わがまま令嬢は、ある日突然不毛な恋に落ちる。

朱宮あめ

あたしのボディーガード


 昼下がりの大学、校門。

 晴れた空の下、あたしは仁王立ちで校門前に立っていた。


 すれ違う学生たちはいずれも、あたしの容姿に足を止めて魅入る者、足は止めないまでもちらちらと振り返る者、こそこそと噂話をする者など、とりあえずあたしに注目している。


 あたしはきれいだ。たぶん、この大学ではダントツで。


 あたしが通うブルーグリムガルカレッジは、多くの子爵や政治家の子が通う名門校だ。

 そのなかでもあたしは国内屈指の財閥、ディスワード家の一人娘ローズ・ディスワード。


 風にさらわれる長い銀髪は絹糸のように艶やかだし、透き通った水のような白い肌にはニキビひとつない。

 あたしは、みんなが憧れる容姿と財力を持っている。


 友達や恋人はいない。女子同士で群れるなんて有り得ない。


 だって、完璧なあたしには完璧な存在じゃないと釣り合わないから。

 

 だから、あたしは最近イラついている。

 だって、新しい執事兼ボディガードがあたしの思う完璧とは程遠いから。


 いらいらしながら校門の前に立つこと数分。

 目の前に、黒塗りの高級車が停まった。


 運転席から、くたびれたスーツを着た五十前後の男が降りてくる。


 バン、と乱雑にドアを閉めて、男はわたわたと忙しなくあたしの元に来る。

「お待たせして申し訳ございません」

「遅いっ!」

 この時点で、あたしのイライラは頂点に達している。


 あたしの怒声に、やってきた男――アルト・ハーヴァーはびくりと肩を揺らす。


 アルトの額には、うっすらと汗が滲んでいた。急いで来たということは見れば分かるが、そんなの配慮してやんない。


「も、申し訳ありません」

「使用人が主人を待たせるなんてどういうつもり? あんたはあたしの執事兼ボディガードなのよ! 待ってるあいだになにかあったらどうするのよ!」

「おっしゃるとおりです」

 

 もう一度丁寧に謝罪するアルトを見下ろし、あたしは小さく舌打ちをした。

 

「次、私を待たせたらクビにするからね」

「肝に銘じます」

「いつまで突っ立ってるの。ドア、さっさと開けてよ」

「は、はい。失礼しました」


 アルトは慌てて下げていた頭を上げ、車へと走る。


「足音がうるさい」

「申し訳ありません」


 ぴしゃりと言うと、アルトは足を止めて背筋を伸ばした。


 この冴えない男が、あたしの執事兼ボディガードだ。

 新人が配属されるというから、てっきり若くていい男がくると思っていたのに。


 予想に反し、来たのはコレ。

 最初はなにかのドッキリかと思ったくらいだ。


 若くもないしいい男でもない。外見はどこかの村男。

 五十過ぎのおじさんだからボディガードとしても頼りないし、執事としても有能かと言われると微妙。

 いつも挙動不審だし、くたびれたスーツだし、とてもあたしの役に立つとは思えない男だ。


 アルトが車のドアを開ける。


「どうぞ」


 あたしはツンとしまま、車に乗り込んだ。


「うわ、なにあの子」


 一部始終を見ていた女学生たちは、あたしの態度に唖然としているようだった。


「知らない? あの子、結構有名だよ? ディスワードの令嬢で、めちゃくちゃ美人だけどとんでもない性悪だって」

「聞いたことある。中学時代いじめっ子で、同級生を自殺に追いやったとか」

「え、なにそれ怖っ!」


 女学生たちが、あたしを見ながらこそこそと噂話を始める。


 ……聞こえてるっつーの。


 これだから、女同士で群れるのはいやだ。だいたい、こういう下品な話にしかならないから。


「ボディガードさん可哀想」

「てか、ボディガードもコロコロ変わり過ぎじゃない?」

「たしかに〜。私、今年になって三人くらい見てる」

「クズじゃん」

 

