第5話 恭平の夢
恭平は一日の勉強を終えると座ったまま体を伸ばした。
時間は二十三時を過ぎていて、家の中は静まり返っている。
時折、前の道路を歩く人たちの声や遠くから救急車のサイレンの音が聞こえてくる。
嫌な音だなと恭平は思った。
恭平は昔から救急車や消防車、パトカーのサイレンが嫌いだった。
昼間はそうでもないのだが、夜に遠くから聞こえてくると意味もなく不安になってしまう。
不安といえば、最近ニュースになっている通り魔事件と多発する交通事故だった。
学校からは登下校はなるべく大人数で、外出の際は十分注意するように呼びかけがあった。
最初こそクラスメイトたちは自分たちとは関りのない遠くの出来事のようにとらえていたようだが、それは上辺だけだと思った。
みんな気がつかないが心の奥底に漠然とした不安を抱いている。
ただ、自分でも気がつかないから不安や恐れとは違う形で出てくるのだ。
それはあっけらかんとしている里依紗の言葉からも僅かだが感じた。
いや、生徒たちだけではない自分の両親、町の人みんなが恐れ抱いているのかもしれない。どうしてこんなことが起きているのか、誰にもわからない。
原因が分からないのだから、どのようにして終わるのかもわからない。
いつ自分や家族、友達が恐ろしい通り魔事件被害者になるのか?
何かもっと恐ろしいことが起きるのではないかという不安が不必要に心をザワつかせる
そんな時、恭平はあの日見た血を流したような夕焼けを思い出す。
あの空を見た時なんとも言えない恐ろしさを感じた。
思えばあの日から交通事故と通り魔事件が多発したのだ。
あの空とおかしなことに因果関係などあるわけがないと思っていても気にはなってしまう。
おかしなことといえば今日の未来もおかしかった。
未来が他の皆に内緒で自分を呼び出すなんて今までなかったことだ。
恭平が未来と知り合ったのは、小学校三年生の頃、同じクラスにいたのが未来だった。
仲良くなったきっかけは覚えていないが、恭平と未来と里依紗の三人がクラスの中でも特に仲の良いグループになった。
三人はタイプもバラバラだったが不思議とウマがあった。
女子二人に男子が一人なので、からかってくるクラスメイトはいたが恭平は気にならなかった。
そして三人が中学に進むと今度はグループに真理が加わった。
そして、この頃から恭平の中に未来を異性として意識する気持ちが芽生えた。
未来は美人で明るく社交的な性格からクラスの人気者だったが、四人のグループといる時間が一番長く部活や何か用事がない時は四人いつも一緒だった
そんな日々の中、恭平は自分の恋心が周囲に分からぬよう表に出さずにいた。
それでも未来に自分の気持ちを伝えたいという欲求がなかった訳ではない。
訳ではないなが怖かった。
自分の気持ちを口にすることで、今いるグループから外れてしまうのではないか。
もしくはグループそのものをダメにしてしまうのではないか。
そちらの恐怖の方が強かった。
だから恭平は自分の気持ちを伝えるよりも、今の心地よい友人関係を維持することを優先した。
高校に入り、未来に恋人ができた。
修哉だ。水泳部で背も高く、容姿も端麗活発で明るく誰に対しても分け隔てがない一緒にいて気持ちのいい男だと恭平は思った。
四人のグループに修也も加わった。
その中で未来と修哉だけ特別な関係になった。
恭平にとってそれはむしろ歓迎することだった。
これで未来に対する密かな恋も終わる、自分の中でも諦めがつくそう思っていた。
自分から見ても修也は未来にふさわしい相手だと思うし、そんな修哉と友人となれて恭平も嬉しかった。
だが、心の奥ずっと奥底に自分でも割り切れない何かがあった。
その何かに昨日の未来の行動はわずかな火を灯してくれた。
自分はまだ彼女に未練があると恭平は思った。
今の自分の気持ちを色々と客観的に見てみると、そうならざるを得ない。
かといって、今さら自分の気持ちを伝えようなどという悩みを抱くことはなかった。
このまま自分の気持ちを見ないでいれば時間が解決する。
燃えカスのような気持ちに今更火がついたところでたかが知れている、そう思うことにした。
これまでと変わらない平凡な日常を友達と会い、友達として語らい笑いあう。
それこそが自分にとって何ものにも代え難い大切な日常なのだと自分に言い聞かせた。
そう言い聞かせたときに自分を呼び出したときの未来を思い出した。
今思えばあの時、未来の雰囲気はいつものものとは違った
顔も何もかも目に見えるもの全てが未来なのだがその中、中身が未来ではない。
