第20話 疑惑の人

 私が警察から解放されたのは午後八時だった。家に帰ると慶一がリビングで食器を洗っているところだった。

「お母さん!おかえりなさい!」

ソファーでテレビを見ていた美琴が飛びついてくる。

「ごめんね美琴。お母さんちょっと仕事で遅くなっちゃった」

「仕事って動画の?」

「まあね。それよりお父さんの言うこと聞いて良い子にしてたかな?」

「してたよ」

「よし!偉い偉い」

美琴の頭を撫でてから慶一の方を見た。

「おかえり。大変だったね。夕食、まだだろうと思って作っておいたよ」

「ありがとう……私の方こそ急なお願いしてごめんなさい」

保奈美が死んだとき、110番した後に慶一に電話した。

極力落ち着いて事のあらましを説明して、美琴が帰宅する時間に合わせて帰ってほしいとお願いしたのだ。

「俺の方は心配いらないよ。それより君の方こそ大丈夫だった?」

「私は大丈夫……じゃないか。気分的にね」

保奈美の遺族は悲しむだろう。

その悲しみは死んだときに同席していた私に向かってくる可能性が高い。

そのことを考えると気が重かった。

 美琴の入浴を慶一にお願いして、私は遅めの夕食を済ませた。

風呂から出てきた美琴が歯を磨いてベッドに入ると、私は慶一に今日のことも話したいし一杯付き合ってほしいと頼んだ。

テーブルには生ハムとワイン。

グラスに注がれるワインを見ていると保奈美から流れ出てきた血を思い出して頭を振った。

「その女の子が死んだって原因はなんだったの?」

ワイングラスを合わせながら慶一が聞いてくる。

「わからない。脳溢血かもしれないって……詳しい原因は不明。今のところはね。もしかしたらこの後の解剖とか詳細な検査で毒物とか見つかるかも」

警察の話しでは保奈美の口にした飲み物から毒物は検出されなかった。

持病もなく保奈美は健康そのものだったという。

でもあの死に様は……。

私は警察に取材中の保奈美の様子をできるだけ細かく説明した。

なにかに見られてるような気がして怯えていたこと、クラスメート四人が自殺したことで自分も死ぬのではないかと気に病んでいたこと。

「でも彼女は自殺ではなく死んだか……」

慶一がワインをあおってから聞いてきた。

「でもわからないな。なぜ自分も自殺すると思ったんだろう?いくら友達が自殺しても自分もする……、自殺を恐れてっていうのはなんだろうな?」

「それが自殺した四人というのは暴徒と同じような死に方だったのよ」

「ああ、暴動の際に何人も発狂して自殺した人がいたって話か」

「ええ。どんな状態でも自殺は自殺なのだから公の発表もそうなるでしょう?しかも余計なことは伏せて」

「たしかにな」

慶一はうなずきながら自分のグラスにワインを注ぐ。

「自殺ではないけど、死んだ保奈美さんの様相は話に聞く暴徒そのものだったわ」

今でも保奈美の死に様が脳裏に焼き付いている。

私は保奈美が取材を受けるとメールしてきたいきさつを慶一に話した。

保奈美たち五人は職員室に逃げたことをつい最近まで覚えていなかったこと。

ある日突然、五人同時に思い出したこと。

だから今までどこの取材にも話したことがなかった。そして思い出した職員室で起きたことを私に話したかったということ。

ただ、保奈美が口にした「頭の中で誰かに言えと言われている」といったくだりは話さなかった。

それではまるっきりオカルトになってしまうし、情報として本筋の整理に支障をきたすと思ったからだ。

「学校の地下といいその電波といい、たしかに今まで出てきたことがない話だ。俺の記憶の中にもそんな記事はない。その武藤教諭っていうのは今どうしてるんだ?未来って子は?」

「それは保奈美さんも知らないって。これから私が調べるしかないわ」

私が残りのワインをあおると慶一がグラスに注いだ。

「私、保奈美さんが言ったようにその地下にもしかしたら暴動の原因があるんじゃないかと思ってるの」

「でも地下を知ってる武藤教諭は暴動に電波は関係ないって言ってたんだろう?」

「だって怪しいでしょう?誰も知らない地下から洩れる電波なんて。だいたい本当に電波なのかもわからないじゃない?」

武藤教諭は依頼された人物に電波としか言われていないだけで、本当に電波だという確証はない。

そして人体に影響がないという保証もない。

だって武藤教諭が計測していたときは安全値とやらを超えたことがないのだから。

「もし原因を特定できたら凄いスクープになるぞ」

慶一が身を乗り出してきた。

「今さら三年も前の事件でまさか新事実が出てくるなんてな」

若干興奮気味に言う。

「なにかできることがあったら言ってくれ。協力するよ」

「じゃあ、まずは武藤教諭が生きているのか、生きていたら今どうしているのか調べてくれない」

「わかった。未来って子の方は?」

「未来の方は私の方でも今まで取材した生徒たちに聞いてみるわ……それから鹿島高校の前にあったという病院。前に調べてみたら集団食中毒で患者が移送されたって記事しかなかったの。私もそれ以上は調べてなかったんだけど、そっちも並行してお願いできる?」

