第4話 幸福と戸惑い
朝になって制服を着てリビングに降りるとテレビのニュースをやっていた。
「未来。あんまりゆっくりしてないで少しは急ぎなさい」
「わかってる」
朝食のトーストをかじりながら画面から流れる音声を聞き流していると、気になるニュースが流れた。
昨日は夕方に交通事故が多発したらしい。
その中に私が下校中に出くわした事故も含まれていた。
ドライバーは全員死亡。
後ろを走っていた人のインタビューが流れた。
事故を起こした車はそれまで市場に走っていたのに急に蛇行して道路脇にあるコンビニに突っ込んだらしい。
昨日の夕方に見た光景が頭に浮かんでくる。
他の事故もほとんど証言が同じだった。
「お母さん、私この事故見たよ」
「そうなの?気をつけなさいよ。歩いてるときにスマホとか夢中になってないで注意しなさいよ」
「はーい」
気の抜けた返事で返す私の耳にもう一つのニュースを読み上げる声が入ってきた。
通り魔事件が三件も起きたらしい。
こちらは詳しい情報はやらなかった。
学校に行く途中で里依紗と会い、一緒に歩いていくと校門の前に先生が二人も立っていた。
「なんだろう?」
「昨日は通り魔とかあったからだろうな。しかも三件、みんなこの町だぜ」里依紗がスマホを見せると画面に配信記事が映っていた。
「例の婆さんといい、最近は頭のおかしいの多いもんな」
「そういえば昨日、事故があったじゃない。他にも同じ時間帯に事故があったんだって」
「気をつけなきゃな。のんびり歩いていられないって」
こうして事件や事故について話していると、どうにも不安を感じてしまう。
そんなニュースは四六時中流れているし、日常的に起きているのに。
やはり自分の生活圏内で起きたからだろうか。
不幸不吉が自分の身近で起きていることに感じる不安。
それが私の中で紙に垂らした墨のように広がっていった。
「おはようー!」後ろからいきなり真理が挨拶しながら背中を叩いてきた。
「おはよう!ビックリした~」
「脅かすなよ」
「へへへ……歩いてたら二人を見つけて嬉しくって」真理は照れたように言った。
「そういえば今日って未来は修哉とデートだっけ?」
「うん。今日は部活が休みだから」
「そっか。一週間ぶりか。にしては嬉しそうじゃないね?」真理が私の顔を見ながら言う。
「嬉しいよ」笑って返した。
さっき話していた事件や事故に感じた不安や恐れが顔に出ていたのだろうか?
「気にしない気にしない」心の中で自分に言い聞かせると、二人に笑顔で別の話題を振った。
放課後になって玄関で待っていると、修哉が自転車を押しながら来た。修哉の家は私の
家よりも学校から離れているので自転車通学している。
「どう?調子は」
「まあまあかな」自転車を押しながら修哉が答えた。
「試合ではスカッと勝って自己ベストも更新したいよ」
話しながら校門を出ると、自転車に跨った修哉に乗るように促された。
後ろに腰掛けると修哉の体に腕を回す。
修哉が自転車を漕ぎ出すと風に髪がなびいた。
「今日は久しぶりに私の家行こうよ!」
自転車が坂道を下り、スピードが上がる。私は修哉の腰をギュッとつかんだ。
近くのコンビニで飲み物とお菓子を買って私の家に行くとネット配信の映画を観た。
映画が終わってエンディングが流れ始めたときに修哉が口を開いた。
「里依紗、ほんとに出て行くんだって?」
「うん」
「そっか」修哉はうなずくと間を置いてから「真理はどうしてる?」と、聞いてきた。
「うん。表面上は明るくしてるけど、たまに一緒にいると悲しそうな顔してる」
「仲いいもんな。特に真理は里依紗をお姉さんみたいに慕ってるもんな」
「そうなんだよね」
「でも会おうと思えば会えるんだろう?」
「それは里依紗も言ってた。いつでも会えるって」
「なら、良かったのかな」「そうだね。これで良かったのかも」
里依紗の家のことを知ってる私達は、彼女の選択を良かったことと考えた。
「次はどれ観ようか?」ちょっと気分が暗くなったので、雰囲気を切り替えるように修哉に聞いた。
「未来の観たいやつでいいよ」
「じゃあこれかな」
ベッドに寄りかかって、二人並んで観る。
久しぶりに修哉と二人きり。
私の中は、修哉への気持ちでいっぱいになった。
こうしていると、みんなといる時とは違う幸福感で満たされていった。
次の日、武藤先生からホームルームの時間に、昨日から今朝にかけてこの近くで通り魔のような事件が新たに起きたと話があった。
「昨日も話したと思うが最近立て続けに起こっている。みんな登下校は十分注意するように」
先生の話を聞いてもクラスの皆はどこか現実味のないことを聞かされてるような雰囲気だった。
でも私は気になってしまう。こんな事件が起きるような町じゃなかったのに。
気にしてしまう私の方がおかしいのだろうか?
