第27話 悪魔の所業

 私の霧島病院への来訪はこれで二度目になった。

部下二人が乗る車に続いて敷地内に入る。

「嫌な建物ね」

降り注ぐ陽光を反射させて光り輝くような建物を見て未来がつぶやいた。

車は外来用の地上にある駐車スペースを通り過ぎて建物脇にある地下へのスロープを降っていく。

地下二階を通り過ぎて地下三階へ。

車を停めて降りると車寄せにある自動ドアの前まで歩いた。

ドアの脇にあるカードリーダーに部下がカードをかざすと静かな音を立ててドアが開く。

中に入ると壁には大きな絵画が飾られてあり、その右側にさらに自動ドアがあり同じようにカードをかざして奥に入った。

そこにあったのは黒い扉のエレベーターで、呼び出すのも中で行き先を選択するのも全てカード操作によるものだった。

行き先は院長室がある最上階。

最上階に着くとフロアの廊下というよりは仕切られた区画の中だった。

目の前に扉があり部下はその横にあるインターホンで名前を告げた。

どうやら中からロックされていて限られた人間しか自由に出入りできないらしい。

シリンダーが引っ込む音がすると部下が扉を開けた。

三人の部下に続いて私と未来が入ると窓際のデスクに座っていた珠代が驚いて立ち上がる。

この部屋には珠代しかいないようで以前私たちを案内した室長の姿はない。

「どういうこと!あの場で始末しろと言ったはずでしょう!なぜ連れて来たの?」

珠代が部下を鋭く問い詰める。

どうやら部下は珠代の「始末しろ」という命令に背いて私たちをここに連れてきたようだ。

なんでそんな真似を?

「ここからが見物だから」

横に立っている未来が落ち着き払った声で私に囁く。

この状況で未来はいささかも取り乱した様子がない。

私はそのことに驚いた。

「さあ!ここから連れ出してしかるべき処置をしなさい!」

珠代が怒鳴るとふいに部下たちが頭をおさえて呻きだした。

よほど痛いのか膝を折る者までいる。

「ど、どうしたの?ちょっと!」

狼狽する珠代。私もなにが起きているのか理解出来なくて、ただ苦しむ部下たちを見ているしかなかった。

「ぐああああ!!」獣のような叫びをあげた瞬間、部下たちは全員痙攣しながら倒れた。

「きゃあ!」悲鳴を上げたのは私と珠代だった。

倒れた部下たちは目、鼻、口、耳から夥しい血を流して死んだのだ。

同じだ。保奈美が死んだときと全く一緒だ。

「ひいっ!」怯えた声を発した珠代が内線電話をかけようとするのを未来が止めた。

「止めて。まず座って」未来が珠代に向かって命令すると珠代はがたがたと震えながら受話器を置き椅子に座った。

「ど、どうして!私は座りたくないのにどうして!」取り乱す珠代がなにを言っているのかわからない。

私が見ていても珠代は自分で座ったのだ。未来は命令するような口調で言ったが、そもそも珠代が未来に従う必要など微塵もないはずだ。

それをあえて座ったのだから自分の意志ではないのか?

珠代は恐ろしいものを見るような目で未来を見ている。

「私たちも座りましょう」

未来は後ろにある応接セットを指すとソファーに腰かけた。

私も未来に倣い腰かける。

「こ、これはあなたがやったの?」

血塗れで倒れる部下たちを指して珠代が未来に尋ねた。

「そう。こんなの知らなかったでしょう?まあ、レベル5ってところかな。あなたたちはまだレベル4までしか知らない」

未来は冷たい笑みを浮かべながら言った。

レベル5……あのファイルにあった段階別の項目を思い出した。

レベル1からレベル4まであった。レベル5ということはさらに上の段階を指す。

隣にいる未来を見ていた私は震えが止まらなくなった。

この子は、弓月未来という子は何者なんだ?これを彼女がやったのだとしたら人間技を超えている。私が抱いた恐怖など意に介さないかのように未来は涼しげな顔をして座っている。

