第28話 宿命 1
霧島病院を出た私たちは渋谷に向かって車を走らせていた。
未来はインタビューを受ける場所に余人の目から切り離された場所が良いと言って渋谷にあるビジネスホテルを指名したからだ。
何故そのホテルを指名するのか?以前来たことでもあるのだろうか?そんなことを考えながら運転していると未来が話しかけてきた。
「もう気がついていると思うけど私は普通じゃないわ」
「わかってるわよ。そんなこと」
信号が変わったので車を止める。
「地下への扉を開ける協力者がいると言ったのは嘘。あれはレベル3を使って鍵を持っている人間に開けさせておいたの」
「工事現場の入り口も?」
「ええ。以前あなたがあそこを見に行ったときに私も一緒に見たの。そのときにくまなく見たわ。霧島病院の人間が監視のために数人いるのも」
「私が見に行ったときに一緒に見たって……あなたはあの場にいなかったわ」
「それもこれから話すわ」
赤から青に信号が変わったのを確認してからアクセルを踏んだ。
渋谷に着いたのはもう午後四時になろうかという頃だった。
一階にあるコンビニで飲み物を購入した後は、フロントでチェックインの手続きを済ませた未来の後ろにくっついてエレベーターに乗る。
部屋は十五階にある1510号室だった。
部屋に入ると自動で照明が点いた。
室内はモノトーン系で統一されていて落ち着く雰囲気で、未来はベッドの横にある椅子の一つに座ると、テーブルをはさんだ対面の椅子を私に勧めた。
「話す前にこれを見せておくわ」
私が座るのを見てから未来がバッグからクリアファイルを出すと私の前にそっと差し出してきた。
「見てみて」
言われた私はファイルに入っていたクリップ留めされた紙と一枚の写真を取り出す。
「その写真は恭平の家にあったの」
「これは……」
古い写真で数名の白衣を着た大人に入院服を着た十三人の子供。
これが珠代の言っていた感応波の高い男女をかけ合わせて作ったという先天的に異常な強さの感応波を持つ子供たちか。
「ああっ!」
私は写真に写っている一人の少女を見て驚いた、というより恐怖したと言った方がいい。
「これあなたじゃないの!」
写真の少女は年齢こそ十三~十五歳くらいに見えるが、その顔は間違いなく未来だった。
「そう。それが本当の私」
「本当の私って、年齢が合わないじゃない……この子が生きていても六十歳を超えてる……あなたはどう見ても」
戸惑う私の反応を楽しむように未来は黙って見ている。
わからない。これはどういうことなんだろう?
「そ、それにこの男の人、見たことあるわ」
背が高く細面で長い前髪を垂らした端正な顔立ちの男性。メガネをかけている。
いつか私が夢で見た男性だ。
「見たって夢で?」
「そ、そう。なんでわかるの?」
「その人が小織准教授。私があなたの中に入っていたときに精神が影響を受けて私の記憶を夢で見たのよ。私の感情と一緒に」
あのとき夢で感じた不思議な感情を思い出す。
男性を見たときの幸福感。空を見たときの激しい感動。
「私の中に入ったって……どういうこと?」
「あなたの中には何度も入った。あなたの夫の中にも入って私の意思を反映させてきた。あなたが消極的になったときは私が導いてきた。ときには私の言葉をそのまま言わせたり」
言われてみれば思いあたる節がある。
自分の中で背中を押すような声を聞いたこと。あれが未来の仕業だったのか。
慶一の自分とは思えないと言った珠代へのインタビュー。あれも未来が言わせていたのか。
さっき私と一緒に工事現場を見たと言ったこともこれで合点がいった。
「じゃあ、保奈美さんたちの記憶とか、誰かに話すように強く思わせたのもあなたの仕業?」
「ええ。いろいろと理由があってあの子たちを利用した」
「彼女たちも殺したの?」
未来は首を振る。
「いいえ。ただ脳や精神的な負荷に耐えられなかっただけ。人によっては長期間私が中にいることに耐えられなくなるみたいね。それが突然死や自殺という形で現れた。新しい発見だったわ」
「その言い方……それじゃああなたもさっきの連中と変わらないじゃない」
「そうかもね」
未来は微笑を浮かべると私が抱いた嫌悪感など意に介さずに続けた。
「私はインターネットに自分の感応波が入り込めるか実験していた。結果は入ることができた。そして私たちを実験した人間たちの手掛かりを探していたの。そうしたらあなたが暴動事件を調べていることを知って、なにか近しいものを感じたあなたに協力してもらおうと思ってそれ以来見ていた。最初に会ったときに言ったでしょう?あなたとは初めて会った気がしないって」