今日は学校が終わってからどこかに寄るということはなかった。
修哉は部活なので、真理と里依紗と恭平と四人で話しながら帰った。
家に着くと自分の部屋に上がって机にスマホとカバンを置くとベッドに座った。
昨日は修哉と一緒にいたことを思い出しながら部屋を見回して、自分の中に温かいものが湧き上がった時だった。
風鈴がカランと鳴った。
窓から入り込む風がカーテンをふわっと揺らす。
「なにこれ?」
なんだか自分の中をかき回されるような、ざわざわするような不快感を覚えた。
なんだこれは?今までに感じたことのない感覚と急激な睡魔に襲われた。
ガクッと意識が落ちたような感じがして目の前が暗くなった。
目を開けると制服のままベッドに横になっていたことに気がついた。
さっき感じた不快感はどこにもない。
時間を見ると本当に一瞬だけ寝ていたようだ。
夜更かししたわけでもない。こんなこと今までなかったのに、一体どうしたんだろう?。
大きく息を吐くと机の上に置いたスマホに視線が行く。
私の頭の中に「電話をかける」という考えが浮かんだ。
誰に?恭平に。
自分でも不思議なくらいドキドキしている。
手を伸ばして一旦止めた。
自分の中で恭平に電話をかける理由がない。
でも躊躇した手を伸ばして、スマホをつかむ。
まるで自分の手が自分のものでない、テレビの画面に映る他人の手を見ているような妙な感覚だ。
私はスマホの電話帳を開くと、恭平の番号をプッシュした。
どうして?なんで恭平に電話をかけるの?
コール音を聞いている間、私の鼓動はどんどん高鳴っていく。
「はい」
「恭平、今って暇?」
「ああ。暇だけど。どうしたの?」
「ちょっと付き合って欲しいんだ」
「なにかあった?」
「ちょっとね」
「里依紗も呼ぼうか?」
「ううん。あなたと、恭平と二人だけで話したいの」
恭平は言葉に詰まっているようだった。
きっと修哉のことを気にしているのだろう。
「お願い」
「わかったよ」
私が困ったようにお願いすると、恭平は承諾してくれた。
「じゃあ三十分後に駅向こうのファーストフードで会おうよ!」
躊躇するように返事をした恭平と約束すると電話を切った。
まだドキドキしてる。 私は喜んでいる?
でも、なぜ自分が喜んでいるのかわからない。
どうしてだろう?
着替えてメイクをする。
まるで初めてメイクするみたいにドキドキしている。
準備が終わって家を出ると、不思議なことに目に映るいつもの風景がまるで初めて見るように新鮮に感じた。
空を見上げると今まで感じたことのないほど気持ちが昂り嬉しくなる。
こんなことは初めてだ。
その感覚は歩いている間、ずっと続いた。
待ち合わせしたお店の前で恭平に連絡を入れると恭平は先に着いて店内で待っていてくれた。
私はお茶とハンバーガーをオーダーして恭平が待つ二階へ上がった。
「恭平!」
姿を見かけて声をかける。
恭平が遠慮したように手を挙げる。
「ごめんね。待たせて」
「ううん。僕も今来たところだから」
そう言う恭平のポテトは半分以上なくなっていた。
「優しいんだね」
私はそれを見て微笑むと、恭平の正面に座った。
じっと恭平の顔を見る。
恭平は照れたように目を逸らした。
思ったとおりだ。
「恭平と私と里依紗ってずっと前から友達だよね?」
「ああ。どうしたの急に?」
恭平の様子はいつもと違って、どこかおどおどしている。
いつもは他に誰かいるけど今は私と二人きりでいるからだろう。
今まで二人っきりになったことなんて記憶のどこを探しても見当たらない。
「なにがあったんだい?」
「なんにもない」
私が歯を見せて言うと恭平はさらに戸惑った。
「でも君はさっき電話で」
「強いて言えば恭平と話したかったの。二人だけで。ほら、私と恭平ってこうして二人で話したことないでしょう?」
「それはそうだけど、わざわざ改まって話すことって…… 僕はてっきりなにかあったのかと」
「それはごめんなさい。でも私は恭平と二人だけで話したかったの。でもそれを言ったら恭平は断ると思ったから。私と修哉のことを気にして」
「いや、いいよ。謝ることじゃないよ」
私が申し訳なさそうに謝ると恭平は宥めるように言った。
頬をほころばせた私は恭平の顔を見る。
恭平は目を伏せながら目の前にあるコーラを飲んだ。
飲み終わるのを待ってから話しかける。
「里依紗は彼氏がいるし、私も修哉って彼氏がいる。恭平は?誰か好きな人とかいないの?」
「えっ?」
恭平は驚いたように私の顔を見た。
「そんな驚くことかな?気になるじゃない?」
「僕にはそういう相手はいないよ」
「そうなの?」
視線を外しながら答える恭平の顔を見つめながら聞いた。
「恭平、私のこと見てるじゃん」
「えっ」
また飲み物を手に取ろうとしていた恭平の動きが一瞬止まった。
そんな恭平の顔を見つめる。
「それは誤解だよ」
恭平は長めの髪を揺らしながら否定した。
「そっかあ。 私の勘違いか」
「そ、そうだよ」
人差し指でメガネを上げながら恭平が言った。
「ごめんなさい。気になっちゃって」
「なにを?」
「恭平が私のことどう思っているかって」
どうしたんだ?何を言っているんだ私は!
