第19話 地下
これまで十数人の関係者を取材した。今日インタビューするのは事件当時、鹿島高校の三年生女子だった石井保奈美。
現在は専門学校に通っている。
保奈美と待ち合わせたのは彼女の学校がある新宿西口のファーストフード店だった。
彼女の指定によるものだった。
黒いTシャツと黒いスキニーに白いスニーカーを合わせた保奈美からは活動的な印象を受けた。
彼女はアイスティーを頼んだがなかなか口をつけようとしなかった。
どこかそわそわしているというか、ときおり周囲に警戒するような視線をやる。
「場所を変えようか?」
ここでは学校の近くだから、同じ学校の生徒の目が気になるのかと私は思った。
「いえ、いいんです」
「でも周りが気になるようだし」
「いつもなんです」
「いつも?」
「誰かが見ているような……ときどき強くそんな感じがして……いつの間にかなんでもないときも気になるようになって」
「そう……大変ね」
私は自然と労わるような口調で話した。
これも事件の後遺症のようなものなのだろうか?
私は保奈美の緊張を解きたくてしばらく他愛もない世間話に興じた。
だんだんとリラックスしてきた保奈美は私に打ち解けて、口調もくだけたものになった。
それから聞いた話は他の生徒から聞いた内容と同じようなものだった。
午後の授業が終わるころに外から暴徒がやってきた。
やがて学校の中でもクラスメートが暴徒に変わりだし、自傷した挙句死んだり周りの生徒に襲い掛かったといった内容だった。
「とても教室にいられる状態じゃなかった……私たちはとにかく何も考えずに教室の外に逃げ出したの」
保奈美の話によると校舎の中は暴徒化した生徒が他の生徒に襲い掛かり、血と悲鳴と怒号が溢れる地獄のような光景だったという。
「階段の上から大勢が駆け降りてくる音が聞こえて私たちは下へ逃げたの……」
だんだんと保奈美の顔色が悪くなってきたように感じた。
「大丈夫?」
「ありがとう……大丈夫」
そう言うと保奈美はアイスティーを一口飲んでから続けた。
「誰かが校舎の裏側から外に逃げようって言いだしたの……誰かはわからなかったけどそんな声が聞こえて私たちはまず一階に逃げた」
「学校の外って、町には暴徒が溢れているのに?」
「だって私たちはそのとき町の様子なんて知らなかったし。それに中にいても危ないのは変わらないわけだし」
「それで外に出たの?」
「校舎の裏側にある非常階段から逃げ出したけど……降りきったところで暴徒に見つかったの」
保奈美の話だと、校舎の裏側にも数人の暴徒がいて彼女たちを見つけると恐ろしい勢いで咆哮しながら走ってきたという。
「顔中血だらけで……人間の声とは思えないような叫び声だった……私達がもうやばいってときに用務員さんが大声で呼んでくれた」
保奈美の話だと、用務員が彼らを第一校舎にある用務員室に招き入れたということらしい。
「私たちは本当に……そう……死ぬ気で、死に物狂いで、用務員室まで散々走った……本当にあんなに必死に走ったことは今までなかったし多分この先もないと思う。結果助かったのは五人だけ……最初は十五人いたのに……」
校庭を走って逃げることができたのが五人だけだったとは。
「用務員室の扉を閉めて、窓もシャッターを下ろしてとりあえず安心だった。廊下に面した扉にはバリケードを築いて、私たちはとにかく物音を立てないように用務員さんに指示された」
「そこでずっと、騒ぎが終わるまで隠れていたの?」
「そうしたかったけど、できなかった」
保奈美は口元を薄く緩めながら言った
「固定電話があったから、私たちは110番通報したけどなかなか繋がらなくて……そうしたら用務員さんが急に犬みたいに唸り出して、見ると目や鼻や耳、口から血がダラダラ流れ出してる。外にいたやつらと同じ。みんな泣きそうになって、バリケードの方へ逃げた。でも、バリケードをどかして外へ逃げたらもっとたくさんの暴徒がいる。もう諦めるしかないのかと思ったら用務員さんは自分の顔を掻きむしり、喚きながらキッチンにあった果物ナイフで自分の喉を刺して自殺したの……見たこともない量の血が流れて……なんだかまだ血が臭う気がするんだよね……」
保奈美の顔が引きつる。
「用務員さんが暴れたせいで部屋にあったテレビが壊れた。これで外の情報が全くわからない。他に何かないか探したけどノートパソコンとか使えそうなものは置いてなかった。スマホは圏外。固定電話は110番をかけてもなかなか繋がらなくて……でも、この校舎の中は私たちがいた第二校舎より静かに感じた」
私たちの周囲からは楽しそうな話題に笑いあう声が聞こえる。
「私たちは二年生まで、こっちの校舎にいたから職員室がすぐ上の階二階にあるって知ってたの。だから職員室まで逃げようって誰かが言った……あそこならテレビも電話も、それにノートパソコンだってある。私たちは外の情報が知りたかったし職員室まで行けば先生も何人かいるんじゃないかと思った」
「それで、みんな職員室へ?」
「うん。とにかく用務員室から廊下に出る瞬間は心臓がバクバクして神様にお祈りしながら外の様子を見た。一階の廊下は静かで誰もいなかった……外から暴徒の声は聞こえてくるけど、少なくとも廊下にはいなかった」
「私たちは何か武器になるものを手にとって、職員室に向かって……上の階からは叫び声みたいなものが聞こえてきて、その度にびくってなったけどなんとか職員室のある二階に上がってくることができたの」
一旦話を区切って保奈美がじっと私を見た。
「とても変なことなんだけど聞いてくれる?」
「なに?」
「これから話すことって誰にも話したことがないの……っていうより話せなかったの」
「話せなかった?どうして?」
誰かに口止めでもされていたのだろうか?