未来はクスクスと肩を揺する。
最初に会ったときに未来が「はじめて会った気がしない」と言ったのはそういうことだったのか。
「あなたの目を通して私はいろいろなものを見せてもらった。あの珠代とかいう女もあなたの中から見た。全ての元凶を作り出した連中の片割れ」
「あのとき私の中に敵意が芽生えたのも、あれはあなたの感情?」
「そう。昔、嫌な奴から感じたことのあるものと同じものを感じたの」
長い髪がはらりと肩から落ちる。
「これから順を追って話すわ。さあ、はじめましょう。これが最後のインタビュー。これで全てがわかるから」
未来が微笑む。
その顔は比べるものがないほどの美しさだった。
未来は語りだした。自分の過去を。そしてすべての真実を。
「あなたが知っているあの施設……私があそこに入ったのはもう五十年以上前。あなたよりも……もちろん今の私よりも若かった。私の他に十二人……みんな親の顔も知らなければどこで生まれたのかもわからない子ばかり。私もそうだった。そしてみんな名前がない。だから番号で呼ばれてたの。私は四番。四番目に産まれて施設に来たから」
「ちょっと待って!四番目ってもしかして?」
珠代が言っていた四番目に産まれた子供。それは祖母の姉が産んだ子だ。
「ええ。私とあなたは同じ血筋から産まれたことになる。親戚ってところね。ありがとう。あなたのおかげで私は自分を産んでくれた人を知ることができた」
「それは信じられない。さっきも言ったけどどう考えてもおかしいでしょう?」
「写真と一緒に渡した紙を見てみて」
写真に気をとられていた私は一緒に渡された紙の方をまだ見ていなかった。
「なにこれは……」
「私がファイルから抜き取っておいたもの。あなたにいつ見せようか考えていたの」
カルテのようなものに病院服を着た子供の写真が貼ってある。
未来から手渡された写真に写っていた子供だ。
写真の下に「三番」の番号。この子は三番目の子供ということか……
そして下の方には「サンプル摘出」「死亡」と書いてある。
次のカルテも同じだった。
「サンプル摘出」「死亡」。
次も。次も。その次も。
「実験の負荷に耐えられなくなった子たちは外の病院に連れて行かれたと聞かされたけど、事実は違っていた。投薬実験のサンプルとして臓器を摘出されてから殺されていたのよ」
最後に「四番」と書かれた子供のカルテを見た。
さっき見た写真より少し幼い感じの未来そっくりな写真が貼ってあった。
下には「死亡」とあるが「サンプル摘出」はない。
待て待て……これはどういうことなんだろう?未来が異常な力を使えるということは霧島病院で分かったことだ。
霧島病院が研究していた力を未来も使えるのは目の前で起きた現実を考えれば理解できる。
さらに未来はこの写真の子が自分だという。
しかしこの子は珠代の話によれば何十年も前に死んでいるではないか。
「わかるわ。すでに死んでいる人間と同一人物なんていくらなんでもあり得ない」
「そうよ……似ているだけならわかるけど、同じ人間だなんてあり得るわけがない」
「珠代が言っていたことを思い出して。暴走した被検体が死んでも精神感応波は残っていたということ。それが私……私たちと言った方がいいかな。他の子たちの思念も混ざっている」
「死んだ後にって……それじゃあまるで幽霊じゃないの」
「そう解釈したければそれでいい。あなたの許容できる解釈をすればいい。そのとき肉体を失った私の精神の核(コア)が他の子たちの思念と混ざり合い精神感応波を出し続けていた。そして弓月未来という子の体の中に入ったの。それが今の弓月未来……今の私。四番」
信じられない……とても信じられないが今はそれで納得するしかなかった。
目の前にいるのは弓月未来であり、四番の少女なのだ。
「あなたもしかして私の子供と話した?」
美琴が四番目のお姉ちゃんと話していたと言っていたことを思い出した。
あのときは架空の友達のことかと思っていたが、今こうして未来からの話を聞いていると彼女が美琴と話したとしか思えない。
「ええ。美琴ちゃん可愛い子ね。あの子は勘が良くて私の存在を感じていた。だから話してみたの。どうせあなたたちには私は見えないから」
「でも感じたことはあるかも……誰かがいるような気がしていた……視線も」
「そうね。あなたは漠然とだけど私の気配だけは感じていたときがあった」
あのときに感じた恐怖を思い出した。
その恐怖の正体がこうして私の前に座っている。
しかし今の私はあのときの恐怖を感じない。
それは目の前に実体として相手が存在しているからか?
