第13話 恭平の決断

未来や真理と離れた恭平は息を殺しながら。掃除用具入れのロッカーに身を潜めていた。

武藤先生の提案でクラス全員が職員室に移動しようとしたときに、クラスメイトの何人かが豹変した。

パニック状態になった人波の中で、恭平は完全に未来や修哉、真理たちとは分断されてしまった。

狂暴化したクラスメイトから身の安全を図るには、教室の中に戻るしかなかった。

そのとき目についたのが開いたままの空になった掃除用具入れだった。

恭平はなにも考えず、ほとんど反射的にそこへ飛び込むと内側から戸を閉めた。

外からはクラスメイトの悲鳴と暴徒化した生徒の咆哮が聞こえる。

恐怖で体の震えが止まらない。

必死で扉を押さえながらも、顔の位置にある隙間から阿鼻叫喚の地獄絵図を見た。

顔中から血をだらだら垂らしながら、さっきまでクラスメイトだった者に、獣のような咆哮をあげながら飛びかかり、倒れた相手に殴ったり噛みついたりする暴徒化した生徒。

発狂したかのように自分の頭を壁に打ち付けながら、終いには窓から飛び降りる生徒。

不思議なことに暴徒化した生徒は発狂して自傷する生徒には襲い掛からなかった。

「なぜだ?」

恐ろしさの中で恭平は疑問を抱いた。

クラスメイトたちが教室から逃げ出すと、ほとんどの暴徒が後を追って出て行った。

しかし何人か残っているのか、唸り声が聞こえる。

恭平は教室に残る暴徒の様子を見た。

彼等は恭平が隠れている用具入れには興味も示さずに外へ出て行った。

さっきからの様子を見ていると、暴徒は音に反応したり視認した標的に襲い掛かるようだ。

それに暴徒化すると知能がほとんど無くなるように見える。

恭平がそう思ったのは暴徒が校庭から校舎に押し入ろうとしたとき、彼等はなにか道具を使ってガラスを割ろうとはしなかったのを見たからだ。

ただ体当たりしたり素手で叩くといったことしかしていなかったと思う。

さっきの教室に入ろうとしたときもみんなドアを叩いたりするだけで、ドアノブが回す者はいなかった。

ただ視認した相手を襲う事しか頭にない。

では自傷行為をしていた生徒を襲わなかった理由はなんだろうと考えてみた。

ひょっとしたら殺傷行為が自分に向けられるか他者に向けられるかの違いだけで、同じ状態の「仲間」だからではないだろうかと恭平は考えた。

なぜそういう違いが出るのかはわからない。


恭平は今まで自分の目前で起きたことを整理してみた。そうすることで「今なにが起きているのか」わかるかもしれないと考えた。

まずは最初に町のどこかで暴動らしきものが起きた。

頻繁に鳴っていたサイレン、火災が発生したような煙はそのためだろう。

そして暴徒が学校になだれ込んできた。

暴徒に触発されるように校庭にいた生徒も凶暴になった。

続いて教室内にいた生徒にも異変が起きた。

自傷行為をはじめ、最後は窓から飛び降りた。

しかも頭からつっこんで窓ガラスを割るという、発狂したような行為。

そして教室内の生徒から暴徒化した生徒が連鎖的に発生した。

他の教室でも同じようなことが起きたことは想像に難くない。

では原因はなにか?

なぜこんなことが起きているのか?

恭平には二つの情報があった。

一つは修哉が口にしたウイルス説。

もう一つは真理が話した悪意の念という説。

まずはウイルス説を考えてみる。たしかに狂犬病のように感染したことにより、脳神経細胞がウイルスに犯され凶暴になるものもある。

しかし、あんなふうに凶暴化することはない。

自傷することも聞いたことがない。

未知のウイルスならあり得るかもしれないが、恭平は過去の病院施設から新種のウイルスが漏れたという説には否定的だった。

ウイルス説自体にも懐疑的である。

まず、学校の地下に病院の実験室なりがあって、そこからウイルスが漏れたとしよう。

なら、最初に異変が起きるのは学校からのはずだ。

しかし実際には学校の外でまず異変が起きて、暴徒が押しかけてから学校での異変が始まった。

それに、もしウイルスだとしたらどのように感染しているのだろう?