「忘れてたの……それがつい最近になって思い出したの……それも私と一緒に逃げていた他の四人も。そんなことってあると思う?」
「強烈なショックを受けたときとかに記憶障害が起きるとかは聞いたことがあるけど……あなたたちの場合だって他の人が体験しようもない恐ろしい事件に巻き込まれたのだからそういうことがあってもおかしくないんじゃない?」
「でも五人全員だよ?そんなことってある?」
保奈美の様子は目に見えて怯えている。
思い出した内容にではなく思い出したということ自体に。
忘れていたことを思い出したということでそんなに恐怖することなのか内心首をかしげた。
「なんか違うんだよね……思い出すとかそういうのとは。だってもの凄い鮮明に頭に描かれるの。あのときの記憶はそれほど鮮明でもないのに、そのことだけが、忘れていた二時間だかそれくらいのことだけがある日突然に頭の中に蘇ったの」
「それはどんな内容なの?」
保奈美の恐怖には同情するが、これでは先に進まないと思った私は話を進めることにした。
「私たちが職員室に逃げ込んで息を殺していると先生と一緒に二年生が逃げてきたの」
「あなたたちの他にも逃げてきた人がいたのね」
「ええ。女の子の声で「助けて」「入れて」って声が廊下でした……最初は怖いから無視しようと思ったんだけど、暴徒になった奴らは喋らないし……それにせっかく二階から暴徒が移動したのに職員室の前で騒がれたらまた殺到してくる……だったら入れてやろうってことになったの」
「それで?」
「先生が一人、二年生が五人入ってきた。大人が生きてたからとても安心した気がする……だって私たちが来たときは職員室には誰もいなくて床は血だらけだったからみんな死んだか暴徒になったものと思ってたから」
話していて保奈美の様子が変わってきた。
顔にはうっすらと汗を浮かべ、息遣いも少し荒くなっている。
なにより顔面が蒼白だ。
「大丈夫?少し休む?っていうか日を改める?」
話している内容は明らかに保奈美の身体に負荷をかけているように思えた。
「だ、だいじょうぶ。だって職員室で私たちは暴動の原因を知るんだから……あなたにそのことを聞いてほしいし動画にしてほしい」
「原因?それって本当のこと?発表されているような集団ヒステリーとかじゃなくて?」
保奈美は頷いた。
私は俄然、胸が高鳴った。
やはり集団ヒステリーなんてことはなかったのだ。
しかも事件発生からかなりの歳月が流れている中で、あの暴動の原因を特定した者はいない。
これは大スクープになると思った。
不謹慎ながら私は怯えている保奈美の前で自分がスクープをものにして動画の再生数は天井知らず、出版した本はベストセラーで大金が入ってくる未来を思い浮かべていた。
「じゃあ、順を追って話してくれる?私、絶対にあなたの期待に応えるから」
「……全部公開してね」
「え、ええ。もちろんよ」
保奈美の顔が、表情が一瞬変わったような気がした。
怯えていたはずなのに、その一瞬だけ私をまっすぐ見て念押しするような圧を感じたからだ。
一瞬の変化に気圧された私は保奈美の顔を見るも、すでに先ほどまでと同じ怯えた表情にもどっていた。
「私たちは最初の目的通りにパソコンやテレビから外部の情報を知ろうとした……そして110番通報も。スマホはみんな圏外でつながらないけど固定電話ならつながるはずだって思ったから。テレビでは暴動事件が起きてるって言ってた。なんだか酷いノイズが走ってて画面が見にくかったのを覚えてる……」
「で、警察にはつながった?」
「うん。回線が混雑してなかなかつながらなかったけど、ようやくつながってみんな凄い喜んだ……でも後で絶望したの。それからようやく来た警察官は十人もいなくて、校庭にいた暴徒に飲み込まれてあっという間に消えてしまったの。そのすぐ後かな……気絶していた二年生の女の子が目を覚まして先生を詰問したの。ここにきた本当の理由は地下から外に逃げるためだろうって」
「地下から?」
「ええ。学校にある地下の施設から裏手にある雑木林に出られるって」
学校に地下室があるなんてことは珍しいことじゃない。
しかしそれが学校の敷地外に通じているというのは他になかなかないのではないだろうか?
