第8話 アイザー家の脳みそ
「で、そろそろ種明かしをしてくれてもいいのでは?」
「なんのことやら」
メイドさんに案内された部屋に入ると、僕は口を開いた。
ナギリアと僕の部屋は左翼の一番端の客室だ。
本物のカントリーハウスであるなら、使用人用の部屋があるはずだが、なんとなくダージンもナギリアのことをどう扱ってよいのかわからないようだ。
ザイラスは声高々に採用を宣言した後、我に返ったように僕を見つめた。
だが、何もかも遅かった。
当然彼女は敬々しく承諾し、周りの気が変わらないうちに今夜泊まる部屋を用意させたのである。
僕がメイドから聞き出した限りでは、この部屋はザイラスの寝室から最も遠い所にある。彼がこの部屋に忍び込むためには三十メートルを移動した後、僕の屍を超えなくてはならない。
「もう一度聞きます。そろそろ種明かしをしてくれてもいいのでは?」
ナギリアはスーツケースを開きながら、クスクス笑った。
僕は無意識のうちに、ナギリアが差し出したジャケットを手に取るとシワを伸ばした。
しまった! こんな所でも、僕の家事本能が働いてしまうとは。ここは毅然とした態度を取らないといけない。
「笑ったということは、僕の言ったことが理解できたと言うことですよ。下手な芝居はやめてください」
「うーん。わたしの中に眠っていたフラワーアレンジの才能が突如開花したらしいわね」
「馬鹿らしい。あなたにフラワーなんとかの才能はないし、これから開花する可能性もないでしょうね」
ナギリアはムッとして、僕を睨んだ。
「確かに、わたしにアレンジメントの才能はない。それに、これから開花させる予定もない。だけど――」
ナギリアは澄まして言うと、耳の上をとんとんと突付いた。
「脳みそはある。アイザー家特製の」
「アイザー製の脳みそは不正をするためにある訳ではありません」
「その通り、金儲けのためにあるの」
「正直に白状したら、勘弁してあげないこともないです。あなたが非合法的行為をしたのなら、僕は市民の義務機能を使う必要があるんですからね。例えばザイラスに薬を盛ったとか」
ナギリアはにやりとした。
これ以上、アイザー家特有のしてやったり顔を向けられると、自制心機能が麻痺しそうだ。例えば、大声を張り上げながら手を振り回すとか。
「あなたのご立派な機能はちょっとオフにしてほしいわね」
「保障はできませんよ。僕は自分の倫理野には手出しはできないのですから」
ナギリアはクスクスと笑いながらシャワー室に消えていった。
お陰で僕は落ち着き無く部屋をうろつく羽目になり、また大腿筋を酷使した。
なぜ、きっぱりとナギリアを雇うつもりがないと言ったザイラスが、あっさりと合格と言ったのか?
あの男がイカれているから? まぁ、たしかに。
「面接って大変ねえ。足が棒になっちゃった」
ナギリアの長い長いシャワータイムが終わると、彼女はふかふかのバスローブ姿で現れた。そのまま濡れた髪を乾かしながら、アンテイークのソファに座る。
「始めてください」
「まず。助手を応募したのに、薔薇の花束を作れなんてテストをするのはおかしいじゃない。つまり、彼はわたしを最初から雇う気なんてなかったってことよ」
その通り。
「まぁ、それはしょうがない。応募した時点で断れって話だけど。でもわたしは職がどうしても必要だったら、なんとかしたいと思った」
「その意見には反論したいところですが、続きをどうぞ」
「あの薔薇の花束はね。彼の心を揺さぶる作用があったのよ」
僕はダージンを真似て、右眉を上げた。意味不明という意味だ。
「降参です。あの花束になにがあるのです? 僕には人間並みの美意識はありませんが、常識は備わっています。正直に白状するとあの花瓶に活けられた花には、薔薇の塊以上の意味は見受けられませんでした」
「それはあなたが――――」
「AIだから?」
ナギリアはいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「違う。恋をしていないからよ」
ないはずの心臓がどきりとする。
「えー……その。僕にもわかる言語でお願いします。女の子語ではなく」
「ヒントその一、温室にあった絵」
「あの絵がなにか?」
「思い出してみて。あの絵に描かれた女性が持っていた塊に、わたしが活けた薔薇はそっくりだと思わない?」