 ……知ってる。

 あたしは、クズだ。じぶんより三十近く歳上の人間を奴隷のように扱うろくでなし。


 だから、みんなに嫌われている。

 それがどうした。あたしはあんたらの友達でも家族でもないのだから、あたしがどうしようとあたしの勝手。


 ……あぁ、つまらない。

 バカばっかりの学校も、家も。

 というか、人生まるごと。


 苛立ち紛れに噂話をしていた女学生(先輩だか後輩だかは知らない)を睨みつける。

 すると、彼女たちはびくりと肩を揺らして唇を引き結んだ。そのまま、気まずそうに去っていく。


「ふんっ」


 バタン!

 思い切り車のドアを閉めた。



 ***



「お嬢様、大学はどうでしたか?」

「……どうって、なにが」

「あ、えっと……友達とか」と、狼狽えたように言う。


 こいつは、さっきの女学生たちの会話を聞いていなかったのだろうか。


「……べつに。あたし、友達いないし。あんた、喧嘩売ってんの?」


 アルトがあからさまに動揺する。


「いえ、そんなつもりは……出過ぎたことを、申し訳ありません」


 そのまま、アルトは押し黙った。


 最初は、割のいい仕事を見つけた、とでも思ったのだろう。


 財閥の令嬢専属の執事兼ボディガード。

 たしかに給料はいいだろう。でも、それなりに神経を使う仕事でもある。

 だって、あたしになにかあったらすべての責任を負うことになるのだから。

 

 飛び抜けた容姿を持つ令嬢のあたしは、幼い頃からトラブルに巻き込まれることが多かった。

 誘拐未遂なんて数え切れないほどあるし、その他にもこれまでかなりのトラブルに遭ってきた。


 そんなあたしを心配したおじい様は、早々に専属のボディガードを付けた。

 でも、そのボディガードの奴らはみんな、途中で仕事を放棄した。

 逆に誘拐されかけたこともある。

 

 ひとと関わるのがいやになったのは、中学生の頃だった。

 いろいろあって、あたしの性格はねじ曲がった。


 その結果、性悪なわがまま令嬢が誕生した。

 あたしの噂が周囲に知れわたると、案外トラブルは減った。みんな、あたしに関わろうとすることをやめたから。

 

 バックミラー越しに、アルトと目が合う。


「……ねぇ」


 なんとなく、気になったことを聞いてみようかと思って口を開いた。


「はい」

「……あんたって、なんでこんな仕事してるの」

「え?」

「ボディガードよ。あたしみたいなろくでもない女に毎日毎日罵られて、嫌にならないの? こんな小娘に、毎日奴隷みたいにこき使われて」


 訊ねながらあたしは、窓の外へ視線を向けた。流れる景色をぼんやりと眺めながら、返事を待つ。

 ……が、アルトは珍しく無言のままだった。


 沈黙が落ち、バックミラーへ視線を戻した。


 アルトは戸惑うように視線を泳がせつつ、あたしと視線を合わせる。アルトと目が合い、あたしは気まずくなって思わず目を逸らした。


「……べつに、どうだっていいけど。今のは忘れて。ただ聞いてみただけだから」

「……はい」

「……あ、そういえば、今日なんで迎え遅れたのよ」

「……あぁ、実は、以前のボディガードから引き継ぎ受けていたんです」

「ふうん。じゃ、さんざんあたしの悪口聞かされてたんでしょ」


 以前のボディーガードは、かなりあたしを嫌って辞めていったから。


「まさか。そのような話ではありませんよ」

「ふん、どーだか」


 それからまた、沈黙が続いた。こういうとき、いつもならアルトがしょうもない話を始めるのだが、今日に限ってはなぜか無口で、そんなもんだから、あたしはあまり落ち着かない。


