第10話 グエン・ザイラス
さて、マスターが人間にらしく不合理に命の危険にさらしている間は、自分は文明の利器らしく合理的行動を取ろうと決めた。
昨日の夜、寝てる最中に集めておいたザイラスの情報を整理するのだ。
グエン・ザイラス。
少なくとも彼が顔が良いだけの無害なゾンビ男だと確信を得ないと、僕の心理野に恒久的な負荷がかかってしまう。
寝る前に仕掛けた検索ボットによって、各データはタグ付けされてそれなりに綺麗にまとまっていた。
どうやら、ザイラスはネットに痕跡をたっぷり残すタイプの人間だったようだ。
最古にヒットしたのは、4年前のゴシップサイトで映画会社主催のチャリティパーティでザイラスと美しい女性が手を取り合って参加しているネット記事だった。
なるほどね、噂を提供しただけある。
次もゴシップ記事、次も次も次も。
画像検索をザッとかけると、驚くべき事に写真に写っている同伴女性は毎度変わっていた。
なるほど。自らモテるというだけの実力はあるようだ。
女性はどの方も素晴らしい美貌で、大胆なドレスを身にまとっている。ブロンドが40%、ブルネットが45%、ブラウン が10%、その他5%。少なくとも異性愛者のようだ。
おっと、ゴシップを読み漁っている場合ではない。
ザイラスの経歴を読みすすめる。
グエン・ザイラス、地球出身の現在は28歳――。
ザイラス家の情報もすぐに見つかった。ザイラス家もグエンに劣らず有名だった。何代にもわたって政治家を排出している名門貴族一家だ。
うわ、彼は王位継承順第八十五位だ。王室にも繋がりのある名家の出身で、あと85人殺せば国王になれるらしい。あの前時代的な貴族的雰囲気も説明つく。それに、あのモテっぷりも。
ザイラス家の次男として、ロースクールを卒業後、弁護士になる。
ふーん。典型的な政治家コース。
今から3年前に月面の国立植物園の館長就任している。
もしかしたらバラの美しさに目覚めたとか? 1年足らずで館長を辞任。ちょうど2年前だ。
それから一切の経歴がないから、この屋敷に来たのかもしれない。
「ゾラック! そっちに行ったわよ」
次の瞬間、ループスは僕に突撃し、尻もちをついた僕に向かってくんくんと匂いをかいでいた。
僕は凍りついたまま、彼が一思いに首を噛み千切るのを待った。
犬の嗅覚は人間の数千倍という。中にはアンドロイドのプラスチック臭を嫌い、噛み付くこともあると何かで読んだことがある。
噛み壊されたアンドロイドはどの型番なんだっけ? どこかでレポートを読んだ気がする。今は検索している場合ではない。なるべく彼を刺激せず、噛み付かれたアンドロイドと同シリーズではないことを電脳の神に祈るだけだ。
ナギリアは僕の前でクスクスと笑っている。
「僕がかみ殺されるのが、そんなに嬉しいですか?」
「心配性ね。あなたと仲良しになろうとしているのよ。ねぇループス?」
ナギリアがループスに笑いかけると、彼はしっぽを振り千切れんばかりに振り回した。真っ白の歯を見せる仕草は、僕をかみ殺すかどうか考えている悩ましい姿にも見える。
ナギリアがループス耳の横を荒っぽく撫で上げた。おっと犬に嫉妬するのは、精神衛生上いいとはいえない。
「大丈夫よ。この子はおとなしいもの」
僕にはどうみても獰猛な狼に見える。
ナギリアは首輪をぐいっと引っ張り、僕と犬を引き剥がすことに成功した。
「ありがとうございます。でも気をつけてくださいね」
「例えば何を?」
「例えば……その犬にかみ殺されない、とか」
ナギリアはちちちと舌を鳴らしてみせた。
「確かに、わたしは生まれてこのかた、犬とか、猫とか。体長三十センチ以上の哺乳類の半径五メートル以内に近寄ったことがない。でも、この子はもうなれたわ。ねぇ、ループス」
ループスと呼ばれた狼はぷいっと横を向いた。
「まだまだ、心は通じ合っていないようですね」
「おかしい。さっき名前を呼んだらわたしの後を大喜びで着いてきたのに」
獲物だと思われていたのでは。
ループスはまだ遊び足りないらしく、危険なほど歯を見せて尻尾を振りまくっている。
彼女はそんな姿を見てクスクスと笑っている。楽しそうな彼女の姿を見て、嬉しくなった。
「で、そろそろ話してくれてもいいのでは? 早起きしたのは、就労意欲に燃えていたからですか」
「それもあるけど。ザイラスはわたしに、どんなスケジュールで仕事をするか一切指示がなかったじゃない?」
ナギリアは今日百回目の棒を思いっきり投げ出した。ループスは大喜びで追いかける。
「だったら、わたしの考えた『ペットシッターの仕事』をするしかないじゃない。犬って朝に遊ぶものよね」
「散歩では?」
「あ……そうかも。ちょっと歩くか」
彼女はループスに向かって手を振り上げると、なにやら格言をつぶやいて行進を始めた。
ループスもおとなしくしたがっている。
僕はザイラスについてまとめたデータをナギリアに投げた。
彼女はサイボーグ化はしていないが、うなじの副脳と眼球に埋め込まれたチップで標準的なデータ交換ならすることができる。
ナギリアはアイザー家特有の超人的に速読をもって、僕のレポートは一瞬で読み終わったようだ。もちろん、ゴシップのたぐいはマスクしている。探せば1秒で見つかるものだが、雇い主が女ったらしと再確認する必要はないはずだ。
「どうやら、ザイラスさんの受難は植物園の館長になってから始まったようね」
「なぜです?」
「というか、なんで弁護士が植物園の館長になるのよ。国際通商法が専門の弁護士で、大手の弁護士事務所の共同経営者のエリートだったらなおさらよ。絶対理由があるはずよ」
「博物館の社会的意義に目覚めたのでは?」
ナギリアが意味ありげな視線を投げてよこした。
「俗なセレブ丸出しのパーティ三昧の弁護士が? 家といい勝負している」
聞かなかったことにしよう。
「で、今は火星の自然保護区の薔薇屋敷に引きこもってる」
「彼は政治家一家に生まれながらも、薔薇に対する熱い情熱を持つ男に生まれ変わったのでは?」
「ふーん。どうやら今は冷めちゃったらしいけど」
それから彼女は脇目も振らずバラ園を突き進み、温室の前で足を止めた。昨日、フラワーアレンジの試験の際に立ち寄った、アトリエ兼温室だった。
「ついでに幸運の女神にお礼を言おうかと」
「幸運の女神?」
「あの温室の絵よ。温室にあった大きな油絵。わたしの就職をサポートしてくた」
「ザイラスは、誰にもあの絵を見せたくないのでは? 彼は神経質なようですし」
というか、ちょっとイカレているし。
「だからこんなに早起きしたんじゃない。この時間だったら、彼は絶対に起きていないわ。ああいった人間は夜型なのよ」
「最初から油絵をもう一度見るために、早起きしましたね」
ニヤリと微笑む。それが答えだった。
「もちろん、仕事のためよ。さぁ、行くわよ。ループス。口うるさいゾラックは置いていきましょう」
ナギリアが声をかけると、ループスは飛蝗をいじめるのをやめて大人しくナギリアに従った。
ちくしょう。素晴らしい犬だ。
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