第7話 憂鬱男の答え
ダージンのご主人様であるザイラスは、さきほどと変わらず薄暗い書斎の中、マホガニーの机の後ろでぼんやりとしていた。
僕たちが到着したのにも気付かないようだ。
ダージンが咳払いをする。
羨ましいほど上品な咳払いだった。きっと執事学校で習ったのだろう。僕も真似したい。
それでも彼は気付かない。
「お気遣いなく」
僕はダージンに向って頷くと、人間にはよくある事です。といでもいった表情を浮かべた。
実際よくあることなのだ。ただし、僕のお嬢様での話だが。
少なくとも、憂鬱な人間の次の一手を待つのは慣れている。
いつもの癖で惑星運行システムの定期健診をしようかな、と思い始めた頃、ザイラスは僕に気付いたのか瞬きをした。
相変わらず焦点の定まらない、ぼんやりとした表情だ。
「君はえーと――――」
「面接にきたナギリア・アイザーの秘書、ゾラックと申します」
僕はなにも気にしていませんよモードの口調を装った。たとえあなたの脳みそがイカレていたとしても。
「ふむ、そうだった……」
ザイラスが少し乱れた髪をくしゃくしゃとかきあげる。ふーん、顔の造形が良いと、ちょっとばかり髪型が乱れていても様になるものだ。
「いや、その、びっくりした。俺は確かに求人を出した気がしたが、あんな女の子が応募してくるだなんて」
「ちなみに、どこに求人を出したのですか?」
「惑星土壌地理学の専門情報サイト」
あーあ、ナギリアが好きそうなやつだ。これから監視リストに入れないと。
「だが残念ながら、彼女を雇うわけには行かないよ」
ザイラスが眠たげに目をこすった。
「先に君にだけには伝えておこうと思ってね。俺は見ての通り、一人身の独身男だし。彼女はまだ若い。彼女を雇うとなると、この屋敷に住み込みということになってしまう。そうしたら評判を台無しにしてしまうだろう」
おっと、この男に好感を抱き始めたぞ。
「俺の」
なんだと?
僕が驚いた表情に変更する前に彼は続けた。
「俺は見ての通りの外見だから女にはモテるし、ご覧の通り金持ちだ。『大』がつくほどのね」
こういった場合、どんな返答をすればいいのだろう。
黙れ、とか? 近いな。
「俺のような男はえてして噂がつき物でね。実際、俺も昔は様々な噂話を提供した側だから、なかなか信じてもらえないんだ」
「……と、いうと?」
「今は品性方向になったってこと」
「なるほど」
「ここで彼女を雇ったら、俺が小児性愛者の変態だとメディアを賑わせてしまう」
否定したってことは、少なくとも、小児性愛者じゃないってことだよな?
僕は彼の表情を注意深く観察した。
駄目だ。僕の知能では、人間が嘘を付いていても見破れないのだ。法律的に、道徳的に、まったくのお人よしに設定されているのだ。
「わかります」
実際はちっともわからない。
ただし、こんな屋敷に住んでいる金持ちの、今はゾンビ状態の美男子の下に僕のお嬢様を一メートルでも近づけてはいけない、ということはわかる。
「だから、彼女がテストに合格することは残念ながらないよ。申し訳ないがね」
僕は満面の笑みをこらえた。
「ええ、非常に残念です」
「失礼します」
ダージンがまた音もなく現れると、真面目くさった口調で宣言した。
「お花が完成したようです」
玄関ホールにナギリアはいた。
泥がこびりついたスーツを着ているにしては、堂々をした立ち振る舞いで腰に手を当てている。
吹き抜けのホールにぶら下がった、超アンティーク級のシャンデリアに照らされて、自分に絶対の自信を持って――実際はこれっぽっちも持っていなくても――アイザー家独特の笑みを浮かべていた。
事情を知らない人間が見たら、自信満々のフラワーコーディネイターに見えたかもしれない。
ナギリアは笑みを浮かべたまま、妙に気取った恭しく手をかかげた。
「どうぞ」
玄関ホールの中央に置かれたテーブルの上にそれはあった。
巨大な花瓶に花が活けられている。
全員がハッと息を飲む。
……大作だ。
少なくともデカイ。ナギリアの身長くらいある。
それ以上ではなかった。
僕の乏しいインテリア認識能力によると、観賞用らしき巨大な花瓶に紫、黄色、色とりどりの薔薇が突き刺さっている。
しなびたものもあれば、つぼみのものもある。盛大に生い茂る葉。黄金比を無視した極彩色の巨大な塊。
ナギリアの母上ならこれで客を迎えるのはちょっとな、と思うはずだ。
僕はちらりとダージンの反応をうかがった。
眉一つ動かさずに、突っ立っている。
ご自慢の花瓶に、花の固まりが突っ込まれた事に関しては特に文句がないようだ。
内心ではザイラス家代々伝わる、七五二八万キロを旅した家宝の花瓶に下手な花を差したことに煮えくり返っているかもしれないが。
次はザイラスだ。こういった時、有効視野210度は役に立つ。
彼は突っ立ったまま目を見開いて、薔薇を凝視していた。
正直いって、彼がどんな反応をするかよくわからない。ザイラスはナギリアを雇う気がないと言ったが、少なくとも彼女を納得させるだけの理由を説明してもらわなければならない。
この花の塊にケチを着けるのは簡単そうだが、彼の精神状態で可能かといわれると、ちょっと怪しい。
ザイラスは全員が見守る中、ふらふらとした足取りで花瓶に近づくと、膝をついた。
いやな予感がする。
「なんてことだ」
ザイラスが呟く。唇が僅かにふるえ、頬に血色が戻ってきている。
「どうかしましたか?」
視界の横で、ナギリアの瞳が光り、笑みを浮かべているのが見える。
「なんてことだ……」
ザイラスがゆっくりと両手を上げる。
その瞳は薄暗い書斎より輝いてみえた。
おいおい……。
「どうでしょうか、ザイラスさん。わたしは合格ですか?」
ナギリアは少しだけ神妙な口調で言った。
「合格だ!」
ザイラスが声を張り上げた。
なんだって?
「あ……? え……? う……えー……い、ペットシッターでいいなら……」
彼の情けない声が続く。
こうして彼女は就職した。
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