 だから、だ。あたしはじぶんでも驚くようなことを口走った。


 車が屋敷に着く直前、

「あのさ」

「はい」


 バックミラー越しに、アルトと目が合う。


「もし……私があんたのことを好きになりたいって言ったら、どうする?」


 急ブレーキの音がけたたましく鳴り響く。

 がくん、とシートベルトに身体がめり込んだ。

 アルトは、危うくハンドル操作を誤りかけた。



 ***



『あのさ、もし……私があんたのこと好きになりたいって言ったら、どうする?』


 なんで、あんなことを言ったんだろう。

 じぶんでじぶんが分からなくて困惑した。


 部屋に入って、頭を抱えた。しばらく勉強なんて手につかなかった。


 なんであんなことを言ったのかいくら考えても分からなくて、結論としてあたしは考えることを放棄した。

 

 それからというもの、あたしはさらにアルトへの態度を悪くした。

 でも、アルトのほうは変わらなかった。

 あたしがどんなわがままを言っても、困ったように笑うだけ。それがさらにあたしの心をざわつかせるから腹が立つ。


「お嬢様、よろしければティータイムをなさいませんか。お嬢様がお好きだと会長から聞いて、取り寄せてみたスイーツがあるんです」

「いらない」

 

 すかさず言うと、アルトは少し残念そうにジャムたっぷりのクッキーを下げた。


「……失礼いたしました。ご気分ではありませんでしたね」

「そんなものより、チーズケーキが食べたい。買ってきて。今すぐ」


 アルトの顔に、パッと歓喜の色が灯る。


「かしこまりました」


 揚々と部屋を出ていくアルトの背中を見つめていたら、胸がちくりとした。


 でも、じぶんの衝動が止められない。


「こんなのいらない!」

 がちゃん! と皿が割れる甲高い音が部屋に響く。

 アルトは床にちらばったぐちゃぐちゃのチーズケーキを困惑気味に見つめた。


「ですが、お嬢様がチーズケーキが食べたいと……」

「あたしは、ルビーファクトリーの限定のヤツしか食べないの! あんたあたしの執事でしょ! なにが引き継ぎよ! なにも分かってないじゃない!」


 アルトがハッとした顔をする。


「申し訳ありません。すぐに買い直してきます」

「いい! もういらない!」

「お嬢様……」


 ベッドに潜り込み、丸くなる。

「申し訳ございません」

 かすかにため息が聞こえ、直後扉が閉まる小さな音がした。


 翌日、あたしは大学を休んだ。


 心配するアルトを一方的にはねつけ、罵声を浴びせたり、無茶なことを言って困らせた。


 それでもアルトはあたしがどんなにわがままを言っても、困った顔で笑って、受け入れた。

 どれだけ罵倒しても、どれだけバカにしても。


 そんな日々が半年続いた。


 いい加減、あたしのほうが我慢できなくなった。

 だから、アルトをクビにすることにした。


「クビ……?」


 アルトが呆然とあたしを見つめる。


「……なぜ」

「もう無理。おじさんだし臭いし、あたし、やっぱりボディガードならイケメンがいいの。もうべつの候補のひと見つけてるから、今日中に荷物をまとめて出ていって」


 べつの候補なんて口から出まかせだ。

 とにかく、こいつの顔を見たくなかった。


「待ってください。私、なにか粗相をしましたか」

「なに、あんた、じぶんの仕事が完璧だとでも思ってたの? 粗相だらけだった気がするけど」

