第11話 温室に眠る美女
温室は昨日と同様に油絵の匂いが充満していた。
また空気質モニターに警告が表示される。生物にとって好ましくない作用をおよぼす有機溶剤の臭いだ。昨日より微かに空気中濃度が高い。
イーゼルは昨日と同じ場所にあった。
人間と一人と、犬一匹、そしてアンドロイド一体は、絵ぽかんと見上げた。
「なんか感じが違うわね」
たしかに。昨日より色数が多いような……。
僕は昨日の映像を引っ張り出して、目の前のキャンバスとの差分を比較した。ぼやけていた女性の髪型が、心なしかはっきりとしたし、花束の輪郭に鮮やかな絵の具が数色足されていた。
昨日との色差異は15%だ。乾燥によって、表面の反射率が下がったとしても人為的に絵の具が足されたのだろう。そして――――
イーゼルの奥にヒトが寝ていた。
おいおい。まさか。
いや、やっぱりヒトだ。ヒトが……床、いや土の上に寝ている。
しかも、椅子に片足を上げて。
ここまで行儀の悪い人間を僕は見たことがない。ナギリアは想像さえしないはずだ。そのはずだ。と、僕は信じている。
ループスが吠えて、ナギリアが止めるのを振り切って寝ているヒトに突撃する。
「う……うあぁぁぁあ??」
彼女はむくりと起き上がり、ぼんやりとした様子でループスとナギリアと僕を順々に見た。
歳はナギリアより上、20台だろう。頬も薄い唇も、血色がない。人形じみた整った顔立ちをしている。
真っ黒な髪は軽いウェーブをして、胸のあたりまで滝のように垂れている。灰色の瞳は酷く眠たげだが、口元にはかすかな笑みが浮かべていた。
床に寝ていたことを覗けば、ゾッとするほどの美女だ。もちろん、ナギリアには劣るが。
彼女は瞳を細めると……
「なんだ、お前ら」
うわ、びっくりするほど口が悪い。
眠たげな、女性にしてはハスキーな声が響く。大人びた風貌のわりには、若々しい声だ。
「わたしはナギリア・アイザー。この家のペットシッターよ」
ナギリアが胸を張って答える。つられて、ループスがわんっと吼えた。
なかなか見ものだ。
「ふうむ」
女は訝しげにループスを見ると、僕とナギリアを交互に見て、ゲラゲラと笑った。
誓って言うが、僕は性差別主義者ではない。だが、美しい女性はゲラゲラと笑うべきではないのは間違いない。
とっさに入り口を確認する。彼女がどこからか迷い込んだ犯罪者の可能性は? 無きにしも非ず。物凄く確率が低いのはおいといて。
火星は非常に治安がよく、重大犯罪率が低い。
「なるほど。わたしはクロタエだ。クロタエ・スノーマよろしく」
クロタエと名乗った女は伸びをしてゆっくりと立ち上がった。
僕と同じくらいの身長だから、月育ちではないようだ。ほっそりとした体系だが、手は大きく、微かに絵の具で汚れていた。
絵描き?
そういえば、ナギリアはこの家に画家がいたと言っていた。
温室にあった油絵はザイラス以外の誰かが書いたものだと。と、なると彼女がザイラス家お抱えの絵描きというわけだ。
それに画家でもないのにイーゼルの下で寝るわけはない。彼女がイカれている可能性は置いといて。
「早起きなペットシッターさんだな」
クロタエは尻尾を振りまくっているループスの頭を荒っぽく撫でると、僕を一瞥いた。
「お、お前はI&Y社製のアンドロイドだろ? ガラテア型の第四期製造型じゃないかな?」
「アタリです」
僕は驚きを隠して言った。
アンドロイドを見て、型番まで当てられる人間は少ない。重度のカタログフェチか、分類学信者でもない限り。そして、彼らはだいたいが変わり者に属する人間だ。
「ナギリアの個人秘書のゾラックと申します」
「型番を言い当てるなんて珍しいわね。どうしてわかったの?」
ナギリアが最もな疑問を口にする。
「これのフェイスのデザイナーは大学時代の友人だったんだ。あの男が作る人物の顔は、鼻が歪んでいるのが特徴なんだ。ついでに、瞼が薄くて、人間味にかける造詣を得意をしていた」
僕は自分の鼻に触るのを全力でこらえた。同時にナギリアがしげしげと僕を眺め始めたので、さりげなく顔をそらす。
オーナーに自分のアンドロイドは美的欠陥があると思われるのは、最悪だ。
そもそも僕は美形として造られていないし。