「さあ、この人の質問にこれから答えなさい」

「な、なにを馬鹿な!」

反発した珠代が急に苦しみだした。

「あ、頭が……!!誰か……!!」

「約束しなさい。嘘偽りのない告白をすると」

「こ、これも……あ、あなたが、やっているの?」

珠代は頭を押さえながら息も絶え絶えに未来に問う。

その顔は脂汗を流し、目は充血して真っ赤だ。

「私がやっている。どうするのか選びなさい。ここで部下のように血を撒き散らして死ぬか。この人……私たちの問いになにもかも包み隠さず話すことを約束するか」

「あああ……!お願い!止めて……話すから!!頭が痛い!!割れるように痛い!!」

私はその光景を震えながら見ていることしかできなかった。

珠代の悲痛な言葉を聞いた未来は私の方を見て「インタビューの準備をして取材をはじめて」と、笑み見せた。

珠代は肩で息をしながら机に突っ伏している。

頭痛は消えたのか痛みを訴える様子はない。

私はテーブルにボイスレコーダーとカメラを置くと問いかけた。

「過去にあった霧島病院というのはあなたたちと関係のあるものね?」

「そ、そうよ。あれが最初の霧島病院」

「なぜ閉鎖したの?」

「あんなことが起きるとは思ってもみなかった……想定外だったのよ。絶対に隠す必要があった」

「なにが起きたの?」

「患者が狂暴化して……職員も近隣の住民にも影響が出て、鹿島町の暴動事件と同じことが起こった」

「なぜ?なにをいったい研究していたの?このファイルにかかれていることと関係があるの?」

珠代はうなずく。

「順を追って話しなさい。まずはなぜこんな研究を始めたのか」

未来が穏やかに言う。

「あれはずっと昔……まだ私は生まれていなかった。戦後しばらくしてから私の曽祖父である霧島和孝は日本を敗戦国の立場から引き上げたいと思っていた。その志を同じくする者たちで作ったのが日栄連という団体。日栄連は東西冷戦がはじまり、西側陣営に属した日本をどうにかして西側陣営の盟主にして冷戦を勝利に導こうとした」

「それと病院の実験とどういう関係が?」

「日本を西側陣営の盟主にする方法は二つ、一つは経済的な発展。もう一つは強力な軍事力。経済の方は問題なかった。右肩上がりに経済は発展していった。問題は軍事力……西側陣営といっても日本に核兵器はない。開発するにしても当時の情勢では世界が許さないだろう……なにせ戦勝国の都合でようやく国連に加盟できたにすぎない立場なのだから。そんな立場を覆すべく曽祖父たちは東西陣営がESPに目をつけていることに着目したの。所謂超能力のようなものを軍事転用できないか米国もソ連も研究していた」

その話は私も聞いたことはある。でもどれもまともな成果はなかった。

「ESPで最も注目したのはテレパシー能力。それを研究しているうちに脳から発せられる特殊な波長を発見した。私たちはそれを精神感応波と呼んだ。この感応波を使って無人の兵器を少数の人間で遠隔操作する。これなら味方の被害を0にすることができる。それに敵国の要人を自殺させることだって可能になる」

「それが遠隔操縦なのね?」

珠代はうなずく。

「曽祖父たちはこの日本で、先天的に感応波の強い人間が多く生まれる場所を発見した。それは北陸から東北の山間に点在する寒村でそこから特に精神感応波が強いと思われる男女数名をまず拉致した」

東北の山間にある寒村……数名の男女を拉致……これを聞いた私の脳裏に行方不明になった祖母の姉の事件が浮かんだ。

「その村の名前は……拉致した人の名前は?」

「そんな昔のことを私が知っているわけないでしょう」

珠代の言い草に私は怒りを覚えた。

「言いなさい。あなたなら最上位の機密にアクセスできるでしょう?研究の根幹にかかわることを記録していないわけがない」

未来が言うとまた珠代が頭を抑えて苦しみだす。

「早くしないと死ぬ」冷然と言い放つ未来にうなずくと珠代はデスクトップのパソコンを操作してモニターをこちらに向けた。

そこにはどこの村から何人、誰を拉致したのか名前が記されていた。

その中から私は祖母の姉の名前を見つけた。

「こ、この人たちをどうしたの?今はどうしているの?」

「感応波の実験をしたわ……でも満足のいく数値は出せなかった……投薬を用いても結果は微々たるものだった。そこで拉致した男女を交配させて先天的により強力な精神感応波を持つ被検体を作ることにした」