「……」

「とにかく、そういうことだから」


 わざと音を立てて扉を閉める。

 あたしは扉に背をもたれて、深く息を吐いた。

 胸の痛みを誤魔化すように、目を瞑る。


 これでいいのだ。

 このままだと、手遅れになる。


『ローズ』

 耳奥に響くのは、両親の笑い声。

『ローズ!』

 それから、あたしを呼ぶ親友の声だった。



 ***



 頭を冷やそうと、ふらりと外へ出た。

 屋敷を出てまっすぐ坂を下り、突き当たりにある川沿いをのんびりと歩く。

 どこへ行こう。

 考えるが、頭の中は空っぽだった。

 行きたいところも、会いたいひとも、あたしにはもういない。

 虚しくなって、笑みをこぼしたそのとき。


「あれぇ、お姉さんひとり?」

 振り返ると、見知らぬ男がふたり立っていた。

 煤かなにかで汚れたようなシャツに、ボロボロの革ベスト。ズボンもあちこち穴が開いているし、うしろでひとつに引っつめられた長髪もボサボサだった。

 治安のいい人間の風貌ではない。


 ごくりと息を呑む。


「俺らとちょっと遊ばない?」


 無視を決め込み、早足でその横を通り過ぎようとすると、肩を掴まれた。


「ちょっと、なに……」

「素直に着いてくれば手荒なことはしないのに、馬鹿な女だ」

「なっ……」

「ローズ・ディスワードだな。大人しくしろ」


 布切れを顔に当てられた。布には薬品がついているらしく、つんと鋭い香りがした。


「!!?」


 頭に鋭利ななにかが刺さったような痛みを覚える。もがく猶予もなく、あたしは意識を手放した。



 ***



 ふと目を覚ますと、暗闇が広がっていた。

「なに、ここ」

 じぶんの声がどこか遠くに感じ、身体を動かそうとすると、身体の自由を奪われていることに気付く。

 どうやら目隠しもされているらしい。


 目隠しの隙間から、身体を折って足首を確認する。

 感触からして麻紐のようなもので固く縛られているらしい。力を入れてもビクともしない。


 寒々しい室内の空気とじぶんの置かれた状況に、すぐに理解する。


 誘拐だ。


 冷静にため息をつく。

 昔から未遂は何度もあった。大財閥の令嬢だし、両親の事故のせいで世間に顔も知られていたから。

 こんなことでパニックになったりはしない。


 もう、あの頃のような子供じゃないのだから。


 ……両親が死んだあと、あたしは口がきけなくなった。

 喋ろうとしても、吐息しか出なくなった。

 おじい様が心配して、あたしをいろんな医者に診せたけれど、結局治らなかった。


 けれど、その病はある日突然治った。

 

 中学で親友ができたのだ。

 彼女のおかげで、あたしは声だけでなく笑顔も取り戻した。

 その後あたしは、再び身の危険にさらされるようになった。

 

 そのため、あたしを身を心配したおじい様がボディガードを付けた。

 最初は、若くて屈強な男だった。

 しかし、彼らはたちまち令嬢のあたしに恋をした。

 職務を放棄して、あたしを連れ去ろうとしたボディガードもいる。


 それだからあたしは、だれにも好かれないように性悪の令嬢を演じるようになった。


 わがまま放題の令嬢を演じたら、周囲の人間はあっさりあたしから離れていった。それでも親友だけはあたしを分かっていてくれたし、変わらずそばにいてくれたから寂しくはなかった。

 

 けれど、その親友が死んだ。

 