「その子が言うには、第二校舎にある防災倉庫に地下への扉があって、その鍵は先生……そう、武藤先生っていうの。一緒に逃げてきた先生。その人だけが扉の存在を知っていて個人で鍵を持っているって言ってた。でも倉庫の鍵は学校のもので職員室に保管してあるから最悪の事態に備えて取りに来たんだろうって。先生は最初はぐらかしてたけど観念して認めたの」
「ちょ、ちょっと待って!学校にある扉の鍵をどうしてその武藤先生一人だけが個人的に持ってるの?」
「地下の扉は学校のものではないからって言ってた」
普通ならあり得ない話だ。
私は自分の中で話を整理した。
学校の中には地下へ行く扉があるが、そのことを知っているのはたった一人の教師で鍵を個人で持っている。
そして扉の存在をなぜかその女子生徒も知っていた。
「その子……名前はなんていうの?なぜその扉のことを知っていたの?」
「名前は……未来。たしか弓月未来っていった。扉のことはお婆さんに聞いたって」
「お婆さん?」
「うん。私たちの学校じゃ有名人。たぶん一人暮らしじゃないかな……いつも登校時間になると家の前にいてブツブツ独り言を言っててさあ、たまに怒鳴って「学校に行ってはいけない」って言うの。みんな頭がイカレてるって言ってた。私も見たことあるけどヤバい感じだったな」
「どうしてその人が学校にある地下への扉を知っていたの?」
「それは知らない……ただ、昔学校の前に建っていた病院で働いていたって未来って子が言ってた。武藤先生はそれでも学校にある扉のことや鍵を自分が持っていることを知るはずがないって言ってた」
話を聞いていて自分がどんどん興奮してくるのがわかる。
「その病院の名前とかは言ってた?」
「言ってない……でも昔の病院でも同じことが起こったんだって」
私があれから調べた限りでは事件のあった地域で該当する病院は一つしかなかった。
しかしそれはただの食中毒で、暴動事件とは程遠い。
これは病院を調べてみる必要がありそうだ。
自分の取材が大きく進展する気がして高揚する。
「その病院ではなにをしていたの?なんで暴動が起きたの?」
「病院の地下にある施設でなにかを研究していたみたい。武藤先生は「電波のようなもの」と言ってた」
「電波……?」
電波で人間がああも豹変するものなのか?そして死んでしまうものなのか?
にわかには信じられない。
「武藤先生は誰かに頼まれてたの。学校の地下から洩れる電波を計測してほしいって」
「だ、誰に?誰に頼まれてたの?」
「先生も知らないって言ってた。ただ教師の給料とは別に毎月お金が振り込まれたって。先生は最初のうちは毎日計測してたんだけど、安全値とか言ってたかな……それを超えたら報せる約束だったらしいけど一度も超えることはなかった。それでだんだんとサボるようになったみたい」
「暴動事件のときの数値はどうだったの?」
「うん。それがもの凄い勢いで数値が上がってた。見せてもらったらスマホみたいな測定器だった。スマホも繋がらないって状況で先生はようやく地下から電波が出ていることを思い出したって言ってた。でも人体には影響ないって言われてたみたいね」
「じゃあ、その電波を止めれば暴動も終わるってこと?」
「それは言ってなかった。電波は関係ないだろうって。ただ、地下を通れば人気のない雑木林まで抜けられる。だから地下へ行こうってことになったの、でもそんなことってあると思う?過去の病院で同じことが起こったんなら、その施設から洩れてる電波が原因だって思うのが普通なんじゃない?」
保奈美が暴動の原因を知ったと言ったのはそういう理由か。
「あなたも地下へ行ったの?」
「私たち三年生は行かなかった。だってあの校庭を突っ切ってここまで来たんだよ。もう一度行くなんて無理だよ」
保奈美の話だと地下へ向かったのは武藤先生と彼と一緒に逃げてきた二年生五人だった。
「地下へ行った人たちはどうなったの?みんな助かったの?」
保奈美は首を振る。
「私たち窓からこっそり見てたんだ。先生と二年生が校庭に出て第二校舎へ走っていくところを」
保奈美がごくりと唾をのむ。
「三人が暴徒につかまって殺された……残りの先生と二人は上手く第二校舎に入れた。それを見てみんな声はあげなかったけど喜んだの」
「未来って子は無事だったの?」