でも、恭平を前にしていると自分の言葉が止まらなくなる。
思ってもいないことを自分の言葉として発している。
「僕は」
恭平は逸らしていた視線を私に向けたときにテーブルに置いた私のスマホが着信を知らせた。
修哉からだ。一瞬、眉根を寄せると修哉からの電話には出ないで転送した。
「おい。 大丈夫か?どうしたの?」
恭平に言われてハッとする。
瞬間、自分の中を風が抜けるような感覚がしてなにかが軽くなったような気がした。
同時に激しい混乱に襲われる。
なぜ私は修哉からの電話を切ったのか?どうしよう?なぜこんなことを?
「電話いいのか?」
恭平が私に心配そうに聞く。
家に帰らないと。
「ごめん恭平。私から呼び出しておいて」
私は頭を下げると、前に垂れる髪をかきあげた。
修哉からの電話を切って、私は正気に戻ったような気がした。
今考えたら、なんだかさっきまでは熱に浮かれていたというか……
冷静な自分がいて、そうでない自分がいる。
まるで自分の中に異なる誰かがいるみたいな不思議な感覚だった気がする。
恭平に何度も謝ってから急いで家に帰ると部屋へ駆け上がった。
ドアを閉めて乱れた呼吸を整える。
まずは恭平に電話しないと。
「はい」
「恭平、私」
「わかるよ。もう家に着いた?」
「うん。さっきはごめんなさい!変なこと言って困らせちゃって」
私は電話しながら頭を下げて謝った。
ほんとうに申し訳ないと思ったから。
「いいよ。気にしてないから」
あの時の私は、恭平がまるで私のことを好きだと決めつけて話していた。
そんなことあるわけないのに。さっきまでの自分に嫌悪感を覚えた。
「ほんとに?怒ってない?」
「ああ。ちょっと驚いたけどね」
電話の向こうの恭平は笑っていた。
「あと虫のいいお願いなんだけど、今日のことは誰にも言わないでくれる?」
「ああ。誰にも言わないよ」
恭平とはそれから少し話してから、最後に改めて謝って電話を切った。
スマホをベッドに置くと大きな溜息が出た。
私ったら何をやってんだろう?
気を取り直して今度は修哉に電話する。
「私だけど」
「ああ、さっき部活終わってさ。別に用事ってわけじゃないけど電話したんだよ」
「うん。 ごめん、寝てた。着信見て気がついたんだ」
笑いながら言った。
「悪い。起こしちゃったか」
「ううん。大丈夫。修哉はもう家?」
「ああ」
それから十分ほど話して電話を切った。嘘をついた自分にちょっと後悔する。
自分がどうしてあんな行動をしてしまったのか?
いくら考えてもわからなかった。
自分で考えて話したり動いたりしているようで違和感を覚えている自分がいた。
まるで私の中にもう一つの人格があって、その人格が私を動かしている。
そんな感じがした。
恐ろしくなった。
私の中に何かいるのか?
でも今は普通だ。
普段と何も変わらない。
どうなったのだろう?私は。
「えっ!」
なにか気配を感じた。
なにかが動いたような、空気が動くような気配。
でも部屋には私しかいない。
動くようなものは何もない。
汗がどっと出てきた。
「なんなのこれ?」
しばらく動かないでじっとして部屋の中に目を泳がせた。
なにもいないし、なにも動かない。
もう気配らしきものもない。
でも、自分の中の恐れは消えなかった。
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