 いじめが原因だった。しかもそのいじめの原因は、ほかでもないあたしだった。


 あたしは、再び孤独になった。


 ひとりきりの部屋で身体をくの字に折り、押し寄せる孤独に耐える。


「……べつに、怖くない」


 怖くない、怖くない。

 小さな声で何度も呟く。言い聞かせるように、じぶんの脳を洗脳するように。


 がちゃん、と扉が開く音がした。びくりと身体が跳ねる。


「あ、お嬢様、もしかして起きてる?」

「ちょうどいいな。始めるぞ」

「はいよー」


 ひとを誘拐しておきながら、ずいぶん平然とした声だった。


「おい、お嬢様」


 足音が近づいてくる。


「今からディスワード会長のところへ行く。居場所を教えろ」

「……会って、どうするの」

「脅すに決まってんだろ。そのために少し、お嬢様のきれいな髪をもらったんだからな」


 髪の毛を切ったということだろう。最悪だ。


「安心しな。毛先をちょっと切っただけだからさ」

「溺愛する孫娘のためなら、簡単に金を出しそうだ」


 ……どうだろう。

 たしかに、おじい様はあたしを溺愛している。


 でもそれは、あたしがお母様に似ていたからだ。おじい様は、あたしに娘である母を重ねているだけ。

 その証拠に、おじい様はあたしを『ローズ』と呼んでくれたことはない。

 あたしに、価値はないのだ。


「……居場所を言ったら、私を殺してくれる?」


 息を呑む音がした。


「……おまえ、なに言ってるんだ?」

「死にたいの。あなたたちの望みは金なんでしょ。なら、居場所を教える代わりにあたしを殺して――」


 そのときだった。窓の外から、忙しない声が聞こえてきた。

 耳をすませると、喧騒の中「カジ」という単語が拾えた。


「カジって……もしかして、火事!?」

「なんだと!?」

 男たちが慌て出す。窓を開ける音と共に、喧騒が飛び込んできた。


「燃えてる!」

「逃げろ!」


 騒ぎはどんどん大きくなっているようだ。


「うわ、くっさ!」

「まずいな……煙が入ってきた」

「どうする? このままだと……」

「こうなったら逃げるしかない」

「で、でもこいつは?」


 視線がこちらへ向いた気がした。

 どきり、と心臓が弾む。


「……置いてくしかない」

「でも、このまま置いてったら」

「縄なんて解いてる暇はねぇ。とにかく急いで出るぞ。急げ!」

「あ、ちょっと待ってくれよ!」


 バタン、と扉が閉まる音がする。

 バタバタと忙しない足音が消えると、微かに焦げた匂いがしてきた。


 男たちは結局誘拐の成果なしのまま、あたしを置き去りにして扉から出ていったようだった。

 ご苦労なことだ。


 取り残されたあたしは、ぽつりと呟く。


「……結局、死ぬのか」


 どうせなら目隠しくらい取ってくれたって良かったのに。


「……まぁいいや」


 これで、両親の元へ行ける。親友に会える。


「……みんな、あたしのこと覚えてるかな」


 両親は七歳までのあたししか知らない。大人になったあたしを見て、じぶんたちの娘だと気付くだろうか。今さらだけど、両親はあたしを愛していたのだろうか。


 親友もだ。あたしと一緒にいなければ、あの子は死なずに済んだ。

 ……恨んでいるのではないだろうか。


 あたしの死を悼むひとは、この世に何人いるだろう。

 これまで関わってきたクラスメイトにもボディガードにも、さんざん酷い言葉を投げ付けた。


 当然の報いだ。あたしに相応しい死に様だ。

 