「続けるわよ」と断ると未来は話を再開した。
「年はばらばらだけど、私たちは家族のように互いを思いあっていた、私はお姉さん役でもあり、お母さん役でもあった」
そう語る未来の目は懐かしむように遠くを見つめるようだった。
「懐かしいの?」
「そんな顔してた?……そうかも……懐かしいのかも……私がお母さん兼お姉さんで……一番から三番も年長だったから交代でお兄さん役やお姉さん、お父さんやお母さん役をしたっけ」
「施設の人は?どんな人だった?」
「みんな優しかった……いや、優しいというのではなくて厳しくなかったという感じかな。
私たちはあの人たちとは違う……実験対象だから」
「それは誰かに言われたの?」
「わかるの。感じるのそれくらい」
「じゃあ待遇は酷かったの?」
「そのときは酷くなかった……本もあったし勉強もできた。でもそれはあの人たちが私たちと効率よく会話したり意思疎通をするためにされてたこと……私たちのためを思ってのことじゃないの。毎日実験をした……何の薬なのかわからないものを打たれたり飲まされたり……体に電気を流されたり……でもそれが普通だと思ってた。他にどうしようがあるの?そんなときだった……あの人が来たのは」
「あの人?」
「小織准教授。私の先生……背が高くて……男の人なのに髪が長くて……メガネをかけてた。優しくて寂しそうで独りぼっちな人だった。あの人……とても素敵な研究をしていたの。体に障碍を持つ人を助ける研究って言ってた。例えば義手や義足を付けた人……その人たちが頭で思ったように義手や義足を動かせて、思ったように体を動かせる……そうすれば寝たきりの人だって自分の意志で動くことができる。あの人はそう言っていた」
「それは霧島病院でもやっていたサポート技術のことね」
未来はうなずく。
「脳波……私やあなたからも出ている脳の電気信号……あの人は精神感応波と言っていた。それを増幅すれば思うように体を動かせる。私そのとき思ったの。なんのために生まれてきたのか?なんのために生きているのかわからない私に初めて生きる意味が生まれたって。私の力は……私の力は困っている人の役に立てるんだって。先生の役に立てるんだって」
「どうしてそんなふうに?」
「先生だけだから。私たちのことを同じ人間だと思ってくれたのは。接していてわかったわ。この人は私たちを人間だと思っているって……生きる意味ができたの。あなたにわかる?この喜びが」
私は返す言葉がなかった。
うなずくこともできずに聞いていた。
「そして新しい実験が始まった。私たちは離れた場所にいる人を自分が思うように動かす実験をするようになった」
どうして義手や義足を動かすことに人をコントロールする実験が必要なのかは珠代の言っていたことでわかった。だが小織准教授はそのことを知っていたのだろうか?
レベル3を軍事転用するということを。
未来にそのことを尋ねると明確に否定した。
小織准教授は純粋に障碍者のサポート技術の研究をしていたのだと。
話しは実験にもどる。
「遠隔操縦って先生は言っていた。あの頃はあなたが研究所で見たようなフレームもなにもなかったの。だからまずはイメージしたとおりに動かせる数値を計る研究を優先させただけ。あなたが見たファイルのレベル3のところよ。こうして自分の精神の一部を切り飛ばすの。こんなふうに。そして対象の人の精神に入り込む……干渉して私と同じことをさせる。義手とかを動かすのも原理は同じ」
未来は自分の小指を逆の手で握ると抜いて飛ばすような仕草をした。
「ほら」
「ええっ!」
私の右手が私の意識とは関係なく勝手に上がった。下げようとしても下がらない。
自分の腕なのに自分の制御を受け付けない。
おののき慌てふためく私が未来を見ると、ようやく腕が下がった。
「今あなたの右手を上げさせたのは私。私の精神の一部が今あなたの中に入ってる。怖いでしょう?そう。私は恐ろしいの……普通じゃない。私たちはそうした精神感応波というものが異常に強い十三人……普通じゃない十三人」
私の中に未来に対する恐れが生まれた。
自分の中に異なる他人の意思が入り込み動かされる恐怖は、さっきまで見せられた惨劇の恐ろしさとは質が違う。
「感じる……あなたから施設の人たちと同じ感情。霧島病院で抱いた恐怖、さっきまでの嫌悪感なんて比べものにならないくらいの……異常、異質、未知なるものに抱く恐れ。でもあの人は違った。先生は私たちを同じ人間として見てくれたから私も応えた。実験や治療は辛いときもあったけど……でもあの人の研究に役立てることが私の喜びだった」