私の取材が大きく進展するにはその未来という子が必要だ。
「無事だった」
保奈美の言葉を聞いて私はホッとした。
「暴徒がみんな死んで、ようやくまとまった人数の警察官や消防隊、救急隊が私たちを助けに来たの。みんな校庭に集められたときに未来という子の姿があった。それに男の子もいた」
「それは一緒に地下に行った人?」
「一緒っていうか、二年生が出て行った後にもう一人二年生の男子が職員室に来たの。未来と修哉って子の友達で二人を探してるって。私がみんな地下へ行くために第二校舎へ行ったというとマスターキーをもって追っていった……心配になって窓から見ていたら校庭にいた暴徒が全員倒れていて動かないの」
保奈美たちはそれからも助けが来るまでは油断することなく窓から校庭の様子をうかがっていた。
そのうち助かった何人かの生徒が校庭に出てくるのも見えた。
「よく外に出れるなって思ったよ。だっていきなり起き上がって襲ってきたらどうするのって」
保奈美は笑いながら言った。
「その後だよね。助けが来てみんな校庭に集まって、未来と後から来た男子を見たのは」
「先生の姿は?」
「いなかった」
「校庭に集まっていたということは未来って子は地下に行かなかったの?だって行ってたら雑木林へ逃げれるのだから校庭に集まる人の中にはいないはずよね?」
「今から考えたらそうなるけど、そのときは無事でよかったくらいしか考えなかった」
地下から外に逃げるために危険を冒して第二校舎へ行きながら、なぜ外に行かなかったのか?何らかの理由があって雑木林には行けずに戻ってきたのか?
とにかく、その弓月未来という子に話を聞く以外にはない。
それと一緒にいたという男子に。
それから武藤教諭。
保奈美が姿を見ていないというだけで、もしかしたら無事なのかもしれない。
「その未来っていう子の連絡先とか知ってる?」
「ああ~……知らない。だって学年も違うし会ったのもそのときだけだし」
「そっか……そうだよね」
今まで取材した生徒たちに聞いてみよう。
まずは当時二年生の弓月未来。
そして武藤教諭の生存確認。
ボイスレコーダーをバッグにしまって保奈美に礼を言う。
「ありがとう。あなたのおかげでとても貴重な情報が手に入ったわ……どうしたの?」
保奈美の体が小刻みに震えている。
「まだあるの」
「えっ……ちょっと待って」
ボイスレコーダーをもう一度取り出そうとすると保奈美が私の手を掴んだ。
「違うの。暴動事件のことじゃないの」
保奈美が今までとは比較にならない怯えた目を私に向ける。
「私と同じように思い出したクラスメートは全員死んだの……私の他はみんな自殺した」
「それほんとう?」
「みんな言ってた。自分の中に誰かいるって……そいつが語りかけてきて思い出したって……嘘みたいでしょう?でも私もそうなの。ある日突然思い出したって言うのは、自分の中に自分じゃないものがいて思い出させてくれたの。いや、無理矢理思い出させられたのかも……そうしたらみんなは自殺しちゃって……側にいた人の話しだと暴徒みたいに血だらけになって死んだって」
「なにを言ってるの?しっかりして」
震える保奈美の手を取ってテーブルに置いた。
「今もそう。私の中の誰かがあなたに話せ話せって命令するの。誰かわからないけど声が頭の中に響いて……私も死ぬのかな?他の四人みたいに自殺するのかな?暴徒みたいになるのかな?」
自殺したという友人の様を聞いて暴徒にならずに発狂して自殺した者たちのことを連想した。
「ああっ!あなたどうしたの!?」
私を見る保奈美の顔、目や鼻、口から血が流れだしている。
「大変!救急車呼ばなきゃあ!」
私が急いでスマホを手に取ると保奈美は言葉にできないようなうめき声をあげて痙攣しながら床に倒れた。
体を震わせながら獣のような咆哮をあげるとピタッと痙攣が止まった。
周りの客が悲鳴を上げて立ち上がる。
「ちょっと!大丈夫!?しっかりして!!」
しゃがみこんで体を揺すっても反応がない。
保奈美は死んでいた。
血塗れの苦悶に満ちた形相を見て思わず後退りする。
床に広がる保奈美の血がまるで私に向かって流れてくるような恐怖に囚われた。
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