 助けには来ないだろう。

 屋敷を出ることも誘拐の事実すら知らないのだから。


 ひとつだけ、心残りがあるとすれば……。

 脳裏を掠めるのは、おじさんの顔。


「アルトには申し訳ないことをしたな……」


 直接言えないから、小さく呟く。

「ごめんね、アルト。ひどいことたくさん言って、ごめん」


 死が迫っているというのに、心は驚くほど凪いでいた。


「こんなときまで、死んだ心は戻らないんだな……」


 すぅっと大きく空気を吸い込み、目を瞑った。



 ***



「……様、お嬢様っ!」


 切羽詰まった声に、ハッと意識が覚醒する。


 目の前に、アルトがいた。

 目が合うと、たちまちアルトはホッとしたように息を吐く。


 放心状態のまま、周囲を見る。見知らぬ一室。あちこち身体が痛くて、ハッとする。

 そうだ、あたしは誘拐されていたのだった。


 でもなんで、ここにアルトがいるのだろう。


 誘拐犯がどうにかして知らせてくれたのかと思ったが、そんな危険なことはしないだろう。

 すると、あたしの疑問を察したかのようにアルトが言う。


「お嬢様が部屋にいらっしゃらなかったので、GPSで位置を調べさせて頂いたんです」

「ジー……は? なにそれ?」

「あぁ、えっと……お嬢様が今どこにいるのかを教えてくれる魔法のようなアイテムです」


 眉を寄せると、アルトが簡潔に説明した。


「なにそれ。おじい様が新しく開発したアイテム?」

「いえ、開発したのは私です」

「初めて聞いたけど」

「お嬢様専用に使うつもりでしたので、会長と話し合い、世間には公にしていないんです」

「……あんた、魔術師かなんかだったの?」

「まさか。異能もレベルもゼロのおじさんですよ」


 にこりと笑うアルトからは、胡散臭さが滲み出ていた。


「……でもあたし、そんなアイテム身につけた覚えないわよ?」

「靴の裏に付けておいたんですよ」

「えっ!?」


 思わず靴を脱いでひっくり返す。……が、なにもない。睨むようにアルトを見る。


「中に埋め込んであるのです。だれにもバレないように」

「今度は詐欺師?」

「まさか」

 アルトがにこりと笑った。

「それより、なにもされてませんか?」

「……うん」


 手際よく縄を解くアルトを、じっと見つめる。

 初めてアルトの顔をじっくり見たような気がした。


 なんかちょっとかっこよく見えてしまうのは、気のせいだろうか。

 ふと目が合い、慌てて目を逸らす。


「……あ、あたしを捕まえた奴らは?」

「捕まえましたよ。ディスワード家お抱えの隠密部隊が」

「なにそれ。うち、そんなのいたの?」

「私が提言して作らせました」

「……あんた、何者?」

「お嬢様の執事兼ボディーガードです」


 胡散臭さMAXなんだが。


「……というか早く逃げないと」

「ご安心ください。火事もフェイクです。真正面から乗り込むより安全かと思いまして」

「はぁ……」


 意外な一面に呆気に取られていると、縄が解けて窮屈さが消えた。


「さて。とりあえずここから出ましょう。立てますか?」

「……うん」


 手を差し伸べられ、その手を取る。足に力を入れると、くらりとした。


「わっ」


 バランスを崩したあたしを、アルトが支える。大きな手が、思いの外力強くあたしを抱き寄せた。

 身体が密着した。ハッとして、息を詰める。


「……大丈夫ですか? お嬢様」

「……ご、ごめんなさい。腰が抜けちゃったみたい」


 みっともなくて、恥ずかしくて、耳まで熱くなる。

 座り込んだあたしの前に、アルトがしゃがみこむ。ぽん、と頭の上に大きな手が乗った。


「怖かったでしょう。よく頑張りましたね」


 アルトは優しく、

「帰りましょう」

 と、あたしをお姫様抱っこすると、アルトは気遣うようにゆっくりと立ち上がった。


「ちょっ……降ろして!」

「暴れないでください、歩けないんでしょう?」

 恥ずかしさを堪え、あたしはアルトから顔を背ける。

「ところでお嬢様」

「……なに」

「クビの件……なかったことになりませんか? 私、今職を失くすとちょっと困るといいますか……」

「大失態犯しておいて、なに言ってるわけ? あんたなんか即刻クビに決まってるでしょ」

「ですよね」


 はは、とアルトは笑う。


「……でも」


 あたしは、肩に置いていた手をぎゅっと握り込む。


「あたし、ずっと眠ってたらしいから誘拐とか覚えてないし……今日だけは、あたしの散歩に付き合ってただけってことにしてあげてもいいけど」


 すると、アルトが驚いた顔をしてあたしを見た。目が合い、頬がカッと熱くなる。


「なっ、なによ」

「……いえ。ありがとうございます」

「言っておくけど、今回だけだから」

「やっぱり、お嬢様はお優しいです」

「はぁ? なにそれ嫌味?」


 アルトは穏やかに微笑み、言った。


「実は私、ボディーガードになる前に一度お嬢様にお会いしているんですよ」


 目を丸くする。


「うそ、いつ?」

「私はもともとこの国の生まれではなくて……ある日突然この国にいました」

 記憶喪失ということだろうか。

「途方に暮れていたとき会長に拾われて、仕事をくださいました。ある日、会長がお嬢様の話をしてくださって。会長はお嬢様のことをとても心配しておられました」

 

