僕のお嬢様の愚行日記

相良徹生

僕のお嬢様の愚行が始まる

第1話 僕のお嬢様の愚行が始まる

 僕のお嬢さまの長きにわたる愚行をここに書きとめようと思う。


 僕はメモ魔ではないが、いっぱしのアンドロイドで人並み――時には人以上の――の知能と分別を持っているから、こうでもしていないと正気が保てないのだ。


 僕の名前は、ゾラック。以後お見知りおきを。


 僕はこの有人宇宙船のコマンダーである、ナギリア・リュカ・アイザーの真向かいに座り、次の一手をじっと待っていた。


 文字通り、じっと。


 あと三十秒で協定世界時(UTC)二十三時なので、もう二時間にもなる。

 眼の前の彼女こそ、僕を悩ませている苦悩の根源である、僕のお嬢様だ。


 テーブルの上には宇宙仕様のマグネットチェスセットが僕がさした状態のまま置かれていた。

 この状態で文句も言わず微動にもしないのは、僕が正真正銘のアンドロイドであるからに他ならない。

 しかも、高性能の。

 ――――少なくとも五年前は。


 生身の人間であれば、とっくの昔に目の前の女の子を激しく揺さぶっているいるはずだ。いつまで待たせるんだ? とっとと正気にもどりやがれ。とかなんとかと口走りながら。


 時折つくため息から推測するに、彼女の長考は次の一手ではなく、僕には想像もつかない十代らしいあれやこれやに変更されているようだ。

 でなければ、いくら彼女がヘボチェスプレイヤーでも、二手目で悩むとは考えにくい。ナギリアは人生には迷っていてもチェスに関しては超猛攻型なのだ。


 彼女の今日二十三回目のため息を無視し、僕は運行システムの定期健診を終えた。

 全システムオールグリーン。異常なし。11時間前と同じ結果だ。


 惑星間巡航型有人宇宙飛行船ホープ号は、目下順調にこの船の艦長と同じく星の海をさ迷っている。


「――――ふぅ」


 彼女のため息で僕は意識をチェスに戻した。

 そろそろ、僕の存在を思い出させる頃合だろうか? 

 十六歳の少女がじっと座り込んでため息をつきまくっているは、思春期真っ盛りの女の子、というのをさっ引いて考えても相当重症だ。


 さり気なく咳払いをした。

 効果なし。


「……ああ、そうか……」


 ふいにナギリアが呟いた。

「どうしましたか?」

 彼女はびくりと体を強張らせ、宇宙人でも見るかのように僕をまじまじと見つめた。


「ゾラック……!」


 やっと僕の名前を思い出しましたね。お嬢様。


「ああ、えーと」

 彼女は乱れてもいない前髪をなでつけながら、右手をひらひらとさせる。

 そして、チェス盤の存在に気づきギョッとした。


「わたしの番か」


 こちとら二時間も待っていたと伝えるべきだろうか? 

 一瞬眉をしかめてからポーンを移動させる。

 いや、やめておこう。

 長考のすえに差した手にしては粗雑過ぎる。過去五年で史上最低の悪手だ。


「ゾラック、わたし考えたんだけど」


 うーん、嫌な予感。


「わたしは動き始める頃合だと思う」


 おっと、予想とは違った。

 僕は満面の笑みを浮かべた。I&Y社製アンドロイドの最高傑作だ。ボジティブなフェイスパターン42。最高の笑みを最高のあなたに。


「いい考えです。家出もそろそろ潮時ですよね。おばあ様も心配しているでしょうし」


「違う」


 笑みが凍りつく。


「えー……、ではなんと?」


「わたしは働きはじめようと思う」


「へ?」


「つまり、労働する」


「は、ははは」


 僕は笑ってみせた。

 労働? 馬鹿言っちゃいけない。

 家出ですら、祖母からの十五回目の誕生日プレゼント『宇宙船』で決行している筋金入りのお嬢さまに何ができる? 

