てしまう。道端の自動販売機が枕代わりになっていた。


「おにいさん。おにいさん」

 若い男の声で、孝太郎は目が覚める。さきほどの若者かと思い身構えたが、違っていた。

「おにいさん。こんなところで寝ないで」

 小太りの高校生くらいの男が不安げな様子で見ていた。

「あ、ああ。すまない」

 孝太郎は立ち上がるが、ふらりとよろめく。

「危ないなぁ。もう」

 小太り男子が彼を支えた。

「そうだ。うちの店で休憩していかない?」

「休憩? すまないが、俺は、あいにく、風俗は行かない」

 孝太郎の発言に小太り男は笑う。

「違うよ。うちの店はそんなのじゃないから」

 手を引っ張られ、建物の中に入った。

(あれ、さっきまで、こんな店あったっけ?)

 孝太郎は不思議に思ったが、風俗店ではなさそうなので安心する。


「いらっしゃいませ」

 中学生のような美少女が座っていた。店内は骨董屋のような趣で、周りの骨董品の数々とはそぐわない簡素なテーブルと椅子があった。

「どうぞ。お座りになって」

 美少女に促され、孝太郎は着座した。黒く長い艶々した髪は胸の高さまで伸びており、小柄ながら端正な顔立ち、日本と欧米のハーフのような少女だ。

「お茶はまだかよ。ふとし!」

 彼女は後ろを振り返り、言った。自分への言動とは異なる荒々しい態度なので、孝太郎は驚いた。

「はい。ただいま」

 ふとしと呼ばれたさきほどの少年は、トレーをもって急ぐ。トレーの上には、茶飲み茶碗とお茶請けがあった。

「私は、羽織纏はおりまといと言います」

 少女は丁寧にお辞儀をすると、テーブルにお茶請けを置いている男を指差し、

「こいつは細川太ほそかわふとしです」

 と言った。

「ごゆるりとお過ごしください」

 彼女は綺麗に笑った。少女のようでいて大人びた妖しい雰囲気に、孝太郎は一瞬、見惚れる。

「そういえば、ここって何のお店ですか?」

 孝太郎は自分の視線を誤魔化すように聞いた。

「ここは、――お客様のお悩みを聞いて、解決する店です」

 纏は凛然として言った。

「悩み?」

「ええ。私はカウンセラーです。お悩みを聞いて、適切な道具を貸し出したりしております」

「へえ」

 孝太郎は、詐欺か新興宗教の類かと疑い始めていた。

「お客様は、お悩みはありますか?」

「あ、俺は的場孝太郎って言います」

「的場様は、お悩みありますか?」

 纏は言い直した。

「悩みですか。強いてあげるなら、上司に嫌われていたり、彼女ができなかったり、人にモテないことですかね」

 孝太郎はお茶を口にする。ほうじ茶だった。

「それなら、良いものがあります」

 纏は後方に視線を向けると、

「ふとし!」

 再び小太りの男を呼んだ。

「はい。どうぞ」

 太は1リットルほどの瓶を持ってきた。小さいプラスチック製のカップが付いている。

「この商品ですが、ユーコードリンクといって、飲むと誰とでも友好的になります。好感度アップの品です」

 胡散臭いものが登場したので、孝太郎は怪訝そうにしている。

「でも、お高いんでしょ?」

「いえ。こちらは無料です。お客様のお悩みを解決するために提供します」

 纏は優雅に微笑んだ。


 謎のドリンクを手に持ち、孝太郎は店を出た。

(無料ならば、いざとなれば捨てればいいさ)

 効果は期待せず、無料という言葉で受け取った。

 少女によれば、飲む量は、一日で20ミリリットル程度にしてほしいとのことだ。用量を超えると、よくないことが起きるらしい。

 駅に向かい歩いていると、駅前でたむろする、さきほど衝突した若者たちがいた。

(ヤバイ。どうしよう……。そうだ)

 孝太郎は瓶の液体をカップに少量入れ、飲んだ。茶色でどろりとしており、漢方のような苦々しい味がした。

 意を決して駅に近づくと、

「よう。おっさん」

 若者が声をかけてきた。

(やはり、効果がないか)

 観念した時、意外なことが起こる。

「あまり飲み過ぎるなよ。体によくないからな」

 若者は孝太郎の背中を撫でると、離れて行った。

「もしかして、これ、効果あるのか?」

 孝太郎は、去り行く若者を、呆然と見つめていた。

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