 両親の件で大人たちの黒い部分を見てしまい、言葉を発せなくなってしまったお嬢様は、大人を信用しなくなった。親友をいじめで亡くしたお嬢様は、大切なものを作ることを極端に恐れ始めた。

 と、アルトは言う。


「……子供の頃の話よ」

「いいえ。お嬢様は今も怯えている」


 思わず息を呑む。顔を上げると、アルトは寂しげにあたしを見つめていた。


「嫌いという感情は、両想いになりやすいって知ってましたか?」

「え?」

「お嬢様が私に辛く当たるのは、私に嫌われるため。私がお嬢様を嫌えば、お嬢様も私を嫌いになれるから。そうやってずっと、じぶんの心を守ってきたんですね」


 大切なひとを作らないように、と言うアルトの言葉を遮るように叫ぶ。


「違う!」


 じぶんでも驚くほどの声が出た。


「そんなわけないじゃない。あたしはもともとこういう性格! クズで価値のない人間なの!」


 興奮して声を荒らげるあたしに、アルトは優しい眼差しを向ける。


「お嬢様はとても優しいひとです」

「違うってば!」

「なら、どうして今そんな泣きそうなんですか」


 ハッとした。ぽろり、と頬になにかが落ちて、あたしはそれを慌てて拭う。


「し、してない! あんた、老眼なんじゃないの!?」


 老眼、という言葉にアルトは一瞬面食らったように固まる。直後、くすっと笑った。


「お嬢様のわがままはぜんぶ、寂しい、助けてっていう言葉の裏返しです。だから私は、お嬢様のわがままを性悪だなんて思いません」


 その瞬間、これまでずっと堪えていた涙が、ぽろぽろと溢れ出した。


「だって……仕方ないじゃない。そうするしか、分からなかったんだもの。好かれてひとりになるより、嫌われてひとりのほうが楽だったんだもの……」


「私はお嬢様を嫌いになったりしません。お嬢様を置いてどこかに行くこともありません。だから、そんなに気を張らないで」


 とめどなく溢れてくるそれを、ごしごしと指の腹で乱雑に拭う。

 優しく微笑むアルトに、なぜか胸が鳴った。


 なんだろう、この感じ。

 心臓がざわざわして、いらいらする。


 でも、いらいらするのにいやじゃない。


「ほら、そんなに雑に拭ったらせっかくのきれいなお顔が赤くなってしまいますよ」


 どくん、とまた心臓が跳ねる。


 きれい、だなんて言われ慣れているはずの言葉なのに。アルトが言うと、なぜか特別に恥ずかしくなる。

 目を合わせることができなくて、心が落ち着かない。


「……アルト」


 名前を呼ぶと、アルトが「はい」とあたしを見る。


「……今まで、ひどいこと言ってごめんなさい」

「いえ」

「これからは気を付ける……」

「はい」

「……だから、今まで散々なことをしておいて図々しいかもしれないけど……これからもあたしの専属でいてくれる?」


 恐る恐る訊ねると、アルトは柔らかく微笑んだ。


「もちろんです、お嬢様」


 あたしは、アルトの微笑みから目が離せなくなった。


 あたしの執事兼ボディガードは、くたびれたスーツの冴えないおじさんだ。

 ぜんぜんイケメンじゃないし、スマートでもない。


 それなのに、あたしのレンズにはとびきりカッコよく見えてしまうのだから、恋って怖い。


 

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