それを聞いて吐き気を催した。

祖母の姉は望まない交配の挙句に出産させられたのか……

「記録ではこの被検体が出産した子供が特に強い……異常ともいえる感応波を先天的に持っていたとされてる。四番目に産まれた子供」

珠代が「この被検体」と指でさしたのは祖母の姉だった。

「私のお祖母ちゃんのお姉さん……」

絶句した私のことを珠代が驚きの目で見る。未来はなにも言わずに黙って冷たい顔をしながら正面をじっと見ていた。

「産まれた子供で実験の要求に応えられそうな子を育成した後に選出して研究施設へ送ったわ。中には期待外れの者もいた。成果が出るには個人差があった。だから施設へ送った子供の年齢にはばらつきがあった」

「親から引き離したの?」

「そうよ。大人にはそれ相応の実験を受けてもらうためにもね」

「その人たち、拉致した人たちはその後どうなったの?」

「数回出産させた後に投薬とショック療法を強化した実験を行った結果、全員廃人になって処分されたとあるわ。投薬等のサンプルとして臓器は摘出して研究資料のために保存された」

「この人でなし!」

私は珠代につかみかかりその頬を叩いた。自分の中で爆発した怒りが珠代を何度も打ち、罵ってもまだ収まらない。

「そのくらいにしてインタビューを続けたら」

落ち着き払った未来の声で私はようやく我に返った。

床に這いつくばった珠代がふらふらと起き上がり倒れこむように椅子に座る。

鼻血を拭う珠代はいかにも苦しそうだが私はかまわずに質問を続けた。

「その子供たちを集めた実験施設が霧島病院……病院の地下に作った施設ね?」

「そ、そうよ……そこで最初は遠隔操縦の研究を行った。精神感応波の影響は虚ろな精神状態の人間に強く作用する。だから上に建てた病院は精神病神として身寄りのない患者を積極的に受け入れたわ。受信側の被検体とするために。同じころに脳波……精神感応波による障碍者サポート技術を研究している小織卓という人物の論文が画期的だったことから、彼のサポート技術を全面的に支援すると口説いて施設に招聘したの」

それを聞いていた未来は目を閉じて深く息を吐いた。

目を開いたその顔は悲しげで愁いを帯びていた。

「レベル3に必要な感応波の数値を人為的に作り出し、制御する人間の思考を反映させて放出する。これが最初の実験の課題だった。これができれば精神感応波が微弱な一般人でも他者を思いのままに操縦できるようになる。小織准教授は優秀な研究者で実験は順調に進んでいた。およその必要な数値は判明した、あとはいかにして人為的に作り出すかが課題だった」

「でもあなたたちはそれで満足できなかった。そうでしょう?」

未来の言葉に珠代がうなずく。

「曽祖父達はレベル3の研究をしている時に画期的なことを発見してしまった……それは被検体に強いストレスを与えた時に発信される精神感応波が周囲にいる動物の脳細胞を刺激して狂暴化させるということ。狂暴化した対象は著しい負荷を受けて、精神感応波の発信を止めたら一気に負荷が押し寄せて絶命する。何の痕跡も残さない。これを研究して軍事転用すれば、核兵器をも凌ぐ兵器……一つの惑星の知的生命体を絶滅させることのできる兵器ができると確信した」

なんて馬鹿なことを考えるのだろう?

だいたい全滅させてどうするのだ?その後の死体が山のように積み上がった世界で自分たちだけが繫栄しようとでもいうのか?

