第2話 火星のカントリーハウス

「面接会場よ」


 ナギリアは意気揚々と歌うように言った。

 僕は思わず足をもつれさせた。人間だったら、間違いなく膝から崩れ落ちていただろう。


「失礼。もう一度お願いします」


「聴覚システムの更新をちゃんとしてるの?」

 ナギリアが僕を訝しげにじろじろと見つめる。失敬な。


「僕の聴覚は正常に動作していました。二秒前まで」


「め、ん、せ、つ、かいじょう」


「すみません。やはりシステムに不具合があるようです。面接会場がなんとかって聞こえます」


「いいえ、仕様通りの動作をしているわ。わたしは『面接会場』に向っている。まず面接をしなくちゃいけないの」


「なるほど」

 僕は恐る恐る続けた。

「それは働くとかなんとかに関係があるのですか?」


「働きはじめるには、まず雇ってもらう必要がある」


「もちろんです」


「だから、面接する必要がある」


「その通りですね」


「求人が乗っていたから、行く」


 僕が人間だったら、間違いなく突発性の頭痛を患っていたはずだ。

 視覚情報を一時的に遮断し、暗闇の中ゆっくりと十秒数える。ついでに心理モニタリングを表示する。波長はジェットコースターもかくやの角度で上下していた。


 落ち着け。


 僕は最高峰――発売当時――の人工知能を積んで、十代の女の子よりは分別と知能があるはずだ。少なくとも仕様上は。


「申し訳ありません、話がよく見えないのですが」


「あなたは今まで、何を聞いていたの?」


「面接がなんとか」


「I&Y社の人工知能はその程度?」


「僕個人を侮辱することは、I&Y社の技術者を侮辱することと同義なことをお忘れなく」


「あなた個人の能力を疑っただけよ」


 僕はもう一度十秒数えた。


「火星で遭難騒ぎなんて笑えませんよ。そろそろ引き返さないと日が暮れます」


「話をそらさないで。聞き返したってことは、聞こえたってことでしょ? あなたの望んだ答えじゃなかっただけで。わたしは、面接を、受けるために、歩いている」


「は、ははは」


「それはもういい」ナギリアが厳かに言い切った。


 僕はこの状況下における行動指針データベースを素早く走らせ、解決方法を探した。

 就職面接に受けに行く少女を止める方法。

 検索結果ゼロ。

 ちくしょう。

 人工知能の威信をかけて、一人の少女の決意を挫くくらい赤子の手をひねるようなものである、と証明しなければならない。


「一言言わせてもらえば、あなたは生まれてこのかた、一銭たりとも稼ぎ出したことはありません」


 彼女の答えは、微かに聞こえた鼻を鳴らした音だった。

 クソッ冷静になれ、僕! 

 子供の頃からの英才教育で、とてつもなくお勉強のできる女の子にこんな事を言っても無駄だ。

 彼女は十六歳にして大学を卒業したし、外惑星調査実習生に希望を出しアイザー家を前代未聞の大混乱に陥らせている。(ついでに反対されたら家出して混乱はさらに大きくなっている)


「まともに働いたことがない事を思い出してください」


「わたしの生活力のなさを指摘してくれなくてもけっこう」


「よかった。自覚がないのかと思っていました」


 ナギリアがじろりと睨むのを無視して僕は続けた。


「あなたがまずやる事は家に戻って家族に謝罪することでは?」


「その気はない」


「うむ……」と僕のうめき声。


 ナギリアは暢気に下手な口笛を吹いている。

 プランB。


「あなたが、働いてもご家族は喜びませんよ」


「ご家族を喜ばせるつもりは一切ないわ」


「僕も悲しいです」

 ナギリアが急に立ち止まり、くるりと振り向いてじっと僕を見つめた。


「あなたが寂しい?」


 アイザー家伝統の猛禽類のような小麦色の瞳に見つめられるとドキドキする――もちろんこれは比喩だ。虹彩には金粉が散っているようにきらめいていた。

 僕は精一杯落胆した表情を引っ張り出した。実際は歯を喰いしばっているけれど。


「自立よ、ゾラック。いつか子は親離れする。喜ばしい事だと思わなきゃ」


「ご家族の感じ方は違うでしょうね。信じられないでしょうが僕も」


「飛び出さなきゃいけない」


「何事にも段階ってやつがあるのでは?」

 

 ナギリアは肩をすくめてまた歩きだした。

 横顔には不敵な笑みが浮かんでいる。


「その一歩を今進めてるってこと。いつまでもお祖母様からもらった宇宙船でブラブラしているなんて、格好付かないでしょ」


「それは……自分で稼いで家出し続けるという意味でしょうか」


「その通り!」


 彼女は満足げに頷いた。

 これ以上歯を喰いしばり続けると、耳から人工神経細胞液が漏れてきそうだ。


「僕は最後まで反対していたと公式記録には残しておいてくださいね」


「見えた! あの屋敷よ! 見て! ゾラック」


 ナギリアの能天気な声が聞こえる。僕はしぶしぶ視覚野を彼女が指した方向に向けた。


「ザイラス邸よ」


 そして――色彩の洪水におぼれた。目の前が一気に開け、花吹雪が視覚全体を覆った。


 僕は眩暈を振り切って、四つの外部視覚カメラのレンズを絞った。

 何百もの花が咲き乱れ、視覚処理が追いつかない。


 バラ園が広がっていた。

 正確には巨大バラ庭園だ。

 いや、正確をきすなら超巨大バラ園だ。


 起伏の激しいこの土地で、見渡す限り薔薇が植えられている。目まぐるしい色彩を放つ花畑の奥に湖があり、その横にどっしりとした屋敷が霞んで見える。


 巨大な屋敷だった。見たことの無い建築様式だった。ザッと検索した限り洋館だ。

 

 しかも、レンガ造りの。

 レンガ造り。おとぎ話の世界だ。

 前時代的どころではない。五千年は前の様式に見えた。これは言い過ぎだけど。


 おいおい、今は二十四世紀だぜ? 地球からの移設は無理だろうから、この土地でレンガから作られたのだろう。


「すごいわね。ここだけタイムスリップしたみたい。完全なカントリーハウス。地球にもこんなの残ってると思う?」


「正直に白状すると驚きました。ここが例の面接会場ですか?」


「いかにも」


 ナギリアは自分がこの家を設計したかのようにエッヘンと胸を張る。


 その時、バラの塊ががさりと揺れ、巨大な灰色の獣が茂みをかき分けて這い出てきた。

 画像照合すると、狼と合致した。


 嘘だろ?

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