全く別の人間。
今思い起こせばそうした疑念が湧き上がってくる。
自分の知っている未来とは明らかに違ったと。
「いやいや。何を考えてるんだ。我ながら馬鹿馬鹿しすぎるだろう」
恭平は頭を振ると疑念を追いはらった。
気持ちを切り替えるように恭平は一番上の引き出しを開けると、古いノートを取り出した。
表紙には記入が始まった日付と「小織卓」という名前が書いてある。
小織卓。
恭平の大叔父で目標にしている人物でもある。
卓とは面識などないのだが、恭平は家族では祖父母、父母に似ず一人だけ学究肌だった。
親族を見渡しても、自分に近しい感じの人はいない。
そんなときに祖父の弟が研究者だったと聞いて興味を持った。
だが卓がどういった分野を専門に研究していたのか、大まかなことしか恭平にはわからない。
なぜなら卓は自分の、ある時期の研究資料のほとんどを焼却して命を絶ったからだ。
自殺だったが遺書のようなものもなく、理由は誰にもわからなかった。
ただ、亡くなる数ヶ月前はほとんど家から出ることはなかったという。
祖父から聞いた話では卓は障害を持つ人や寝たきりの人のサポート技術を研究していたらしい。
身内のことながら祖父も卓の生活や仕事のことはほとんど知らなかった。
離れて暮らしていたし、なにより二人とも多忙だったし、互いの仕事にあまり興味がなかった。
ある日、弟の死を知らされた祖父は青天の霹靂だったそうだ。
それから数年後に、卓の元同僚という外国人が彼から預かった日記を持って訪ねてきた。
自殺する前に国際便で届いたという。
やがて祖父が亡くなり、恭平の父親が大叔父の形見を持つことになった。
恭平は卓という人物を古い写真でしか知らなかったので、この日記に興味を持った。
読んでみると日々の研究の経過などが極簡単なメモ代わりに書かれているときもある。
だが、読み進めていくとある日を境に日付がとんでいて、そこからは以前のような研究に関することはほとんど書かれていなかった。
たまになにかの数値と思われる数字と、遠隔操縦という言葉が目に付いた。
それが何を意味するのか恭平にはわからない。
日記は自殺する数ヶ月前で書き込みが終わっている。
ノートは三分の一程度残っていることから、恭平は卓の身上になにか変化があったのだと思っている。ただ、それが卓の命を絶つことにつながったのかは想像でしかなかった。
ノートからはらりと写真が一枚落ちた。
恭平は拾いあげるとしばし見てからノートに戻す。
それは卓と研究チームの写真に見えた。
白衣を着た卓と、同じ仲間と思しき人たちが数人。
そして一緒に子供が十三人写っている。
みんな笑顔だ。
子供たちの年齢はみなばらばらだが、自分に歳が近いと思われるのは四人くらいで、後はそれより年下、小学校低学年と思える子供も数人いた。
その中で歳が近いと思われる四人の中の一人、卓の傍らで微笑んでいる少女に目が吸い寄せられる。
異様に整った顔立ちでどこか儚げ。
儚げで美しいと恭平は感じた。
こんな美しい人は見たことがない。
彼女たちはなんだろう?どこの誰とわかるようなことは日記に一切書かれていない。
恭平は短く息を吐くと、ノートをしまい寝ることにした。
詳細はわからないが、卓の研究はとても人のためになると恭平は思っていた。
自分もそうした有意義な研究を将来してみたい。
そう思っていた。
明日の学校の準備を終えると恭平はベッドに入った。
「恭平くん。恭平くん」
夢の中で自分を呼ぶ声がする。
女の子の声だ。
「誰?」
夢の中で尋ねる恭平。
薄暗いコンクリートの床の部屋でがらんとした中央に学校の制服を着た女の子が立っている。
髪が長く華奢な感じだが、顔ははっきり見えない。
その子が恭平を呼んでいる。
呼びかける声ははっきりしているが、夢だという自覚がある。
「私。また会えたね」
「君か。この前の」
「覚えてたんだ?嬉しい」
恭平は前にも同じ女の子が出てくる夢を見た。
あれは未明に地震があった日、学校の帰りにあの不気味な夕焼けの日。
あのときの女の子は、もっとぼやけていて、どういう服を着ているかはっきりわからなかった。
しかし声だけははっきりと聞こえたし覚えていた。
今の夢の声も同じ声だ。
「君はうちの学校の子?」
制服を着ているのだから、少なくとも自分の記憶にある生徒かと考えた。
「そうね。そんなもんかな」
言ってから女の子はクスクスと笑った。
「名前は?君は僕のことを知ってるみたいだけど僕は君のことを全然知らない」
「名前なんてないわ」
「名前がない?」