「狂ってる、なぜそんな恐ろしいことをやろうとするの?」

「狂ってるのはどっち?戦後は解放だ自由だと浮かれて守るべきものも守らず放棄する。そんな人間ばかりになって、どこから言葉が降りてくるのかも考えず、正しいのか間違っているのかも考えずに右へ倣え。まるで自分の意思で決めたかのように錯覚して与えられた思考と平和と自由の中で生きている家畜。檻の中で生きてる家畜よ……私たちはその檻を外して自分たちの自由と平和を掴み取ろうとしただけ。そのためには、大きな力がいる。何もこれで、世界中の人間を殺そうなんてしてるわけじゃない、ただこういう力を行使できるということが相手を屈服させ、私たちの自由と権利を保障するのよ」

「そんな話聞きたくもない。どうせいずれはどっかの馬鹿が使うのよ。あなたたちのような馬鹿がね。それも一般人を標的にしてね。原爆がいい例じゃない」

「そう。原爆で酷い目にあった日本が原爆や核兵器を超越するような強い兵器を開発して持つことは何も悪いことじゃない、むしろ持つべきなの」

「くだらない話はそこまでよ。話を戻しましょう。それであなたたちはレベル4を発見した。それからどうしたの?」

未来が私たちの会話を打ち切った。

「私達は被験体の子供達に電気ショックと投薬による過度のストレスを与えることでレベル4の実験に邁進した。しかしレベル3のように詳細な集中力を要求される実験でないにも関わらず、被験者たちの体力の消耗は著しかったと聞いたわ」

「ふん。人為的にストレスを過度に与えればそうなるに決まってるでしょう」

未来が嘲るように言う。

「それで実験を進めていって、レベル4は可能になったの?」

「あくまで動物を対象にした実験だけども、レベル4は可能になった」

「動物を対象にした実験って結局あなたたちは人間にそれを行ったでしょう!だから過去の霧島病院で患者が全滅し近隣の人達も大勢凶暴化して鹿島町の暴動事件と同じことが起こった。結局あなた達は何の罪もない無垢の人間達を標的に恐ろしい実験をしたのよ!」

「違う違う!あれは実験じゃない!あんなことになるなんて思わなかった……あの段階であれほどの影響力があるなんて考えもしなかったのよ……あれは事故なの、本当に事故なの!」

「汚い嘘を並べないで!なにが事故よ!白々しい!あなた達はいつもそうやって言い訳して悪いとも思わない、何人死のうが知ったことじゃないのよ」

これが祖母の姉を拉致して殺した挙句の所業なのか?私は目眩がするような憤りに襲われた。

「その事故とやらが起きてあなたたちはどうしたの?」

「知らせを受けた曽祖父はすぐに手を打って関係各所に協力を仰いだわ。犠牲は出たけどなんとか事態を収拾することができた」

「ちょ、ちょっと待ってよ。レベル4というのは精神感応波が広範囲に及んで人間を狂暴化させているのでしょう?そんな中でどうやって事態を収拾するの?」

「レベル4は誰にでも作用するわけではないの……精神感応波自体が他人に対して効果を発揮するのは精神的に隙がある人……自我が弱い人が顕著なの。レベル4も同じで頑強に拒絶できる精神状態の人間には影響が弱い。ただ、一人がレベル4の感応波を受信して影響を受けた際は、その人間が中継基地の役割を負う。その人間からさらに感応波が発せられ近くにいる人間に影響を与える。精神感応波を発信し続ける限りレベル4は止まらないし、狂暴化した人間は際限なく増えていく……だから強靭な意志を持った精鋭部隊を投入して暴走する被検体を処理したの」

「殺したの……?」

珠代が無言でうなずく。

「どうにか公には集団食中毒ということで誤魔化せた。病院は閉鎖して全ての研究資料を持ち出して痕跡を何もかも跡形もなく取り壊すだけだった」

「なら、どうして地下の施設をずっと残しておいたの?しかも部外者である教員に計測までさせたたわよね?なぜ残していたの?」

「あのときは取り壊せなかった……地下から研究資料を持ち出そうとしたものの、全員が狂暴化してしまった。理由はわからないけど地下に精神感応波が充満していたの。それも桁違いに強力なもので中和装置を使っても強靭な意志を持っていても長時間の作業は不可能と判断された。仕方なく研究資料や機材はそのままで……被検体の遺体回収も諦めて大出力の中和装置を設置して地下から精神感応波が漏れないようにするのがやっとだった。失敗はしたが曽祖父の命で観測だけは続けることになった。だから誰も入れないようにして施設ごと封印、充満する室内には誰も入れないようにして外に漏れる感応波だけを計測していたの。教員に計測を頼んだ理由は学校側でわずかでも影響が出た場合を知るために、校内に自然といられる関係屋の協力者が必要だったのよ」

