第17話 事件
鹿島市鹿島町とは多摩地域にある小さな町である。
昔は全く違う地名で畑と民家が点在していて、夜になると道を照らすものは月明りくらいしかなく、近隣の開発から取り残されたような場所だった。
1988年になり近隣の村や町が統合して鹿島市が誕生。ようやく開発の波が押し寄せる。
道が伸びて電車が通り、学校ができた。
おかげで人口も増えて、住宅の開発も進みそれまでの寂しい地域の様相は一変した。
現在は鹿島一丁目から五丁目までで、6567世帯、15641人が生活している。
東京二十三区へ通勤している住民も多い。
とりたてて特徴があるわけではないありふれた郊外の町。
それが鹿島町だった。
しかし、平成の最後の年にこのありふれた郊外の町で全国に名を知らしめる一大事件が起きた。
短期間ではあるが、鹿島町は日本で一番有名な町になったのだ。
その一大事件とは、ある日突然起きた「暴動」である。
それも普通の暴動とは違う、なにかとてつもなく不安で気味の悪い、正体不明な暴動だった。
私がなぜこの事件に興味を持ったのか?それは単純に好奇心からだった。
自分がオカルト、ホラーが好きということもあり、暴動に参加した暴徒の様相がかってみたゾンビ映画のようなビジュアルを想像させることもあった。
なんだか謎がありそうだし、これをまとめて記事にして本にでもなったらいいな。
動画配信もしてみよう。アクセス数が跳ね上がるに違いない。
「あわよくば一攫千金を目論んだ」そんな軽い気持ちだった。
そう、本当に軽い気持ちで私はこの事件に興味を持ったのだ。
私のオカルト好きは八年前に亡くなった祖母に由来する。
祖母は東北の山間にある寒村の出で、いわゆる霊感というか第六感が強い人だった。
祖母だけでなく祖母の姉も母親もそうした特殊な感覚を持った人だった。
話しによるとそこで生まれた人は誰しもそういうものを持って生まれてきたらしい。
中でも祖母の姉という人は特にそうした感覚が強かったそうだ。
祖母の話によると姉は蒸発してしまったらしく、そのことを当時の祖母は予感したという。
姉は村の郵便局で働いていたが、休みの日に友人数人と山へ行ったきり帰ってこなかった。
その頃、遠く離れた市街に働きに出ていた祖母はある日胸騒ぎがして電話をかけると村では大騒ぎになっていたという。
同じ日に数人の若い男もいなくなっていた。
当時の祖母は十三歳。今でいえば中学生、姉の方は十八歳。昭和二十八年頃の事件だった。
村では男女同じ数がいなくなったものだから色恋なのではないかと噂もたったが、いなくなった人たちはついにその所在がわかることはなかったという。
だから私は祖母の姉という人を、祖母が持っている白黒の写真でしか見たことがないのだ。失踪前に撮ったと思われる十八歳の頃の写真で見た祖母の姉は和風な美人といった感じで、これはさぞモテたに違いないと思った。
私がその失踪話を聞かされたのは小学校三年か四年生だったと思う。
最初はうすら寒く怖い感じがしたが、やがて男女同数ということからみんなで駆け落ちしたのだろうくらいにしか思わなくなっていた。
私自身は霊感や第六感が強いかというと、そういったものにはまるで縁がない。
私の母も同じだ。
だから常人には感じることのできない奇異な話を祖母から聞くのは面白かった。
そのせいで私は超常的なことに強い興味を抱くことになり今に至るというわけだ。
話がそれてしまった。問題の事件の方だが目撃者の話によると、目の前にいる人がいきなり獣のように叫び、狂暴化し、目や鼻、口から血を流し発狂したように暴れだした。
そして近くにいる人に襲い掛かったのだ。
その様がまるで気でも違ったようで、叫びながら殴るは引っ掻くは噛みつくはでとても正常には見えなかったという。
すると近くにいる人が同じように狂いだして周囲の人を襲う。
聞いた話を総合すると、そんなことが同時多発的に町内で起きたのだ。
これが普通の暴動だと思えるだろうか?
