第6話 帰納法推理が必要

「わたしが作らなきゃいけないのは『試験に受かる花束』よ」


 ナギリアは言い切るとまた薔薇をかき分けて歩きはじめた。

 僕達はそれから十分ほど歩き回り、大腿二頭筋を大いに酷使した。


 だが、ここでちょっと僕は休みますんで、とは口が裂けても言えない。

 自分の両脚の総取り替え費用を計算し始めたとき、目の前にドーム型の巨大な小屋が現れた。

 優美な曲線を多く使った凝った鉄筋にガラスがはめ込まれている小屋だ。


 ――形状からいって温室……のはずだ。植物園の真ん中にあるならなおさらだ。


 ナギリアはためらいもなく中に入り、僕も慌てて後を追う。


「むかし月の植物園でこんなの見たことある」 


 温室の中央には巨大な木が青々と茂り、ここにも多種多様な薔薇が植えられていた。第四カメラで目についた草花を片っ端からサーチする。

 動植物データベースのAIにリクエストを投げると次々と帰ってきた。ついでに長くなった植物名リストを画像にタグ付けしておいた。

 お嬢様に『この花はなんて言うの?』と聞かれた時にカッコよく答えるためだ。まぁ、そんな時が来るかは怪しいけれど。


 室内は野外より5℃気温が高い。同時に空気質モニターが微かなアラートを出していた。大気中の有機溶剤の数値が微かに上がっている。


「なんか変なにおいがするわね」


「気をつけてください」 


「石油っぽい感じ」


 ナギリアが突然足を止め感嘆の声を上げた。

 突如目の前に現れたそれを理解するのに、僕は数秒固まった。


 巨大な絵画が浮いている。

 いや、キャンバスがイーゼルにかかっている。


 カフェの入り口にあるような、可愛らしいイーゼルではなく、二メートルはあろうかという巨大な木製のイーゼルだ。それに巨大なキャンバスが壁のように立て掛けてあった。


 キャンバスサイズは1,620×1,303。

 百号だ。

 つい。ググってしまった。


 温室の床には、所々絵の具が飛び散り、何十本もの筆が小型の棚の上に散らばっていた。

 僕の標準芸術知識パッチの推測と素晴らしい帰納法推理によると、あの絵は油絵の具を使って描かれている。


 キャンバスには何色かの絵の具がざっと塗られており、ぼんやりとした固まりが画面に浮かんでいる。

 油絵の標準作画手順に照らし合わせると下描き未満といったところだ。


 これが抽象画だとしたら、僕の知性では認知できないだろう。


「女……のひとかな?」


 ナギリアがぽつりと言う。

 僕は抽象表現言語化ツールをフル回転させて、目の前のキャンバスを"理解"した。

 たしかに……女性が座っているように見えなくもない。赤毛の女性が緑のドレスを着て、座っているのだろうか。

 手にはパープル、黄色、灰と緑の交じり合った塊を抱えている。


 粗い筆跡ながら、荒々しい生命と躍動感が生き生きと伝わって――――こないこともない。


 しょせん、アンドロイドの感性なんてこんなもの。

 正直に言うと、宇宙港にあった防疫用微生物探知機にも見える。派手なゴミバケツだ。


「なかなか、古典的な趣味ですね」


「そう? 金持ちは油絵が好きじゃない。特に地球ではメジャーよね」


 ナギリアはしばらく絵を絵を見上げていたが、ふいにニヤリと笑った。

 おっと嫌な予感がする。

 最近の僕の勘は非常に当たりやすい。もしかしたら、人工知能に未来予測機能が芽生えたのかもしれない。


「さあ、始めましょう。何事も、やらないと始まらないのよ。まずは決断、そしてスタート!」


 ナギリアは今日何度目かの格言を言いのけると、温室を後にした。



 十分後、ナギリアは両手に大量の薔薇を抱え、満足げに玄関ホールに立っていた。


「よし、次は花瓶よ。花瓶」


 ナギリアは体に似合わぬ剛毅な歩調で室内を練り歩き、部屋をあさりだした。


「おつきのアンドロイド様」


 執事のダージンが死角からぬっと登場する。

 僕はうめき声を押し殺した。人に向かって怯むのはマナー違反だ。そうだろう?

 土にまみれたナギリアをちらりと一瞥する。もしこの執事が土だらけの格好で、部屋中の花瓶をあさっている少女を批判したらどうしよう? 


 彼女を庇うか? 彼に同意するか? 

 悩ましい問題だ。


「来ていただけますか。ご主人様がお待ちです」


 僕は逃げた。

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