出入り口が壁で塗り固められていた理由は分かった。

武藤教諭に計測を頼んだ理由も。

だがそうなるとおかしなことがある。

「あなたたちは精神感応波を放出する機械を地下に設置したんじゃないの?」

未来は地下にあった機械から感応波が出ているから壊したと言っていた。

「そんな機械まだ私たちには作れない」

珠代の言葉を受けて未来を見る。

「ごめんなさい。あなたには嘘をついていた。あれが中和装置なの」

未来は悪びれずに言った。

そうなるとますますわからない。

「でもちょっと待ってよ。レベル4の感応波を出す人間はあなたたちが殺したのよね?さっきそう言ってた。それなのになぜ地下に感応波が充満して人を狂暴化させるの?誰かがまだ生きていたの?」

今度は珠代に聞く。おかしいではないか。精神感応波を出す人間は死んでしまい、人為的に作り出すこともできないなら地下に充満するという精神感応波はいったい誰がどうやって放出しているというのだ?

「いない。あのとき暴走した被検体は死んでいた。他の被検体はそれより前に死んでいる。だからあのとき強力な精神感応波を出せる者は存在しなかったの」

「じゃあなんで?」

「わからない……わからないわよ!当時も誰も納得のいく説明はできなかった。強力な感応波を出していた被検体……四番目の子供は死んだ。それなのにその後も感応波はその場に渦巻いて勢いを増していった。どんな力が働いてそんな現象が起きているのか封鎖後も研究したけど解明の糸口すらつかめなかった……結局、多額の出資を募って始めたレベル4の実験は大失敗し、日栄連から脱退者が続出した。主だった研究は維持できず、曽祖父は霧島の代表を祖父に譲り隠居したと聞いたわ。祖父は表向きの事業に集中して感応波の研究とは関係のない霧島病院を設立した」

「それが今ある霧島病院の始まりね?」

私の問いに珠代がうなずく。

「でもあなたたちは研究を諦めきれずに測定だけは続けていた」

「ええ。だけど時代が降ってあの土地一帯が開発されることになった。仕方なく祖父は関連企業を潜り込ませて学校建築に関わらせることにしたの」

「だから私たちの学校に地下へ行く扉を作ったのね」

「一つは計測のため。もう一つは万が一感応波が漏れて制御不能になった際、対処するためのもの……」

珠代の言葉を聞いて未来が薄く笑いながら首を振った。

「嘘、嘘。そんなもんじゃない。あなたたちは感応波が漏れる危険がある位置に人が大勢集まる学校という施設をわざわざ作った。感応波が漏れだしたら人にどういう影響を与えるか観測したかったからでしょう?」

「私はそこまでの意図は本当に知らないの。あれは祖父の命を受けた私の父が担当していたものだから」

未来に対して縋るような目をして珠代は訴えた。

「あなたたちが本格的な研究から手を引きながら、今になって開発研究センターで感応波の研究を再開しているのはどうして?」

私や慶一が見たものは紛れもなく精神感応波、レベル3に相当する実験だ。

あのときは義手を使っていたが将来的に軍事転用することだって可能なはずだ。

「祖父から霧島の代表を引き継いだ父が始めたことよ……父が代表の座についてまもなくアメリカで同時多発テロが起きた。それを機に時代の混迷を見越した父がかっての日栄連を復活させるために政財界に呼びかけたの。その頃には霧島コンツェルンの財力と権力は国内では並ぶものがないほどになった。機を見るに敏な者たちはこぞって父の呼びかけに馳せ参じたわ……そうして再び軍事転用技術の研究開発が本格的に始まったの。精神感応波はあくまでもそのうちの一つ」