しかも大人だけではない。子供……中高生だけでなく小学生や幼稚園児、場合によっては赤ん坊までが血をだらだら流し化け物のごとき様相で狂暴化したのだ。
私にはとても普通の暴動とは思えなかった。
この暴動には普通でないなにかがあると確信した。
暴徒に共通しているのは痛みを感じない、恐怖を感じない、知能が欠落していること。
猛烈な勢いで走ってきて壁やドアに激突しても意に介さない。
走っている車に反応して襲い掛かり、はねられても動けるようなら襲ってくる。
説得にも反応しない。
とにかく目についた人を襲うことしか頭にないといったふうだ。ドアノブを回して開けることもせずに力任せに叩いたり体当たりする。
そんな中で、他者に危害を加えるのではなく自傷行為に走った者もいたという。
同じように叫びだし、ある者は車道に飛び出したり、ある者は窓をぶち破って飛び降りたりと自殺の方法は様々だが、夥しい暴徒と自殺者の関係はわからない。
ただ、両者に共に叫びだしたときには目や鼻、耳、口から出血していることだ。
自殺者はともかく、顔から血をだらだらと流した狂人がわき目もふらずに襲い掛かってくる様はまるでホラー映画のようだが、襲われた当事者の恐怖は想像以上のものだろう。
同時多発的に起きた凶行はウイルスが感染するように、恐ろしいスピードで町内に広まっていった。
この暴動の裏に潜むものはなにか。
パイの皮をむくようにベールを剥いでいけば誰も知らない真実に辿りつく。
そのときのことを思うとわくわくしてきた。
私の名前は大石ひかる。三十六歳、女性。夫は出版社勤務で二人の間には小学校二年になる美琴という女の子が一人いる。
職業はフリーのライター。雑誌からウェブまで幅広く記事を書いている。と、言えば聞こえはいいが実態は金になるならなんでもござれということだ。
仕事の依頼は来るもの拒まずという姿勢を貫いている。
そうでないと生活なんてできない。ただし、危険な取材に関しては慎重に検討はするが。
それと副業というか趣味で心霊系の動画チャンネルを開設している。
こちらは登録者数が最近百万人を超え、今では我が家の貴重な収入源になっている。
「鹿島町の暴動事件?あれを記事にするの?」
テーブルをはさみながら対面でビールを飲む夫の慶一が聞いてきた。
「うん。もともとはもっと前にやろうと思ってたの。でもコロナのせいでそっちの記事を書く仕事に追われてたから。ようやく落ち着いたから取り掛かることにしたの」
私は返しながら空になった慶一のグラスにビールを注いだ。
夫婦で晩酌をしている時間、美琴は二階の子供部屋で夢の世界を満喫している。
「でも、あれって二年……いやもっと前、三年近く前の事件だろう?今さら記事になるの?」
「なるわよ。新事実が出てくれば」
「新事実ねえ……。悪いけど今さらかな」
慶一は苦笑したように言った。
「だってあれが集団ヒステリーのよるものだと思う?」
当局から発表された暴動の原因は「集団ヒステリー」というものだった。
「じゃあなんだと思うんだよ?」
「ウイルスよ。それも新型コロナみたいな未知のウイルス」
「おいおい、遺体からも生存者からもそんなウイルスは確認されなかったんだぞ。俺だってあれが集団ヒステリーによるものだと言われても首をかしげるが、専門家が束になってかかってもウイルスなんてものは出てこなかった。他にそれらしい理由なんてないじゃないか」
「だから未知のウイルスなんじゃない?ウイルスと認識できないからウイルスじゃないと言ってるだけ……もしくは言わないように口止めされてるとか」
「ひかるの考えもわかるけど、そこまでいくと陰謀論になるぞ」
