第4話 ザイラスは嫌な男
回廊の奥には、年季の入った緑色に塗られた扉があった。典型的なカントリーハウスの間取りから言えば、ここは図書室だ。
僕らはザイラスに続き、厳かに薄暗い部屋に足を踏み入れた。
部屋の中はかすかなレモンと蜜蝋の香りがした。きっとあの機械仕掛けのメイドが蜜蝋で家具を磨きまくっているのだろう。(木製の家具の手入れくらいは知っている。そんなものが今でも売っていればの話だけど)
巨大な図書室はヒトの視覚では奥まで見えないだろう。壁一面の本棚が置くまで続いていた。
巨大な窓はどっしりとした織のカーテン閉まりっぱなしで薄暗く。部屋の中央にポツンと置かれた机のランプから柔らかな光が漏れていた。
そして、机には――きっとマホガニーだろう。ここは十八世紀だぜ? ――男が力なく座っていた。
「ザイラス家当主、グエン・ザイラスです」
執事が厳かに宣言した。
ツーアウト。
僕は一目でザイラス家当主に反感を覚えた。
駄目だ。この男の下で彼女を働かせるわけにはいかない。
彼は――古今東西のデータベースに照らし合わせなくても――美男子過ぎる。
歳は二十代中盤、ちょっと伸びて乱れた金髪は耳にかかり、見苦しくない程度に乱れている。肌は青白く、濃いクマが顔に影を落としている。ただ、鮮やかなグリーンの虹彩だけが暗い光を放っていた。
この屋敷にふさわしい、妙に貴族的雰囲気のある男だった。なるほど、廊下に並んでいた肖像画は彼のご先祖様達だろう。
そして、その物憂いげな眼差しと、ナギリアをちらりと見て興味をなくしたのを見て、僕は一発で彼を嫌いになった。
彼女は少々問題があるのは確かだが、ちらりと見て、それっきりと興味も抱かせないほど魅力がない少女ではないはずだ。
親ばかフィルターを無視しても、十分注目されるべき少女なのである。
僕は必死で、あの物憂いげな雰囲気にナギリアがくらりとこないことを祈った。
僕でさえ、人工知能の世話焼きシステムがビンビンと刺激されるのだ。あの憂鬱そうな表情でため息をつくだけで、どんな女とアンドロイドでさえ落とせるのは間違いない。
ナギリア、信じてますよ。
「お会いできて光栄です。素晴らしいお屋敷ですね」
ナギリアは優雅にお辞儀をすると、まるで自分が雇い主かの口調で言った。
彼女の両親がパーティーや商談で使う、自信満々の華麗なる社交術は就職面接では使えるのだろうか。
残念ながら僕は就職活動をしたことがないのでなんともいえない。
ザイラスがぱちりと瞬きをする。初めて彼女の存在に気付いたかのようだった。
「ん……うん」
彼はブツブツと呟きながら、ぼんやりとナギリアと僕に視線をさ迷わせている。
すでに僕の頭の中の警報は鳴りっぱなしだ。まずいぞ、まずいぞ。この男はヤバい。
「面接でお越しいただきました」
ダージンが後ろからポツリとつぶやいた。
執事付きの殺人犯……とか?
「ナギリア・アイザー様と、お付のアンドロイドです」
「ああ、そうか……面接か……」
ザイラスはまたぼんやりと僕たちを見ると、ハッと息を飲んで立ち上がった。机の上のペンが音を立てて床に落ちる。
怖っ。
正直言って滅茶苦茶驚いたが、僕の表情パターンはまだ平静を装ったままだ。
僕はいつでもナギリアを守れるように姿勢を正した。
「座りたまえ」
世界の終わりような声でザイラスが言った。
スリーアウト。
なんらかの問題を抱えている患者に僕のお嬢様を雇わせるわけにはいかない。
「都合が悪いようですので、また改めて伺いましょう」
ぼそりと言う。
ナギリアは笑みを浮かべて、当然の権利が如く机の前に置かれた椅子に座った。
おい、冗談だろ?
ザイラスがまた倒れ込むように椅子に座り、部屋は重苦しい沈黙に包まれた。
先に沈黙に耐えられなくなったのはナギリアのようだった。ふぅっと息を吸うと胸を張って、
「ザイラスさん、助手を募集中と聞き応募しました。履歴書はお送り済みで、ご覧いただけましたか。わたしはナギリア・アイザーと申します。専門は生物環境学です。先日大学からプレスリリースが出たのでお送りしますね」
ピコンと、共有ネットにナギリアの論文がアップされた。
なんだか体に悪そうな汚染物質を合金触媒による分解云々……。なるほど。まことに人類の役に立つ学問である。
「わたしを雇用していただけますか?」
ナギリアが一気にしゃべり、返事は? とでも言うように頭を傾げた。
まさに立て板に水。
部屋の中が静まり返り、僕は天を仰ぐのをこらえた。
心配も杞憂だったかな、と思えてくる。
彼女はそもそも雇われる立場に立ったことはないのだ。間違いない。僕のお嬢様だったらどこでも文句なしで雇ってもらえる、と考えていたのだから、僕は親バカどころか大バカAIである。ちょっと贔屓しすぎていたかも。
沈黙は長く長く続いた。
「ああ……そういえば……」
ザイラスのため息。
そして沈黙。
うわあ、これでは宇宙船でのナギリアと同じではないか。
金と外見にめぐまれた人間は厄介な悩みを持ちがちなのは、最近の僕の身の上を考えればすぐにわかる。
「そうか……どうしようかな……」
ぶつぶつぶつ。
ナギリアがしびれを切らせて口を開く前に、ザイラスが口を開いた。
「その……では君。花を持ってきてくれたまえ」
「は?」
ザイラスは机の引き出しをあさると、優雅な仕草でアインティークのハサミを掲げた。
「花だ。庭にバラ園があるから、そこから薔薇を切って花束を作ってくれ。それが試験だ」
「試験?」
「うん。採用試験だ。合格したら採用だから。では、がんばって」
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