第四話 臭い

「ウミヘビは猫を食ったんだろ?」


私は帰りの電車の中で何度もその文章を反復した。彼の言っている意味が全くわからなかったが、なんだか含みのある言い方で、「あだばだ」を解く鍵に思えてしかたなかった。


うみねこならまだしも、猫を食べるかね、ウミヘビが。ウミヘビ、ヘビ。猫。


 私はその二つの動物から十二支の物語を思い出した。

 「1月1日の朝、私のところに来なさい、順番に年の動物にしてあげよう。しかし、12番目までだ。」と神様は言った。

 鼠は牛の頭に乗り、神様の手前寸前で飛び出して見事一番になった、牛はその後を続き、足の速い虎は三番目と、キャラクターが豊かで楽しい話であるが、この話には十二支に入らなかった猫も出てくるのである。鼠が日にちを騙し、猫は間に合わなかったのだ。それ以来鼠は猫に追い回される運命になった。

 

 「猫は仲間外れだな」


電車に揺られながら、正面の窓に反射した自分の姿を見た。昨日髭を剃らなかったからか、ごま塩が顎下にふりかけられ、顔に疲れが出ているようだった。確かに、いろんなことがあったように思えるが、実際得たものは無い。朝、「あだばだ」を見て、授業をさぼり図書館に籠り、ラーメンを食べた。なんと無意味だろう。なんの役にも立たない、大学生なんてそんなものかと携帯でヒデとのメッセージを開いた。


「海苔と味玉あざす、明日は授業出ろよ」


 律儀なやつだ。私は、ウサギなのかネコなのか犬なのかよくわからない四足歩行の動物が片足を上げ、ニンマリ笑っているスタンプを送った。



 そういえばもう少し行った駅らへんだったな、朝、老人の新聞に「あだばだ」を見つけたのは。



ーー駅、ーー駅。



駅のホームのドアが開いた。

3月中旬とは思えないほどひんやりとした空気が車内に流れ込んだ。

私は思わず鼻を摘んだ。その行動は寒さからではなかった。

鼻を摘みたくなる匂いが空気と共に流れ込んできたのだ。


異臭、目に染みるほどの異臭。本能でわかる、ここは危険だと、鳥肌が経ち、冷や汗が脇を湿らした。

私は息を呑んだ。飲み込んだ唾にもその匂いが移ってる気がして吐き気がした。


「おぇっ、、」

逆流しそうな胃液を寸で止め、涙目になりながら周りを確認する。


いつからだったろうか、この車両に私以外居なかった。学校近くの駅で乗った時には少なからず人はいたはずだが、いつの間にか降りてしまったのだろうか。


一人取り残された車内は冷気と異臭で満ち、まるで私の方が全く別の世界に来てしまったかのような異物感に囲まれていた。心臓の音が速くなり耳が痛くなった。ドクンドクンと脈打つ血液は警告音に思えて、ただただシートの上で小さくじっとしているしかなかった。


「早く閉まってくれ」


こういう時に限ってドアはなかなか閉まらない。感覚的な問題かもしれないが、私は目を強く瞑り、「早く閉まれ」と心の中で何度も声に出した。



ドアが無機質な音と共に閉まり始める。


「ふぃ、、」

私は安堵した。




ドアが閉まりきる直前、遠くから鳴き声がした。

それは猫の鳴き声のようだった。





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