「陰謀論かどうかなんて、それこそ取材してみなければわからないじゃない。それにもし大スクープになるなら家の家計も大助かりじゃない?私の取材したものが出版でもされたら印税だって入ってくるし、動画へのアクセスだって天井知らずになるわ」
「たしかにな」
「ねえ?私がこの件を取材するの反対?」
「いや。反対はしないよ。ただ気持ちの悪い事件だからな」
慶一の顔に暗い影がさした。
それは私も同じだった。
この事件は気持ちが悪い。
暴動の詳細を聞いたら、あれが集団ヒステリーなんてものじゃないことぐらい誰でも思う。
同時に説明のつけられない気持ち悪さが頭をもたげてくる。
人間が出血しながら狂暴化したり自殺するようなウイルスなんて地球上のどこにも確認されていない。
それは事件が起きた当初から言われ続けてきたことだ。
人為的に作られた全く新しいウイルス、生物兵器、あるいは隕石の中に潜んでいた宇宙からのウイルスという線もあるが、そんなものはどこからも出てこなかった。
「ない」ものは「ない」としか発表できない。
そうなると知っている言葉で片付けるほかなかった。そうでなければ人知の及ばない人間には制御不能の事件になってしまう。
「慶一だってさっき言ったように集団ヒステリーで納得してるわけじゃないんでしょう?」
聞いてからビールに口をつける。
「まあな。だからといってあの事件に掛かりっきりになるってわけにはいかないからな。どうにも説明できなければ説明できそうな新しい事件を扱わないと」
「わかるよ。仕事だもんね。だからフリーの私がやるのよ」
「他の依頼とかどうするの?どっかから依頼されたわけじゃないんだろう?」
「もちろん他の仕事もきっちりやるわ。この世界、信用第一だからね」
「わかった。なにかあったらなんでも言ってくれ。できる範囲で協力するよ」
「さすが大手雑誌の編集長!頼りになるわ」
そう言ってビールを注ぐと、缶が空になったので新しい缶を取りに席を立った。
翌日になり美琴を学校に送り出した私はさっそく今までのコロナ関連で取材した感染症の専門家への連絡先を確認した。
鹿島町の暴動事件はウイルスが原因に違いない。
それが私のたてた仮設だった……が、結果は空振りだった。
取材したどの専門家に聞いても人を狂暴化させたり自殺させ、突然死のような状況に導くウイルスは存在しないという結論だった。
午後になり、さらに三人の専門家に連絡が取れたが返ってきた答えは同じだった。
「ふう……お手上げだなあ……」
ノートパソコンの前に置いたアイスティーを飲むとため息が出た。
気晴らしにカーテンを開けるとまぶしいくらいの明るさだった。
換気のために窓を開けるともわっとした熱気を感じる。
もう七月。すっかり夏だ。気を取り直すとネットで声をかけた鹿島町に縁のある人たちへ連絡を取ることにした。
暴動事件が起きて一ヶ月ほどした頃にSNSで鹿島町在住者とおぼしき人たちに取材を申し込んだ。
中には襲撃された学校の生徒、未成年もいた。
事件発生から三年以上が経過して、いまさら蒸し返すような質問をするのも若干気が引けたが割り切るしかなかった。
サイト経由のメールで対象者に連絡を取りながら、あらためて鹿島町暴動事件を検索してみる。
当時、かなりの数の動画が当事者たちからネットに上げられていたが今は全くない。
すべて削除されてしまったようだ。
たしかにショッキングな映像だし、プライバシーの問題もある。
だがネットに一度流出した動画を全て削除なんてできるものだろうか?
一時間ほど検索してみたがそれらしい動画は見つからなかった。
「誰が削除依頼を出したのだろう?」ふと、疑問を抱いた。
遺族だろうか?暴徒による被害者だろうか?個人が氾濫する動画をいちいちチェックして削除依頼を出し続けたのだろうか?
それともAIによる機械的な削除だろうか?
