第23話 夢の中の男
今週はウェブマガジンの仕事が入ったので、そちらをメインにやることにした。今日一日はめいっぱい使って依頼された原稿を仕上げようと気合十分にパソコンに向かった。
ふと気がつくと昼を過ぎている。リビングに降りて簡単に昼食を済ませ、アイスコーヒーを入れると自室に戻った。
一息入れているときに本棚に目をやった。そこにあるのは未来からもらったあの地下から持ってきたというファイルだった。
昨日の晩、これを慶一に見せた時のことを思い出す。
あのときの自分の心の動きは今もって説明できない。
そして奇妙な夢。
昨晩、私はいつものように帰ってきた慶一と晩酌をしながら語っていた。
主に未来からもらったファイルについてだ。
中身については全てを理解するのは無理だが、それでも精神感応派というもので義手、義足など障碍者に対するサポート技術を研究していたことはわかった。
数値や専門的なことはわからないが、大筋はそういう内容だ。
わからないのは後半というか、最後のページに記されたレベル1からレベル4という項目だ。
対象に対する影響について段階分けされているが、その対象というのがどうも人間なのではないかと思った。
慶一も同意見だった。
ファイルの存在に最初は興奮していた慶一だったが、この最後のページを見て顔を曇らせた。
「なんだか良くない気がするな……」
「どうしたの?」
「ところどころに出てくる遠隔操縦という言葉。これはレベル1からレベル3を指してるんじゃないのかな?なぜ人間を対象に実験が行われているのかわからない……そりゃあ、俺はこうした知識はない。もしかしたら必要な実験なのかもしれないし、俺が理解できないだけかもしれない。それでもなんか嫌な感じがするんだよ……特にこのレベル4の項目に書かれていること」
慶一の言いたいことはわかる。
私も同じことを感じた。
それも理屈でなく、このファイルから滲み出てくるような禍々しい悪意のようなものに。
なにか、この先は知ってはいけない……知らない方がいい気もする。
止めた方がいい。
そんな警鐘が自分の奥底……精神のもっとも原始的な部分から発せられている気がした。
暗がりが怖い……それと同じ感覚だろう。
人間がまだ火や武器を持つ前、月明かりが及ばない闇夜に「なにか恐ろしいものが潜んでいるのではないか」というDNAに刻まれた恐怖の記憶。
それでも私は引き返さないで進むことにした。
たしかに暗く不吉なものを感じるが、全てを解き明かしたときは天岩戸が開いたようにめくるめく輝きに迎えられるのではないか?
そんなことはこの仕事で滅多にあることではない。
一度か二度……いや一度あるかないかだろう。
その甘美な誘惑が原始の恐怖を凌駕したのだ。
あと、付け加えることがあるとすれば死んだ保奈美や、先日取材した未来から言われた「必ず公にしてほしい」という願い。
その願いに応えたいという気持ちもあった。
なにより亡くなった保奈美の供養にもなるだろう。
「君はこの件を追い続けるのかい?」
慶一がファイルを閉じると私の顔をまっすぐ見て確認した。
「やる。やるわ」
私の意思は固い。
慶一は私の表情から決意を得心したようにうなずくと「わかった。じゃあこれから君に見せたいものがある」と言いながら、鞄からクリップでまとめらた絵A4の紙を取り出した。
「霧島病院と併設する開発研究センターの案内だ。主な内容は企業からの出資を募るものだが、ここにどういった研究を行っているか記されている。霧島病院のホームページからプリントしたやつだ」
受け取って見てみる。
なるほど。こうした有意義な研究をこれだけしているから出資されてはどうですか、という案内か。
よくあるやつだなと思い、紙をめくる。
研究項目のところで目が止まった。
「これって……もしかして」
そこには幾つかの項目に混じって「障碍者に対するサポート技術の研究」とあった。
「俺も最初は気に留めなかったんだが、取材の表向きな題材になればと思ってプリントアウトしたんだ。そうしたら君が持ってきたファイルを見て驚いたよ」
霧島病院、開発研究センターも全ては霧島コンツェルンが統括している。
霧島の研究している障碍者のサポート技術とこのファイルに書かれている内容と同じなのだろうか?
だとしたら、あの地下施設は霧島のものだという可能性が高い。
「今は取材の依頼をしているところだ。取材するのは霧島病院本院の院長霧島珠代。取材の名目は将来の病院のあり方そして現在行っている研究に対してということにしている」
「その取材、私も同席できないかしら?」
「君が?」
「あなたの会社のアルバイトとか助手とか肩書きはなんでもいい、私もその場に同席したいの」
見てみたいと思った。もしこれらが全て一つに繋がるのであれば、同じ霧島によるものであれば、まずは本院の院長たる霧島珠代を。霧島に連なる人間がどんな人物か確かめたい。
「わかった。そこは考えておく。悪いようにはしない」
「ありがとう」
「それから万が一……君が言うように過去の霧島病院が霧島コンツェルンに関わるものだとしたら、鹿島町の暴動事件と同じことが起きていたとしたら、マスコミから警察まで箝口令を敷いて食中毒ということにしてもみ消したことになる。これは俺たちが想像及ばないような権力を持っていることになる」
「私たちなんて簡単にひねり潰せるね……美琴……」
美琴の笑顔が頭に浮かんだ。
たしかにこれまでの推理が全て当たっていれば、霧島の力はとてつもないものだ。
私たちが害になると判断されたら、あっという間に排除されるだろう。
その危険が美琴に及ぶようなことは絶対にあってはならない。
それだけは避けなくてはいけない。
かといって私たちだけなら構わないというわけにもいかない。
両親を失ってしまったら美琴はこの先どうやって生きていくのだろう?