狂犬病は唾液感染、噛まれたり唾液が侵入することで感染する。

今回は見ている限りでは唾液感染でもない。

頬を噛みちぎられた女生徒が凶暴化したが、他の凶暴化した生徒は噛まれたりしていなかった。

他にも、もみ合ったり押さえつけた人間はいたが発症していない。

凶暴化した生徒はみんな目や鼻、口から血を流していた。

あれに接触すれば感染するのでは?と思う。

だが、凶暴化した生徒には接触していないものもいるし、わけがわからない。

空気感染かと考えてみたが、それなら恭平自身も感染しているはずだが、それらしい症状は見られない。

恭平がウイルス説に懐疑的なのはこうした理由からだった。

次に悪意の念という説。こればかりは否定も肯定もしようがない。

恭平自身に霊感とか、そうしたものを感知する能力がないからだ。

ただ、霊が人間に取り憑いたとか物を動かしたという話は聞いたことがある。

だが、真理が言うように念を発して人に、これだけ大勢の人間に影響を与えるなんてあり得るのだろうか?

悪意の念で人を操るなんてできるのだろうか?

そのとき恭平の頭にある言葉が浮かんだ。

遠隔操縦。

大叔父の日記に書いてあった言葉だ。

「いや。あれには遠隔操縦が何を意味するかは書いてなかった」

それに暴徒の動きはなにか秩序立ったものがある様には見えない。

操縦なんて言えるものではなかった。

「それに大叔父の研究は身障者のサポートだったはずだ。こんな恐ろしいことに関係しているとは思えない」

恭平は否定するように頭を振った。

スマホを見ると相変わらず通信環境は遮断されたままだ。

「このままだとみんな助からないかもしれない」

みんなが職員室に移動しようとしたときから漠然と感じていた不安は、確信に変わりつつあった。

未だに警察が到着しないということは、それだけ学校の外、町全体が混乱しているからだ。

それは暴徒の数が警察よりはるかに多いからだと恭平は考えた。

暴徒は自分たちが傷つくことを全く恐れていない。

今までの行動を見ていればわかる。

機銃で掃射でもしない限り鎮圧できるとは思えない。

そんな方法を日本の警察がとるだろうか?警察でなく自衛隊でもそんなことはできないだろう。

暴徒がいくら凶暴でも、彼等は武装したテロリストとは違う。

あくまで丸腰の「一般市民」なのだ。

今の日本で警察や自衛隊がそんな強硬手段をとるとは思えない。

だから、いくら警察を呼んでも暴徒に対抗出来るとは思えなかった。

逆に暴徒の波に飲み込まれて殺されてしまうだろう。

自分もこのままでは長くもたない。

暴徒に見つかるまでここに隠れているか。

危険を覚悟で学校の外へ逃げるか。

「逃げるってどこへ?」

家ということも考えたが、自分一人で暴徒がいる町に飛び出したところで無事に辿り着ける気はしなかった。

絶望しかけた恭平の脳裏に浮かんだのは、夢で見た少女だった。

「もうすぐ会える」と少女は言った。

「もうすぐもなにも僕は死んじまうかもしれない」

自分で口にして急に可笑しくなった。

「妄想の産物なんだから会うもなにもないだろう。バカだな僕は」

自分に呆れた恭平が短く笑ったときだった。

今度は未来や修哉、真理、里依沙の顔が浮かぶ。

里依沙はこんな暴動に巻き込まれなくて本当に良かったと思った。

未来や修哉、真理は今頃どうしているだろう?

無事に職員室まで辿り着いただろうか?

まだ無事なのか?

次々と恭平の頭に疑問が浮かんだ。

「職員室へ行こう」

ここで一人いるより、何人かでいた方が僅かでも助かる確率が高まることは確かだ。

それにこんなときだからこそ友達と一緒にいたい。

助かるにしても、死ぬにしても。


恭平の考えは職員室に行くことに決まった。

行くのなら、ここを出るのは暴徒がこの階から移動したときだ。

息を潜めて時を過ごしていた恭平の耳に大勢が走る音が聞こえてきた。

暴徒たちがどこかに移動している。

「ここから出るチャンスだ!」恭平の全身に緊張が走り、震えがくる。

目を閉じると必死に呼吸を整えて自分を落ち着かせた。

やがて音が聞こえなくなると恭平は意を決して扉を開けた。

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