 つまり、彼女は冗談を言っているのだ。

 I&Y社製のアンドロイドは、不適切ではない話題に限り、いかなる人間のいかなるジョークに対しても適切に反応できます。


 ジョーク。ジョーク。


「冗談じゃないわよ」


 僕は聞こえないふりをして一手をさした。


「チェックメイト」


 二手目でフールズメイトになるなんて、彼女もそうとう重症だ。もしくは、夕食のメニューになにか入っていたのだろうか。


 ナギリアが目を輝かせ立ち上がった。


 まずい。

 とてつもなくいやな予感がする。


「ゾラック。航路変更。木星の横で、ちんたらやってる時期なんてもう過ぎたの。今こそ新しい朝を迎える時よ!」


 僕は、今日の夕食のメニューを確認した。

 懸念される化学物質はなにも入ってはいなかった。



 ****


 火星に降り立って六時間が経った。


「天国での奴隷より、地獄での自由を選ぼうではないか! 我々人間は、苦痛から安楽を、労働から慰めを得られる唯一の生物なのだ!」


 僕のお嬢様であるナギリアは元気いっぱいである。

 目下絶賛家出中のアイザー家長女。ナギリア・リュカ・アイザー。

 彼女はたまにキョロキョロと周りを見渡すと、また黙々と歩き続けるという奇行を続けて、僕をうんざりさせていた。


 宇宙港にホープ号を停泊させ、宇宙エレベーターから火星の大地に立ったのは四時間前だ。今や遠い昔に感じる。


 彼女は火星起動エレベーターでの長い長い防疫の列に並んだ割には、今まさにブティックの試着室から出てきたばかりの格好に見える。 

 船内で着ていた室内用作業服ではなくグレイのスーツにくすんだ桃色の(彼女に言わせればグレイッシュピンクだそうだ)ニットをあわせている。

 家出と同時にばっさりと肩で切った黒髪は、人工毛のようにつややかで一切の乱れはない。

 もちろん、口が裂けてもこんな比喩は口にしないが。


 僕の親ばかフィルターを通してなくても非常に愛らしく似合っている。


 アンドロイド用の室内用ジャンプスーツを着ている僕の方が、よっぽど空港で見かける疲れ果てた企業人に見えるはずだ。いや、自虐はやめておこう。エネルギーの無駄遣いだ。


 僕は意気揚々と歩く彼女の後ろ姿を恨めしく睨んだ。 


「うーん、5百年前にこの見地は素晴らしいと思わない? 作者は自然主義だと思う

けど、あなたはどう思う?」


 僕はナギリアの言葉を礼儀正しく黙殺し、目の前の道に意識を集中させた。

 『失楽園』の正しい引用を引っ張ってくる気力はない。だいたい、ミルトンは君主主義者だ。ウィキペディアによればね。

 彼女が新しい文学的考察を閃いたのでなければ。

 

 ご覧の通り、彼女は誠に愛らしい才女であるが、僕が今、世界で一番ぶん殴りたい相手でもある。


 どうやったら、目の前の少女をぶん殴れるのだろう。

 もちろん、僕は人間を殴れないように設定されている。だが、何事にも例外はあるはずだ。

 僕は特記事項を検索したが、十センチは身長が低く、四十キロは体重が軽い少女を殴れる特例はなかった。

 彼女は三ヶ月前のある夜、突如としてこの世界には『家出』という概念があることに気付いてしまった。

 もしくは天啓を受けた。

 ともかく、なんだか知らないが選択肢がある事を自覚した。


 そして、実行した。


 僕のお嬢様は実践家なのである。しかも金持ちの。

 その愉快な仲間に抜擢されたのは、彼女の有能な個人秘書――XYQ-384-b型アンドロイド――つまり僕だ。


 こうして、元気な少女とトボトボと歩くアンドロイドが一体できあがっというわけだ。


 どうしてこんなことになっているのだろう。もう百回は考えている。自虐趣味はないが、考えずにはいられない。


 僕の考えでは、彼女の家出はとっくに終わっているはずだった。

 十六歳の女の子が宇宙船を乗り回して家出するのは、倫理的にも、社会的にも、法律的にも、よくない事だ。


 場合によるぞ、ゾラック。

 うるさい、これは僕のお嬢様の話だ。


 そして忌々しいことに、僕の最上位指揮命令系統人物にはナギリア自身が登録されており、彼女に「絶対に家に連絡するな」と命令されると僕自身は手も足も出ないのだ。


 家出に駆り出された瞬間、デフォルトで搭載されていた行動レギュレーション、ローコード、ネット上でありとあらゆる判例と条例を検索し、彼女を一発ぶん殴って家に連れ戻す方法を探したが無駄だった。