それを考えたら顔面蒼白になってきた。
「大丈夫?」
慶一が心配そうに覗き込む。
「う、うん」
「俺も君と同じことを考えてたよ。美琴は巻き込めない。そこには細心の注意をはらわないと」
「止めた方がいいのかな……」
たしかにスクープをものにしたい欲求は強い。
だがこのまま続けていいものだろうか。
むしろ今止めてしまった方がいいのでは。
さっきまでの決意がしぼんで私の気持ちは大きく傾きだしていた。
「慶一?どうしたの?」
慶一が固まっている
虚ろな目をして、まるで心ここに在らずだ。
こんな慶一を見るのははじめてだ。
「慶一!どうしたのよ」
体を揺すってみると我に返ったかのように慶一が気を取り直した。
「いや、考えたんだがやめる決断をするのはまだ早いと思う」
「えっ。どうして?」
「もし一連のことに霧島が関わっているのだとしたら、今までのやりようを考えたんだ……例えば過去の病院の事故は緊急性があったんだろう。圧力をかけて食中毒にするという力技を使った。でもその他はどうだ?病院で働いていた田島さんにしても特に口止めされることもなく、監視されるわけでもなく、ずっと放置されていた。思うに自分たちの権力を使うにしても相当慎重なんだと思う。むしろ極力使いたくないんじゃないか」
「だからなに?」
「いきなり口封じをされるなんてことはないってことさ」
慶一の言いたいことはわかった。確かに一理ある。
この件に関わっていると思われる大きな勢力は確かに自分たちの権力を使うことに慎重だ。力を誇示すれば目立ってしまうし、相手からの反発もある。極力表に出たがらないという印象だ。
でもそれは私たちが自分に都合よく思っているだけかもしれない。
私たちが彼らの急所に迫るような取材をすれば一気に殺されることだってあり得るだろう。
「そうかもしれないけど、やっぱり……」
「じゃあ、君は本当にここで諦めてしまっていいと思っている?」
「それは……」
「まだ止める時期じゃない。相手の出方もわからないうちから白旗を上げる必要はないよ」
慶一が畳み掛けるように言ってくる。
こんな圭一は見たことがない。私は戸惑いながらもだんだんと圭一の言うことになびき始めていた。
さっきまで美琴を気遣っていた自分の気持ちが薄れてくる。
なぜだろう?どんどん取材を止めるべきではない、そういう気持ちが大きくなっていく。
いや、自分の中でそんな声がするのだ……例えとかそういうものではなく、本当に誰かに言われているように……目の前の慶一ではない、自分の中にいるなにか。
「ここまで取材したことをあきらめるな、さらに進め」と、私の背中を押してくる。
保奈美の言葉を思い出した。失っていた記憶を思い出さされた……誰かに話せと心の中で言われた……こんな感覚なのだろうか?私にも保奈美たちと同じことが起こっているのだろうか?だとしたらそれは何だろう?
巨大な権力に対する怖さとは異なる不安が私の中に生まれた。
「未来という子が地下で気絶した理由、それがわかるかもしれない。あの地下でどんな実験が行われていたのか?何を研究していたのか?それを解き明かせばあの日、地下で何があったのかわかるかも。そのことがもしかしたら彼女の周りで立て続けに起きている死の原因なのかもしれない」
「なにを言ってるの?それはいくらなんでも強引よ」
「つながっているかもしれないということさ。全てが。でもここで止めてしまったら、つながりがあるのかないのか永遠にわからない。何より話を公にしてくれと言った君の取材対象者たちとの約束も果たせなくなるんだよ?」
「そう……そうだよね」
この言い表せない違和感はなんだろう。
「とにかく……止めることはいつでもできる。だから落ち着いてよく考えよう。今日はもう休もう」
慶一に促されて寝室へ行った。
ベッドに入るころには不思議と違和感は消えていて、代わりにとても穏やかな心持だった。
そのときの私は不安もなにもない安らかな時間に包まれたような気分で目を閉じていると急激な睡魔に襲われた。
そして不思議な夢を見たのだ。
私の目の前に白衣の男性がいる。医者だろうか?なにもない白い壁に囲まれた部屋で、どうやら私は彼とテーブルを挟んで向かい合っているようだ。
前髪が長く、メガネをかけた細面で整った顔立ち。誰だろう?記憶にない、知らない顔だ。
男性の顔を見ていると温かい気持ちが湧いてくる。
なぜこんな気持ちになるのかわからない。
時折、まるでテレビ画面の様にノイズが走る。男性は私に向かってなにか話しているが聞き取れない。
次は外だ。さっきの男性が私の横にいる。
どうやら私たちは陽射しを避けて木陰で休息しているようだ。
蝉が鳴いているし夏なのだろう。
空を見ている男性の横顔をしばらく見てから私の視線が青い空へ向かった。
空を見た瞬間に今まで感じたことがないほどの感動が湧き上がる。
白い雲が映える青い空が果てしなく広がっている。
燦々と降り注ぐ太陽の光。
抑えきれない喜びの奔流が全身を走る思いだった。
なぜ空を見た程度でこれほどの感動、喜びを感じるのか?自分自身今までこんなことはなかった。
目を覚ますと自分の寝室だった。
横では慶一が寝息をたてている。
なんであんな夢を見たのだろう?グラスの中で音を鳴らす氷を見ながら思った。
夢で見た男性の顔は今でも鮮明に思い出せる。まるで実際に会ったことのある人物のように。
ただ、いくら記憶を紐解いても夢に出てきた男性らしき人物は私の人生の中にはいない。
きっとテレビで見たことがあるのだろうと私は結論付けた。
休憩に区切りをつけると再びパソコンと向き合って執筆作業に戻ることにした。
このペースなら今日中には一本終わりそうだ。
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