第3話 オオカミとメイドと執事
バラの塊ががさりと揺れ、中から巨大な灰色の獣が這い出てきた。
画像照合すると、狼と合致した。
嘘だろ?
「離れてください」
狼とナギリアの間に立ちはだかったのは言うまでもない。
「犬でしょ」
彼女はヒョイッと身を乗り出すと呆れたようにつぶやいた。僕の英雄的行為に心を打たれていいはずだが。
狼がバウっと吠える。
「ハイイロオオカミです。88%外的特徴が一致します。766キロ北東に大型動物を扱っている哺乳類研究施設があるはずです。逃げ出して来たのでしょう」
惑星環境管理局に連絡しなければ。緊急通報プロコトルは上位のナギリアの権限によってキャンセルされた。
「首輪をしてるじゃない。この屋敷のペットじゃない?」
狼は舌をダラリと垂らしながら、これまた巨大な尻尾をブンブンと振っている。
「見てください、あの犬歯! 火星で突然変異したのかも」
もう一度、緊急通報プロコトル。また、キャンセル。
「想像力過多になってるようね。こんにちは。ワンちゃん」
あれば絶対ワンちゃんなんていう代物ではない。
月面都市なら、あのサイズの動物を飼育するは条例違反だ。
「刺激しないほうがいいですって」
ワンちゃんはナギリアがゆっくり差し出した手をクンクン嗅いでいる。
「わたしって狂犬病の予防接種打ったよね?」
「縁起でもない」
気が済むまで匂いを堪能すると狼は気が済んだらしく、ナギリアと僕の周りをバカみたいに回っている。ナギリアは尻尾を振りまくる狼の頭を不器用になでた。
ちょっとうらやましい。
左手首のスキャナを走らせると、オオカミの体内に埋め込まれた識別マーカーが反応した。
IDと保健局の管理番号、ワクチンコードがずらずらずら……。
少なくとも脱走して野生化した狼ではないようだ。狂犬病予防接種も済ませている。
純血のアラスカン・マラミュート。
ふーん。限りなく狼に近い。
「行こう、ワンちゃん」
ナギリアと僕とアラスカン・マラミュートは道なりに進み、館の正門までたどり着いた。
屋敷にピッタリな前時代的な巨大な木製の扉。火星の大気で腐食しないのだろうか?
ヴィクトリア朝風の外観は本物のレンガが組み合わされ、窓枠にはレリーフが優雅に彫られている。どっしりとしたその外観は摂政時代のロンドンを思わせる。
そんな時代が本当にあったらの話だけど。
古風な外観に似合わない薄いチタン製の最新式のインターフォンの前で、ナギリアはついてもいないホコリを払うと、背筋を伸ばした。
いつの間にかアラスカン・マラミュートは消えていた。きっと犬らしく、どこかをぶらついているのだろう。
「今なら、引き換えせますよ」
緊張している彼女の後ろで、僕は厳かに呟いた。
「アポイントを取ったからには、絶対に時間厳守よ」
やったー。お父様の教育は万全だったようだ。
彼女の父はアイザーテクノクス社のCEOであり、根っからのビジネスマンだ。こんなところで社会的常識ってやつが発揮されるとは。お父様もお喜びだろう。
ナギリアは息を吐くと、覚悟が決まったとでも言うようにインターホンを押した。
「ザイラスでございます」
巧妙に隠されたスピーカーから、鷹揚のない音が響く。この声はアンドロイドだ。
「十六時に面談の予約をしたアイザーです」
ナギリアが澄まして伝えると、古めかしい外観に関わらずドアは音もなく開いた。
そして、僕とナギリアはそのまま立ち尽くした。
目の前にメイド服姿のアンドロイドが立っている。
僕と同じく室内用事務アンドロイドだろう。アンドロイド特有のつやのない白い髪と褐色の肌。
ただし、紺のワンピースを着て、白いエプロンを身につけている。
頭につけている白のヒラヒラは、ボンネットだっけ? 違うな。ホワイトブリムだ。
僕は急いでデータベースを検索した。見間違えを祈りながら。
ワンアウト。
どう見ても、千年前のメイド服だ。
アンドロイドに女性用コスチュームを着せる人間は、現代では正統派の変態である。しかも重症の。
スカートの長さが分別的かをジロジロと観察する。
足首まで隠れていた。
少なくとも、メイド服姿にフェチ的な要素はなかった。だが、安心できない。ヒトはありとあらゆるものに、それがどうってことのないモノでもフェチズムを覚える特技がある。
僕が付いていながらお嬢様を変態に雇わせるわけにはいかない。
ナギリアは時代錯誤な物体に一瞬ひるんだようだが、母譲りのポーカーフェイスを駆使して何事もなかったかのように玄関に足を踏み入れた。
「客間へご案内いたします」
王族も真っ青な笑みを浮かべて彼女は頷いた。お母様の教育は完璧だったようだ。僕は慎重にナギリアの後に続いた。
「ちなみに、なんの職に応募したのですか?」
「助手よ」
僕は胸をなでおろした。
メイドだったら、どうしようかと思った。
客間には、燕尾服姿の長身の老人が姿勢正しく突っ立っていた。接着剤で高めたかのような一切の乱れのない白髪をなでつけ、片目にはモノクルをつけていた。
冗談だろう?
「ふむ」
ナギリアと僕を一瞥し右眉を上げる。
「このお屋敷の当主の秘書をしております。ダージンと申します」
ダージンは高らかに宣言するように言った。
僕は大急ぎで検索をかけて、彼が秘書ではなく『執事』だと結論付けた。メイドと言ったら執事だろう。
ワンアウト、フォアボール。
この屋敷の主が摂政時代の熱狂的愛好家だとすれば、執事にクラシカルな燕尾服を着せることも不思議ではない。
僕は燕尾服の裾にフェチ的な要素がないか観察した。
特になし。
とんでもなく時代錯誤なのはおいといて。
「ナギリア・アイザーです。十六時に面談の約束をしています」
執事が左眉を上げた。
僕が見てもわかる。万国共通の『こんな女の子が?』という意味だ。執事が見せたのは、それだけだった。
瞬きもしないで続ける。
「伺っております。当主がお待ちです。こちらにどうぞ」
ナギリアと僕はダージンに続き、玄関ホールから廊下に躍り出た。
屋敷の中も、外観と同様に隅から隅までアンティークだった。
吹き抜けの玄関ホールから、土地を大きく使った右翼と左翼に分かれた巨大建築は昨今の空間事情としてはほぼ見られない。地球ならともかく、そもそも地平に住むのは安全上の理由で好まれないし、どちらかというと高層住宅のフロアをぶち抜き、自家庭園を作るのが最近のトレンドだ。
今歩いている部分は右翼部分だろう。
庭園を見渡せる回廊には、巨大な絵画がいくつも飾られていた。
写真……ではないようだ。おとぎ話から飛び出してきたような、金髪の家族の肖像画が何世代分も並んでいる。目についたものを片っ端から美術館貯蔵収蔵データベースで検索をかけてみてもヒットしないので、たぶん個人的なものだろう。
船内活動用の作業服を着た僕が、タイムスリップした宇宙人かのように場違いに思えてしまう。僕の中の環境適用センサーが反応し、居心地が悪くなってくる。
回廊の奥には、年季の入った緑色に塗られた扉があった。典型的なカントリーハウスの間取りから言えば、ここは図書館だ。
ダージンは優雅にノックをすると、返事も待たずに扉を開いた。
僕らは彼に続き、厳かに薄暗い部屋に足を踏み入れた。
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