視覚アーカイブから油絵と花束画像を取り出して比較した。
差異68%。
アイレベルを同一に加工し、背景を削除してもう一度比べる。今度は画素類似555まで上げてみた。
差異24%。
うーむ。たしかに、色調は似ていないこともない。
妙に生い茂った葉っぱや、紫の薔薇。細かい黄色の固まりは、黄薔薇だろう。まだ下塗りの段階なので、細かくは描かれていないが、なんとなくシルエットや色調は似ている。
「あれは薔薇の花束だったのですね」
「でなきゃ、肖像画をわざわざ外で描く意味ないしね」
たしかに。
「なぜ似せたのです?」
「ザイラスはあの絵に描かれた女性に恋をしているのよ」
僕はぽかんと口をあけ、ナギリアの台詞をもう一度脳内で再生した。
また女の子語だ。意味がわからない。
口を意識して閉める。
「えーと……あの色男が?」
「そう」
「彼が、あの絵を描いたから?」
ナギリアはこれだからアンドロイドは、とでもいうように眉をしかめた。
「彼は絶対に契約書のサイン用の万年筆以外は握らない主義よ。最後に筆を手に取ったのはキンダーガーデンの時じゃないかな」
「どうしてそう言いきれるのです? 正直言って絵に魂を吸い取られているとしたら、あの憂鬱さにも説明がつくかもって非科学的思想を提唱し始めています」
「あの絵は生乾きで、まだ油の匂いがきつかった。つまり、さっきまで描かれていたってこと。彼の両手も綺麗なものだったし、そもそもあんな無気力な男は筆一本も持ち上げられない」
「今のは古典的差別発言では?」
ナギリアは僕の言葉を礼儀正しく無視した。
「ダージンさんでもないはず。彼は爪の先までピシッとしていたし、燕尾服で絵を描くのは無理がある。絵描きがいるのね。たぶん屋敷のどこかに」
「絵の中の女性がザイラスの想い人であるという根拠は? 彼の肉親の可能性もあります」
「廊下でザイラス一族の肖像画が飾ってあったでしょ。親族に赤毛の女はいなかったじゃない」
ばっさりやられた。
悔しかったので、廊下の肖像画を視覚アーカイブから引っ張り出してソートする。76%のプロンドと、10%ブルネット、他10%で残りは無毛だ。
「で、彼は絵描きにあの絵を描かせているのよ。こんな辺境の地に絵描きを呼んで絵を描かせる目的は? あの女性がモチーフなのは意味があるってこと。さて、男が女の絵を欲しがる意味は? もっとも古典的な意味で」
ザイラスは絵の中の女性に惚れている。QED。
「なるほどね」
「ザイラスは絶対に絵を見ているはず。こんな場所にわざわざ絵描きを呼んで描かせている訳だから、あの花束もザイラスが具体的に指示を出したと思ったって訳。わたしがあの花束を再現したのは、彼が少なくとも、思い入れがあると思ったからよ」
「ウェッジウッド社製のアンティークフラワーベースを台無しにしても?」
「どんな可能性が低かろうが、少なくとも人の心を動かす物をひねり出せってパパから言われていたからね。『撃ってみなければ、100%当たらない』まさか、膝までつかれるは思っていなかったけど」
彼の変態性を逆手に取ったというわけか。
「そこまでして、働きたいのですね?」
「ペットシッター? いいじゃない。あなたが言ったのよ。わたしは、労働したことがないって。手始めに犬の世話はもってこいよ」
ナギリアはベッドに潜りこむと、不器用にウインクし照明を消した。
「学校を休学して犬の世話?」
「摂政時代にはこの職業あったのかな?」
「学校を主席で卒業して、時価総額数十億の企業を立ち上げた起業家の娘がペットシッター?」
「その通り」
「『絢爛たる奴隷生活の平穏無事な軛よりも、苦難にみちた自由をこそ選ぼうではないか!』って真に受けました?」
「ミルトンはいい事言ってる。さすが君主主義者ね」
「僕のお嬢様がペットシッター?」
「まさに労働は美徳」
「は、ははは」
「それはもういい」
僕の一日はこうして終わりをつげた。
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参考
岩波文庫『失楽園』36版
作ミルトン
平井正穂訳
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