第5話

やはり案の定眠ってしまった。

そして現実なのだから当然だがそう簡単に手術とはならないのだ。

この方法、つまり自殺的方法では意味がなく、走馬灯から覚めることは出来ないのだろうな。と考えた。

あっさり諦めたとは思うが痛いのは嫌なので諦めも早く方法は思いつかないし、取り敢えず日々を過ごすしかないなと考えた。

そしてこの辺りから走馬灯の長さによっては私もすごくいい歳になるまで走馬灯の中で過ごさなくてはいけないのだと思い、事の重大さに気づいてしまった。

私が適当に作ったbacknumber好きで新体操をやっていた。という人物像はいつまでも貫かなければならないのだ。

なのでこの辺りから否定もして行こうかと思い、障害のせいにして「違いますよォそんなこと言いました〜?全然覚えてないです〜。」

を多用しようと考えたのだ。幸い、この言い訳が正当に通ることの出来る障害は持っていた。

そしてまたまたややこしくなりそうなので、この時の私の状態を綴っておこうと思う。

「この時」とは走馬灯だと思い込み最初の病院にいる頃の私の事だ。ほら、すでにややこしいだろう。

事故の影響で身体の左側が半身麻痺になり、左足の爪先が言わば背伸びの状態で固まっているため床との接地面の少なさから歩行が不可能となり車椅子、左半身が麻痺しているため口の左側も呂律が回りにくく、大体の事において左側が鈍い。また、右手は逆に勝手がききすぎて震え等が強くある。

なんとも使いづらい身体になったものだと思う。

走馬灯だと思い込んだ理由は様々だがもちろんこの身体自体もその1つだ。

例えば、今もそうなのだが背骨が変な位置にずれているのではないか?という違和感があったり、耳の左側の方が聞こえ辛いのは勿論、なんだか潰れているような感覚があり、走馬灯だからある程度は良いように見た目は改善されてはいるが、実際現実の方では背骨がズレ、左耳は潰れているのだろうなと思った。まあ実際そうなっていたら小説なんて書きどころではないのだが。

実際はなっておらず麻痺故の感覚なのだが、知らないのだ。だから私はこうして小説としようと思ったし、何度も「事故 感覚」とネットで検索をかけた上、麻痺とは感覚が0でありこんな風にズレた感覚や潰れた感覚は現実では有り得ない事だろうと思っていた。。

そして最終的には走馬灯を見せる神的な何かは非常に物理演算が苦手なのだろうな。という結論を見出した。

「麻痺したら身体の物理演算狂ったみたいな感覚になります。」と誰か言っといてくれたら、私も走馬灯ではなくこの感覚は麻痺では普通な事で、現実なのだな。と思えたはずなのに。

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