テーブルをはさんで話す未来の整った顔を窓から差し込む西日が照らす。
「私の感応波は周りも驚くくらいに飛躍的に強くなっていった。先生は喜んでたわ。そして体に負荷がかかる私を心配してくれた。嬉しかった……」
私の目の前にいる弓月未来……いや、四番目の少女は目を潤ませた。
私が彼女の口にする生い立ちをいくら想像してみたところでとても及ばないだろう。
こうして普通に暮らしている私たちからすればその絶望はあまりにも大きくて、大きすぎて見えないほどだ。
なんの希望も夢もない日々が作り上げる絶望。
それがどれほど大きいものか。
そんな日々に彼女にとっての光がさしたのだ。
それは淡い気持ちが過度に大きく抱かせた幻想かもしれない。
それでも光がさしたのだ。
彼女のこの表情を見ていればわかる。
「見せてあげるわ。私がどんな実験をしていたのか」
未来が言うと私の頭の中に突然景色が浮かんできた。
これは実験室……そうだ、未来と降りた地下にあったあの実験室だ。
明るい照明に照らされて大勢の白衣を着たスタッフがいる。
その中には小織准教授の姿もあった。
椅子が一個置かれていて、一人の少女が連れてこられた。四番の少女だ。
椅子に座ると少女の頭や手足にいくつもの電極が貼り付けられた。
少女の前にテーブルが運ばれてきて、スケッチブックに鉛筆、本が置かれる。
その前に小織准教授が座るテーブルがあり、モニターが二台。一台には目の前にいる四番の少女が映っていて、もう一台にはここにはいない男性が映っている。
「これは私が精神感応波で上にいる病院の患者を操縦する実験。私と同じことをさせて、その時間と感応波の数値を計るの」
実験風景が映る頭の中に遠くから聞こえるような未来の声が響く。
「じゃあ始めるよ。先生」
少女はそう言うと目を閉じた。
「計測スタート。モニター監視」
小織准教授が横にいる助手に指示を出す。
少女が目を開いてスケッチブックを手に取るとモニターに映っている男性患者もスケッチブックを手に取った。
「早い」「この前より精神同調が五秒も短縮できてる」
助手たちが声を上げる。
少女が何か描き始めると男性患者も同じように描き始めた。
一枚、二枚と描いていく。かなり線の多い写実的な絵だ。
「脳波と心電図は?」「乱れていません。正常です」小織准教授に助手が計測する機会を見ながら答える。
絵の次は本を朗読し始めた。モニターに映る男性患者の声をスピーカーから流すと一言一句少女と同じことを口にしている。
「二十分を超えました」真剣な表情で少女を見る小織准教授に助手が告げる。
実験はさらに続いたが徐々に少女の呼吸が乱れ始めた。
それでも少女は続けようとする。
「脳波と心電図が乱れてきました」
「もういい。ストップだ」
小織准教授が言うと少女が背もたれに体を預けて大きく息を吐いた。
「凄いですよ!大幅に操縦時間が伸びています!」興奮する助手に目もくれずに小織准教授は少女に駆け寄り電極を外す。
「大丈夫か?」
心配そうな声をかける小織准教授に少女は笑みを見せた。
「大丈夫。それより先生、どうだった?私この前よりも頑張ったの」
「ああ。精神同調の時間も短縮され、操縦時間は大幅に伸びていた。君は凄いよ」
「良かった」
「でも無理はダメだ。呼吸が乱れたり体調の変化を感じたらすぐに自分から同調を解除するんだ」
「はい。ごめんなさい……でももう少し頑張れたよ」
小織准教授は優しく微笑むと少女の頭を撫でた。
そのとき自分の中に嬉しさと愛おしさがこみ上げてきた。
これは少女が抱いた感情なのか。
テレビ画面にノイズが走るように景色が乱れると頭の中からヴィジョンが消えた。
「今のがレベル3の実験……」
「そうよ」
自分の頭に全く知らない光景が映し出される……それも他人から送られてくる記憶があれほど鮮明に映るなんて。
たった今の出来事なのに信じられない。
「どうだった?」
「あの人に頭を撫でられたところで感情が昂った。あれはあなたの感情ね?」
「ええ」
「小織准教授は優しい人だったのね」
「そうよ。私も満たされていた……でも恐ろしい実験が始まった……」
「恐ろしい実験?」
「所長が新しくなったの。その人が始めた実験……新しい所長は女で、さっきの珠代に似ていたわ」
「その恐ろしい実験というのが……」