3D化したフェイス模型の対称性を検証すること。To do リストにメモる。
クロタエは忌々しいことに、僕たちの様子をニヤニヤとしながら見ている。頭の中の警告アラームが鳴り響いた。
「なんだか昨日聞いたな……。ザイラスが、人を雇ったとか雇わないとか」
「それがわたしですね」
ナギリアは胸を張って言う。
「にしても、いい趣味してるな」
コホン。僕の咳払いはまるっきり無視された。
「前々から怪しいと思っていたんだよ」
ゴホホン。
「だから――――」
「そこまでっ。朝の談話に相応しい内容といえません」
「大した忠誠心だ。いいアンドロイドを持ったな」
「ありがとう」
ナギリアは当然のように返事をした。
ちょっとショックだ。僕の英雄心に心打たれてもいいはずなのに。
「それで? 前々から、怪しいと思っていた、ってのはなんなの?」
クロタエは腕を組んで眉を上げた。
今や眠たげだった灰色の瞳はおもしろそうにキラめていてる。こんな場所で会話する前なら、彼女は非常に理知的で魅力的な人間と思っただろう。
少なくとも外見は。
「あいつ、あの顔だろ?」
「ええ、あの顔ね」
「あの、女の子語ではなく、僕でもわかる言語で会話してもらえますか?」
「君のアンドロイドの趣味は盗み聞きか?」
ナギリアは答えずに、肩を竦めた。
「気にしないで続けて」
ショックだ。
いいだろう。僕をのけ者にしたければ、すればいいのだ。僕は全力で聞き耳を立てるまでだ。
それに、ザイラスが一ミリでもやましい点があれば、ナギリアをぶん殴ってでも親元に帰す口実ができる。
「そう、あの顔だ。あいつは昔っから女にモテるんだ。州知事の一人息子で、ロースクールを卒業したなら、おなさらだ。というわけで、あの色男が火星の僻地に引きこもった時には、月の女全員が嘆き悲しんだもんだ。しばらくは、蜜に群がるハエの如く女がこの地にやってきたが、あいつはまったく取り合わない。いけない趣味を持っているのかと訝しんでいたけど……」
クロタエはグッと伸びをして絵を指さした。
「実際は猛烈なロマンチストだった」
ナギリアは傲慢な表情で眉を上げた。
「そのようですね」
「すみません。世俗的な言語認識パッチを入れたのですが、処理できませんでした。別言語で話していただけませんか? もしくは、僕が理解できるくらいレベルを落としてください」
女二人は肩をすくめた。
「そんな目で見ないで下さい。僕の言語処理機能の更新はしているし、元となったエンジンも最高峰なんですからね」
僕が二人の会話を理解できないのは、ソフトウェアの問題ではないはずだ。
現在の人工知能が女の子達の会話に加われるほど、高機能だと思っていないが、人間の方ももう少し譲渡してもいいはずだ。盗み聞きするAIと共存を目指すなら特に。
「ところで、この絵は素晴らしいですね」
「ありがとう。お嬢さん」
クロタエは芝居がかった仕草で礼をした。
「あなたが描いたのですか?」と僕の愚問。
「でなかったら、イーゼルに脚を載せる訳ないだろう。君はわたしをなんだと思っていたんだ?」
僕はアンドロイド開発至上最も有効とされた、どっちにもつかない笑みを浮かべた。もちろん、あなたを真っ当な人間だと認識しています。よ。という意味を込めて。
「あなたのおかげでわたしは合格したの。お礼を言わせてもらうわ」
クロタエは声を上げて笑った。楽しげな様子に気づいたループスが僕たちの周りを馬鹿みたいに走り回り始める。
「お役に立てて何よりだ。ダージンから話は聞いたよ。玄関ホールにあった、薔薇のかたまりは君が生けたようだね。私の自尊心がちょっと傷ついただけですんだよ」
「そしてわたしの自尊心も」
クロタエがにやりと笑った。
「わたしはザイラス家専属の画家だ。この家の主である男前のゾンビから、名誉なことに絵の依頼をされて描いている」
「女性の絵ね」
クロタエが目を細めた。
「そうだ。さて、もう朝食の時間かな。モーニングルームに向おうではないか」
バウっとループスが吠える。この怪しげなお屋敷の2日目の朝にしては、まあまあの滑り出しだ。
少なくとも、僕の自制心は擦り切れていない。今はまだ。
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