とにかくあらゆる動画サイトにあったものが消えてしまったのだ。
私は頭を振ると片隅に芽生えた疑問を追いはらった。
今はそんなことどうでもいい。考えを巡らせるような重要なことではないと思ったから。
改めて鹿島町の暴動事件に関する情報に目を通してみる。
それは七月一日、夏を目前にして起きた。
暴徒は八百人強という数である。
人口が一万五千人の町内でこの数の人間が暴動を起こしたのだから、いかに大事件だったのかわかるだろう。
暴徒による死者千二百人、重軽傷者は三千人強という数に昇った。
もともとこの町に暴動が起きるような下地があったのかというと、これが見事に無い。
なにかしらの事情で住民が対立していたとか、潜在的に暴発するような火種があったわけでもない。
ほんとうに調べれば調べるほど、日本中どこにでもあるような平和な町なのだ。
ただ、町のことをいろいろと調べてみると暴動が起きる一月ほど前から、通り魔による傷害事件や交通事故が多発している。
これが後に起きる大惨事とどう関係あるのか今はわからない。
そもそもこの暴動の発端はなんだったのか?
なぜ起きたのか?
私は椅子の背もたれに体を預けて天井を見た、
「ウイルスねえ……違うのかな?」
そう口にしたときに悪寒が走った。
ウイルスでなければなんだろう?
私がウイルス説にこだわっているのは、そうでなければ自分の中で説明がつかないからだ。
それに集団ヒステリーよりはウイルスの方が納得できる。
遺体から発見されなければ新種のウイルスの可能性を考える。
でも、全てが違っていたらどうなるのだろう?
もしも私が事件の裏にある真実に辿りついたとき、それが理解の範疇を超えていたら私はなにを感じるだろうか?
事件取材と平行して私は配信している動画で鹿島町の事件を扱うことを公表しようと思った。
ついでに、リスナーから情報を募れば面白い情報が入るかもしれない。
もちろん玉石混交だが、そんなことはわかっている。
ただ、引き出しが多い方がインタビューの際にも対象から情報を引き出しやすい。
美琴は小学校が終わってから学童保育に通っているので、帰ってくるまでにはまだ時間があった。動画撮影の準備をする。
私はマスクを着けてはっきりと顔を出していないのだけども画面に映る服や手、背景には気を使っている。
腰まである髪を後ろでまとめて画面映りをチェックした。
髪は長いほうが好きなのでこまめに手入れしながら伸ばしているのだが、夏になると風呂上りにドライヤーで乾かしていると、せっかく風呂に入ったというのに汗だくになる。
まあ、これは毎年のことなので慣れてしまったが。
映り具合を確認し終えたのでカメラをセッティングすると撮影を開始した。
五分間ほど鹿島町事件のあらましと取材することを伝え、最後にリスナーの皆さんから情報を募集していることを話して終わりにした
あとは動画に字幕を入れて編集するだけだ
動画の編集をしていると、画面上にメールの着信が入った私が今回、主にメールを送った相手は暴動事件で最大の被害が出たと言われる、鹿島高校の生徒たちだ。
私は鹿島町暴動事件で最大の被害者とも言えるのは鹿島高校の生徒たちではないかと思っている。
町中で発生し拡大した暴動は鹿島町にある学校にも及ぶ。
公立の普通科である鹿島高校。
ここに暴徒が殺到したのだ。
学校にいた多くの高校生が狂暴な暴徒の犠牲になった件は「鹿島町暴動事件」でもっともセンセーショナルに取り上げられたものだった。
助かった生徒の話によると暴徒に触発されるように生徒たちのなかにも狂暴になる者が発生したという。
暴徒が校庭に集まりだしてから時間を置いて、暴れだす者や自殺する者が生徒の中に出てきた。校庭は暴徒で溢れているので逃げ出せない。それからあとは閉鎖された学校という施設の中で繰り広げられた、文字通りの血の池地獄だったという。
渦中にいた生徒たちの話を改めて聞いてみたいと思った。
その生徒たちから返信がきたわけだ。
開いてみると、取材に応じるという旨が書かれていた。
文末には私の動画をよく見ていると書かれていて、少し気持ちが綻んだ。
これなら話しやすい。
順番にインタビューできそうな日を聞いていく。
返信が終わると再び動画の編集にもどった。
没頭しているとスマホのアラームが鳴る。
あと三十分したら美琴が学童保育から帰ってくる時間だ。
ちょうど編集作業も終わったところだった。
時計を見てから動画を確認する。
私は動画をアップすると、告知をSNSサイトに投稿するとパソコンの電源を切った。
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