「レベル4の実験よ。私たちはその実験で過度のストレスを与えられた……その私の精神が目の前に置かれた檻にいる犬に作用するの。犬はいつも数匹いた。投薬と電気ショックでストレスを与えられた私の感応波が強くなると犬が急に狂暴になって他の犬に襲い掛かる……一匹だった狂暴な犬はすぐに二匹、三匹と増えていって最後は死んでしまう。
目や耳や鼻、口から血をだらだら流して……」
「暴動事件と同じ……あれはあなたがやったの?」
「ええ」
返事をした彼女の顔はぞっとするほどの冷たさを感じた。
不自然なほど整った顔立ちから一切の感情が消え去ったような顔。
「教えてちょうだい。暴動事件のときに暴徒と同じ状態になりながら自殺するものがいるのはなぜ?自殺者もレベル4の感応波を受けた影響なの?」
「ええ。狂暴化した際に他者への攻撃を拒絶した結果、殺傷行為が自己に向けられるケースがあるわ。攻撃衝動を外に向けるのを拒んだ結果、最も近い自分に向くのかもね。私にとってはどうでもいいことだけど、結局は攻撃衝動そのものを止める術はないということよ」
肩から落ちた髪を話しながら白く細い指ですくい上げる。
「話を戻しましょう。私はあの犬を使った実験が嫌でたまらなかった。私だけじゃない他の子もみんな嫌がっていた。あの実験が始まってからだんだんと体調が悪くなる子が増えていった。なにか強い薬をたくさん摂取させられて……一人また一人と病院から姿を消していった。結果はさっき話した通りのものよ」
実験施設から消えた子供は殺されて切り刻まれた。
「辛い日々だった……でも私は頑張った。先生の実験を成功させることだけが私の生きる目的だったから。他の子がどんどんいなくなり、過酷な実験が増える中で皮肉にも私の力はどんどん強くなっていった。そんなある日、私は先生と話す機会があったの。体調を崩したときに先生が私を見に来てくれた……」
未来はまた遠い目をした。
なにを思い出して見つめているのか?
彼女の今までの話しから想像するしかなかった。
「私は先生から犬を使った実験が人間に使うことを想定したものだと聞かされて怖くなった。あれを人間に使ったら大変なことになる。先生もそのことを心配していたわ。でも自分にはどうすることもできないって言っていた。所長が主導で進めている研究で、かなり偉い人たちから期待されてるって……だから止めさせることはできないって。それでも……それでもなんとか止めさせるように進言してみると言っていた」
しかしそれは叶わなかった。小織准教授は研究チームから外され殺害された。
あのときの未来の反応がようやく理解できた。
うつむき肩を震わせて……あれは悲しみを必死に押し殺していたのだと。
「それからも私と先生はいろいろ話したわ。一番覚えているのは私の名前の話しのとき」
「名前?」
「私には名前がないの。番号で呼ばれてたから。あなたももう知ってるでしょう。四番。あれが私の名前。でも番号じゃない名前が欲しかった……先生はいつか私を……私たちみんなをこの施設から出して名前を付けてくれると言ってくれた……嬉しかった……こんなに嬉しいことはなかった」
だが、なにもかもが叶わなかったのだ。
聞いていて私は彼女の中の悲しみを理解しようと努めた。
悲しい。あまりにも過酷で悲惨な人生だ。
「ある日、先生は私を外に連れ出してくれた。上にある病院の中庭だけど。なんだか暑いときだった。陽の光がじりじりと肌を刺激するような時期……夏だったのかな?木に生い茂る葉がみんな青かったのは覚えてる。眩しいくらいの日差しに気持ちの良い風が私の髪を揺らしたの。これが「世界」なんだと思った。私がいる狭い地下とは違って空は青くて広かった。どこまでも青くて果てが見えないの。とてもとても感動した。本当の世界では全部が生きてるんだって思った。そしてこの世界に私たちを生み出した人間が生きてるんだと」
「私が夢で見たのはそのときの記憶なのね……だからあんなに激しい感情の動きを私も体験した」
未来は黙ってうなずいた。
「でもその後で先生は姿を消してしまった。私の前からいなくなってしまった。もう私には苦痛と絶望しか残っていなかった。そして私は死ぬ。そのときのことを教えてあげる。それが数十年前にレベル4が暴走した原因。さっきみたいにヴィジョンを見せてあげる」
未来が言うと私の頭にさっきと同じようなノイズが走った画面のような光景が滲み出てきた。
「見なさい……これが私の真実……あなたたち人間がやったことの真実よ」
私の頭の中に未来の囁くような声が響いた。
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