「鹿島町の暴動事件はあなたたちの仕業?新たな実験だったの?」

「違う!あれこそ全く関係ないわ!地下に充満していた感応波が漏れたとしか考えられない……以前から極微量だけど周囲の計測で数値の上下はあった。でも人体に影響を与える数値には程遠いものだった……それが突然あんな爆発的な影響を与えるなんて……そもそも何十年も感応波が残っていること自体が信じられないのに……どうしてなの?」

珠代が逆に私たちに尋ねる。

そんなこと私たちにわかるわけがない。

「暴動事件の後も地下には恐ろしい数値の感応波が充満していて調査と回収に向かった人間は全滅した……扉ですら昔のように塗りこめて封じることもできなくなって……ただ地上には影響が出ないことから、まるで感応波が意志を持って留まっているようだった。誰かを待っているかのように」

珠代は怯えるように自分の両腕を掴んだ。

地下にあった夥しい死体は珠代たちがさし向けた人間だったのか……

でも、それなら私と未来が入ったときも恐ろしい感応波は充満していたはずだ。

私が「なぜ?」と、思ったときに珠代が叫んだ。

「あなたたちが地下に入っていったら充満していた感応波がきれいに消え去ったわ!計測していた部下たちが言ったのだから間違いない!あなたたちはいったいなにをしたの!?」

「私はなにも……そんな状況だってことも今初めて聞いたし」

珠代が恐る恐る未来を見るが、未来は一瞥もくれずに黙って前を見ているだけだった。

「そ、そうだ……私の夫がひったくりにあったわ。あれもあなたが指示したこと?あと、私の動画を削除させたのも」

「そうよ……あの資料を見たときには驚いたわ……当時の極秘扱いだった研究資料をなぜあなたたちが持っているのか?考えられるのは小織准教授が生前あそこを去るときにコピーを秘かに持ち出したくらいしかないと思った。それでも今の私たちとあれを結び付ける者はない、ないけどこれ以上の余計な詮索はさせないに越したことはない。だから警告の意味を含めて私が指示したの」

半信半疑だったが、やはり霧島が関与していたことだったのか。

自分の中で最後の疑念が溶けていった。

「あとは他に聞きたいことはある?」

ふいに未来に聞かれた私は首を振る。

「では最後に私が聞くわね。昔研究に携わっていた小織准教授を研究チームから外したのはなぜ?」

なぜ未来は小織准教授のことを聞くのだろう?

自分が交際していた小織恭平の大叔父だからか?

「彼はレベル4の研究に否定的だった……いや、むしろ反対していた。それに被検体の一人を勝手に外へ連れ出した。重大な違反行為を犯したのよ。これ以上関わらせるのは危険と判断してチームから外したと記録で読んだわ。もっともレベル3の研究はほとんど終わっていたからどのみち用済みだったらしいけど」

「おかしいわね。いくら否定的でもそこまで研究に関わった人間を、重大な秘密を知っている人間を、しかも反感を抱かせたまま野に放つなんて。彼は自殺したけどそれは偶々だったわけでしょう?」

未来の問いに押し黙る珠代。

未来は珠代をじっと見ると透き通るような声で言った。

「そう……殺したのね。自殺に見せかけて」

珠代が目をぎょろっとさせて未来を見た。

「ええっ……そうだったの?」

珠代の反応を見て今度は私が驚く。

しかし少し考えれば十分にあり得ることだ。

こいつらは人の命をなんとも思っていない。必要とあれば躊躇なく奪うことは容易に想像できる。

それも自分の手を汚すことなく。

私は改めて霧島をかなり甘く見ていたことを反省した。

その気になればいつでも殺せたのだ。

「仕方なかったのよ。あの人は全てを知っていたし、その分野では世界でもトップクラスの学者だった。交友関係も海外にまで及んでいる。もしも研究のことを海外にバラされたらどうにもできない。殺すしかなかったの」