「わかった。やってみよう」

慶一は快諾してくれた。

「それと田島っていう学校付近に住んでいた年配の女性がいて、保奈美さんの話によると以前建てられていた病院に勤めていたそうなの。そこで暴動事件と同じ目にあったみたいなの」

「その人が見つかれば病院のこともわかるな。わかった。武藤教諭と田島という女性はこっちで探してみる」

「ありがとう」

慶一の協力は心強い。

どのような形にせよ全容がわかったら必ず公開してやろうと決めた。

保奈美はそのことを公にしてほしいと言っていた。

そのときの怯えから切り替わった保奈美の一瞬の表情が忘れられない。


二日後に慶一が警察で馴染みのある人物に暴動事件による死亡者リストを照会してもらい、武藤教諭の死亡を確認した。

彼は暴動事件で亡くなっていた。

その知らせを慶一からのメールで昼に知ることになる。

警察の死亡者リストに載っていたのだから間違いないだろう。

遺体が発見されたのは第二校舎の防災倉庫で、男子生徒一名と一緒に暴徒化して絶命していた。

 武藤教諭と一緒に倒れていたのは水谷修哉。十七歳、高校二年生。

保奈美が言っていた武藤教諭と一緒に地下へ向かった二年生で間違いないだろう。

何も知らない人から見たら大勢の暴徒の遺体の一つでしかない。

だが、この二つの遺体が地下へ行くためにこの防災倉庫に来たものだと知っている者からすれば重要な意味を持つ。

なぜならこの遺体の側には地下へ行く出入り口があるはずなのだ。

保奈美の話によれば職員室から地下へ向かったメンバーは六人、そのうち三人は第二校舎に辿りつく前に暴徒の波にのまれてしまった。

第二校舎にある防災倉庫に辿りついたのは武藤教諭と弓月未来、教諭と一緒に死んでいた水谷修哉ということになる。

この六人のうち、唯一生存した未来は計画していた地下からの脱出を行わなかった。

暴動が治まった頃に彼女たちを探しに行ったもう一人の男子生徒と一緒に校庭にいたところを保奈美に目撃されている。

なぜ地下へ行かなかったのか?それとも行けなかったのか?

当時の未来の身になって想像してみた。

みんなで暴徒が溢れる校庭にとび出して、第二校舎めがけて突っ走る。

途中で仲間の三人が犠牲になるも命からがら第二校舎に辿りつくことができた。

状況から考えてすぐ後ろまで暴徒が迫っていただろうから未来たちが入った出入り口は施錠されたものとみて間違いない。

そして防災倉庫に入った……ここからが問題だ。

一緒に逃げてきた武藤教諭と水谷修哉が暴徒に豹変したとき未来はどうしただろう?

彼女は生きていたのだから当然その場から逃げたはずだ。

ではどこへ逃げたのか?咄嗟に防災倉庫の外、廊下に逃げたとしたらどうだろう?

目の前にいる人間が逃げだしたら暴徒化した武藤教諭と水谷修哉は逃げた未来を追いかけるのではないだろうか?

それに第二校舎にも暴徒化した生徒が大量にいる。

これでは十中十助からない。

未来は防災倉庫の外、廊下には逃げなかったのだと私は思った。

だからこそ武藤教諭と水谷修哉の遺体は防災倉庫の中にあったのだ。ではどこに逃げたのか?

地下だ。弓月未来は間違いなく地下へ降りている。

ではどうして計画通りに学校の裏手にある雑木林まで地下を突っ切って逃げなかったのか?