「ないものはないの。別にもう興味もないし。それに私だってつい最近に知ったのよ。あなたのこと」
恭平は近付こうとしたが踏み出せない。
何故か女の子に近付くことができない。
「恭平くん。どうしてこの前は未来って子に正直に言わなかったの?」
「えっ。な、なんだよそれ?」
夢なのにドキッとする。
「知ってるよ。恭平くんが未来って子を好きなこと。ずっと前から。今の彼氏が現れる前から好きだったの」
「そんなこと」
恭平は否定したが女の子が言っていることは本当だった。
昔から未来に好意を抱いていた。
ただ、恋愛事が苦手ということと良好な友人関係が気持ちを伝える意思を萎えさせてきた。
そして後から加わった、自分とは正反対の修哉という存在が未来と特別な関係となってしまう。
だからと言って修哉になにか恨みや文句があるわけではなかった。
修哉は誰に対しても別け隔てなく、明るく、人間的にも魅力がある。
自分も友人として修哉が好きだ。
「私にはわかるの。恭平くんの気持ち。友達を思いやる心」
女の子の声は清水の流れるかのように恭平の胸に入り込んでくる。
彼女の言葉には不思議と心地良いものがあった。
「友達関係を壊したくないからこの前は未来に誘い水かけられても言わなかったんでしょう?自分の気持ちを」
その通りだった。
「ああ。そうだよ」
「優しいんだ」
「違う。そんなんじゃない」
恭平は女の子の言葉を否定した。
「僕はただ、自分が関わる人間関係を壊したくなかっただけなんだ。面倒は嫌いなんだよ。自分のどうにもならないことで」
恭平にとって未来への恋は自分でどうにかできるものではなかった。
「そうやって繊細に考えれる人って私好きだな。あの人もそうだった」
「あの人?」
「私の大切な先生」
「うちの学校の?」
恭平が尋ねると女の子は照れくさそうに首を振る。
「あなたに、恭平くんにとても似てるの。見た感じや考え方、雰囲気とかね」
「そうなんだ」
好きな人が自分に似ていると言われ恭平は少し照れくさくなった。
「あの未来って子も馬鹿ね。恭平くんみたいな素敵な人に気が付かないで、あんなガサツな男と付き合うなんて。私ならありえない」
「そんなことはないよ。修哉は良いやつだよ」
夢の中で恭平は、この女の子は自分のストレスか欲求が生み出した妄想の産物ではないかと思った。
すると女の子は恭平の考えを見透かしたように話した。
「私は妄想じゃないわ。私は私として存在してる」
「また思ったことを当てられた。君は凄いね」
「本当の私はもっと凄いの」
女の子が笑う。
考えてみたら夢なんだから、なんでもありだなと恭平は思った。
「そろそろ帰るね。あまり出歩くのは疲れるから」
「出歩く?」
「あまり長いこと外にはいれないの」
「どこか悪いのかい?」
恭平が聞くと女の子は首を振った。
「また会いに来るね。会いに来ていい?」
「ああ」
夢の中で会う女の子に恭平も会いたいと素直に思った。
「ありがとう!また来るね!次は夢の中じゃなくて」
「えっ?」
「もうすぐ会えるの。もうすぐ。この前はうっかり失敗したけど今度は大丈夫」
女の子の姿がどんどん遠ざかり、周りの景色もノイズが走るように歪み消えていった。
そこで恭平の目が覚めた。
「なんだ今の夢……」
起き上がって時計を見る。
午前一時。
「自分を慰めたくて、夢の中であんな存在を作り出してしまうなんて。やばいな」
恋愛が上手くいかない自分の自慰的夢と思うと、我ながら情けないと思いつつ自嘲気味に笑った。
「えっ!」
そのとき人の気配を感じた。
自分しかいない部屋なのに。
しかし部屋の隅の一際暗い闇から視線を感じた。
じっと目を凝らして闇を見る。
ここ最近、あの地震があった日から誰もいない場所で人の視線を感じたりする。
気のせいだと思っていた。
「わあっ!」
恭平は驚き声を上げた。
今、空気が動いた。
風もないのに自分の頬をふんわりと撫でるように。
窓は閉まっている。
同時に感じていた気配も消えた。
「寝ぼけてるのか僕は」
恭平は頭を振ると再びベッドに横になった。
それにしても気になったのは女の子が口にした未来と修哉に対する物言いだった。
夢である以上、あれは自分自身の言葉だ。
意識しなくても自分は心のどこかで二人を悪く思っている。
だからああして夢になるのだと思うと自己嫌悪しかなかった。
溜息をつき目を閉じる恭平。
今度はおかしな夢を見ることもなく、朝まで深い眠りにつけた。
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