「それはいつ?レベル4の実験が失敗する前?後?」

「たしか失敗する前だったはず……チームから追放して監視した後に口を封じたと聞いたわ」

「そう……」

短く一言発すると未来はうつむいた。

長い黒髪がはらりと落ちて横顔を隠すと肩が小さく震えだした。

私も珠代も黙って未来を見ているしかなかった。

十秒……二十秒、部屋に圧し潰されそうな沈黙が続いた。

やがて顔を上げた未来の表情はさきほどまでと変わらない落ち着き払ったものだった。

「院長さん。インタビューに応じた代わりに私がいい事を教えてあげる。あなたにとってはとても喜ばしいことよ」

笑顔を見せる未来を珠代が訝しんで見る。

「さっき言ったレベル5はレベル4より強い感応波を浴びせることで瞬時に脳細胞を破壊して死に至らしめることができる。それも任意の対象から広範囲の無差別な対象まで」

「そんなことができるの?誰が、どこの国がそんな研究を?」

未来は首を振る。

「どこの国も実験していない。私がやってるだけ」

「あなたが?嘘よ!そんな実験を個人でできるわけがない!」

未来の発言に私も戸惑った。

「あなた何を言ってるの?さっきから何を言ってるのよ!?さっぱりわからない!あなたはいったい何者なの!?」

腹の底に取り除くことができない鉛のように重たい恐怖が生まれる。

「あなたには後でインタビューで好きなだけ答えてあげるから黙ってて」

未来は私を制すると続けた。

「さらにレベル6。レベル1からレベル5までの現象をインターネットに意識を潜り込ませることでネットを媒体として拡散することができる」

「凄い……そんなことまで……やはり私たちの研究は間違えてなかった……核兵器を凌ぐ大量殺戮兵器になり得るのね。それこそ一つの惑星の知的生命体を絶滅させるほどの」

「そしてレベル7」

「まだあるの?」

もはや珠代の目には狂気が宿っているように見えた。

自分たちの研究は間違っていなかった、それも自分たちの予想をはるかに超える伸びしろがあったことに喜びさえ感じている。

未来は酷薄な笑みを見せると珠代のそばに行き耳許に囁いた。

私からは何を言っているのかわからないが、伝え終わり未来が側から離れると珠代は顔面蒼白になりガタガタと震えだし、ついには言葉にならない悲鳴をあげて椅子から転げ落ちた。

「嘘でしょう?信じられない……あなたは何なの?」

「言った通りよ」

「じゃ、じゃあ……その顔、どこかで見たような気がすると思ったけど本当に?」

「ええ」

未来が答えると珠代はいよいよ引きつったような顔をして悲鳴を上げた。

「おめでとう。あなた達の予想は正しかった。あなたたちが研究していたものはこの世界を滅ぼすことができる。でもそれはあなたたちに制御できない」

珠代はけたけたと笑い出し、口の端からは涎がたれて、およそ正気の態には見えなかった。

視線も定まらずに、私たちの存在など気にも留めずただ笑い続けている。

その様を見て私は背筋に冷たいものが流れた。

「おかしくなった……」

未来との短いやりとりを終えて一瞬で珠代は発狂した。

いったい何を聞かされたのだろう?

未来が言ったレベル7とはそれほど恐ろしいものなのだろうか?

「もうここにいる必要はないわ。次は私のインタビュー。あなたが知りたいことに全て答えてあげる。場所を変えましょう」

発狂した珠代をそのままに私たちは部下のカードを持つと院長室を後にした。

私は未来のことを恐れていた。どう考えても普通ではない。しかし彼女が私に害を与えるとはどうしても思えなかった。

彼女は私に話したがっているのだ。

そして私はそれを聞いてみたいと思っていた。全ての真実がこれから語られると思うと恐怖を忘れて興奮すら覚えた。ここまできたら毒を食らわば皿までだ。

院長室のあるフロアから地下の駐車場までは来たときと同じように専用のエレベーターで降りた。

院長室のあるフロアと地下の駐車場以外はエレベーターの中だったとはいえ、周囲は異様に静かだった。


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