 考えられるのは、あると思われていた脱出経路がなかった場合だ。なんといっても作られたのは数十年も前のことで、老朽化も進んでいるだろうし、もしかしたら地震でもあれば崩落して通路が塞がれていた可能性もある。

そうでなければ彼女が逃げない理由がないからだ。

もしくは雑木林の方まで逃げたが地上には暴徒がいたので止む無く引き返してきたということもあり得る。あり得るが可能性はかなり低いと思う。

なぜならそんなところに普段人はいないし、人を襲うことしか目的がないと思える暴徒が雑木林に来るとは思えないからだ。

必死に逃げてきて頼みの綱の地下通路が行き止まりだったらどうなるだろう?きっと未来は絶望してその場で膝を折ってしまうのではないだろうか。

戻るにしても暴徒が溢れる学校しかない。もう動く気力もなく途方に暮れてしまうだろう。

そんなときに未来たちを探しにきたもう一人の男子と会い、外の暴動が終わったことを告げられる。

保奈美の話しでは男子が一人で未来たちを追っていったときには校庭にいる暴徒は倒れていた。その頃には暴動が沈静化していたと思われる。

それで二人一緒に学校に戻ってきて、生き残った生徒たちと一緒に校庭にいた。これなら話はつながる。

つながるが疑問も残る。もう一人の男子はどうやって未来を追って地下へ行けたのか?武藤教諭たちが防災倉庫内で死んでいたということは、彼らは地下まで未来を追っていけなかったことになる。地下への扉はおそらく内側からロックされたのだろう。

鍵はささったままだったのかもしれない。今までの話を聞くと暴徒化した人間は著しく知能が働かなくなる。

ドアノブを回すということもせずに力任せに叩いてくることから、仮に扉に鍵がささっていても開けることはできなかったのだろう。それなら暴動が沈静化した後に来た男子が未来を追って地下へ入ることができる。

そこまで自分の考えを積み立ててから大きく息を吐いた。いくら筋が合うように考えたところで全ては推察にすぎない。もしかしたらもっと別な理由があって最終的に未来たちは校庭に戻ってきたのかもしれない。

全ては弓月未来本人になにがあったのか聞くしかないのだ。

私は今まで取材に協力してくれた当時の鹿島高校の生徒たちに弓月未来について教えてほしいとメールを送った。

もう一人の重要人物、田島という女性に関しては暴動が起きる前に亡くなっていた。

新聞にも載っていたのだが、それが異様極まりない内容だった。

田島勝江は独身で七十一歳。鹿島町で一軒家に一人で暮らしていた。事件当日の夜、家にいるところを野犬に襲われて絶命する。

なんだこれは?今の時代に野良犬がいて人を襲うなんてあるのだろうか?しかも殺すなんて……。

しかも襲った犬は田島勝江の遺体のすぐそばで死んでいた。私の頭の中で田島勝江を襲った犬が暴徒と重なった。

一見すれば田島勝江の事件と暴動事件は関係のないものに見える。しかし暴徒たちと同じ現象で犬が狂暴化して田島勝江を襲ったとしたらどうだろう?二つの事件は地続きになる。

自分の中で好奇心がどんどん膨らんでいく。


その日の晩、私は暴動事件と田島勝江の事件はつながっているという推論を慶一にぶつけてみた。

「可能性としてはあるかもしれないな」

慶一はビールを飲みながらうなずいた。

「あとは弓月未来だけだな。誰か彼女のことを知っているって生徒はいたのかい?」

「まだ。一応、関係者には全員メールしたんだけどね」

「武藤教諭も田島勝江も亡くなっている今となっては弓月未来しかいないわけだからな」

「わかってる。でもね……」

私はビールを一口飲んでから続けた。

「彼女、なんか腑に落ちないのよ」

「地下に行ってまた戻ってきたってことか?」

慶一の問いにうなずく。

「それは、ひかるが推察したように地下の通路が使えなかったからじゃないか?もしくは雑木林まで逃げたが暴徒がいたから戻ってきたとか……たしかに暴徒は人が密集しているところに集まっているけど、いくら雑木林に人がいないからって暴徒が全くいなかったとは考えにくいんじゃないか?むしろあれだけの騒ぎなんだからいたるところに暴徒がいたと思った方がいい」

私は襲う対象のいない雑木林に暴徒はいないと思っていたが、たしかに慶一の言うことにも一理あると思った。

むしろそっちのほうが自然なんじゃないかと思えてくる。

「本来なら私自身が直接、その地下に行くのがいいんだけど」

「もう学校は取り壊されて更地だもんな」

「あとは雑木林にあるもう一つの出入り口を探すしかないか……」

「そっちはかなり骨が折れるぞ。それに君は鍵を持っていない」

「そうだよね……」

そうだ。鍵……未来は地下から戻ってきたときに鍵をどうしたんだろう?そのまま放置したのだろうか?今でも持っているのか?これも会ってみないことにはわからない。


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