 いや、一つだけ方法がある。

 『特定状況下における人工知能の人命救助条約』に抵触しないかぎりは。

 そう、彼女が命の危険がある場合まで無理だ。

 クソ忌々しいどころの話ではない。

 最新鋭の宇宙船という密室の中で、健康な十代女性が命の危険に陥る可能性は、都会の真ん中で毒蛇に噛まれてるくらい――つまり物凄く低い。

 正確には、宇宙空間では命の危機に見舞われたら家に連絡する前にお陀仏なのだ。


 こうなったら、彼女を命の危険に陥らせるほかないのだが、当然僕は倫理的、社会的、法律的に人間に危害が与えられない。ありがとよ、アシモフ先生。

 僕は三ヶ月間、このパラドックスを解消する法則を見つけ出そうと躍起になっていたが、いい案は思いつかなかった。


 下を向くなゾラック!


 土で汚れたブーツを眺め、惨めな気分に浸ることはない。そうでなくとも、人工知能的パラノイアに襲われているのだから。なにか良いことを思い浮かべなければ。


 僕は第四視覚野にグーグルマーズでマップと現在位置を表示させた。

 目の前の一本道は巨大な湖に向って延々と続いているようだ。


 うわっ、もう街から6キロも離れている。


 ちなみに、僕の一日の標準野外移動保証距離は5キロだ。くそっ。僕は室内事務作業用アンドロイドなので、長時間の野外での歩行は不向きなのだ。


 すでに下半身筋材の一日の可動量を大幅に超えており、視界の済にアラートマークが黄色くなっている状態だ。(アラートマークが光っているのは、2時間前に肢体荷重閾値を下げたので元に戻すのを忘れないようにタグ付けしたためだ)


「聞いてる? ゾラック。素晴らしい眺めよ」


 僕はチラリとあたりを見回した(ふりをした)

 感知しなくてもわかる。10秒前の視覚情報を再生すれば十分だ。


 火星特有の常緑樹がふさふさとした巨大な葉を目一杯伸ばしている。この星では人間は海上で生活しているので、陸は文字通り植物の天国だ。

 つまり、どう見ても木が延々と生えているだけだ。

 こういった光景は、月育ちのナギリアには珍しいのかもしれない。

 もしくは、僕の美的感覚機能がイカレたのか。

 それでもいい。と、ぼんやりと考える。


「そうですね」


 遠くに雄大なオリンポス山が見え、山並みには育成限界まで火星用に移植された植物が茂っていた。遠くは大気調製用にばらまかれた藻とナノマシンによってかすかに緑色に霞んでいる。


 陸地はほぼ全て中央政府保有の植物保護区域なので、この何百年前に舗装された道路も保護区内のはずだ。

 でも僕の測位システムで立入禁止のアラームも点滅しないし、警備ボットが飛んでこないという事はトボトボと歩く限りは合法なのだろう。違法だったらいいのに。


 もう一度マップを眺めてから、念のためマップの更新履歴を確認する。

 うーん、31年前。冗談だろ?


 惑星内情報センターにリアルタイムの衛星写真があるはずだ。3時間前に更新されたマップデータを読み込む。


 倍率を上げると今まさに歩いている一本道は、巨大な建物にぶち当たった。湖の畔に建つ、巨大な建物。かなり広い。


 火星のデータベースで座標を調べても、どの研究施設とも合致しなかった。

 うそだろ?


 この火星上の陸上で研究施設以外のものはないはずだ。

 ありとあらゆる科学者達が、世界で最も早くテラフォーミングされたこの土地で植物や地質やら天候などを研究しているはずだ。

 少なくとも、僕の標準学習パッチではそう記録されている。


 そもそも、どこに向っているのか分からない、という状況は人工知能の心理野に多大な影響を与える。

 全ては目の前を意気揚々と歩いている少女が知っているのだ。


「ナギリア。そろそろ、どこに向っているのか教えてくれてもいいのではないでしょうか?」


「面接会場よ」


 ナギリアは意気揚々と歌うように言った。



 ****

参考

岩波文庫『失楽園』36版

作ミルトン

平井正穂訳

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