第二話 大苗神社

 図書館を出た私たちは学校の南門を抜け、正面に見える大苗神社の境内を通り、駅前へと向かっていた。

 大苗神社は狛犬のいるべきところに犬は居らず、代わりに耳が少し長く、尻尾の長い動物が座っていた。夜だったせいもあるだろうが、私はそれをきつねだと気づくのにずいぶん時間がかかった。鳥居の朱色は夜に関係なくはっきりと見え、最近建てられたような鮮度があった。


「こんなところに神社あったっけ?」


「あった、タカが学校に来なさすぎるんだろ」


「来てないのはヒロだろ」


「それもそうだ、てかヒロ返信遅いな。何してんだ」


「さぁね、しらない」


九時半を過ぎると仕事帰りのサラリーマンの数も少なくなり、駅前は人が少なくなっていた。活気がないわけでもなく、昔から細々と続いているうどん屋や立ち飲み屋にはそれなりに人がいるようだった。

私たちが入ったラーメン屋はその店らの並びにある「笑福」という店である。家系やら二郎系やらがわからない私にとっては、いたってシンプルな町中華屋のそれが一番おいしいと思う。そしてこの店はトッピングがなかなかに豪華であるのもいい。


「海苔と味玉つけていい?替え玉は遠慮してやるよ。」


「なんで上から目線なんだよ」


「さんきゅー」

なぜ許可の意だと思ったのか理解できないが、ヒデは店員を呼び、注文を通した。


「タカはどうする?」


「えー、じゃあ笑福らーめんを一つ」


はい、かしこまりましたーと全く抑揚のない声が聞こえ、メニューが下げられた。


「タカはトッピングいいの?」


「誰かが注文したからね、金欠なんだよ」


「まぁまぁ」

ヒデは水をコップに注ぎ入れ、一気に飲み干した。


「で、結局分かったの?あだばだ」


「いや、わかんない、日本語にはそんな言葉なかった。似たような言葉はあったけどな、徒花、季節外れの花って意味だったかな。フランス語にはアダって単語はあったけど、人の名前らしい」


「徒花、それじゃないのか?なんかかっこいい言葉じゃん。」


「そいやヒデ、お前第二言語フランス語じゃなかった?」


「いや、確かにそうだけど、第二言語にそんな期待すんなよ、単位ギリギリだったんだから。でも、アダじゃないと思うぞ、エイダって発音するんだと思う。」


「エイダ、エイダバダ。エイダ、エイダってなんだ、」

エイダバダ、私は何度も声に出してみたが、アダバダとは全く別物にしか思えない。全く知らない土地の全く知らない言葉、言葉にすら感じなかった。声に出せば出すほど大きな闇が口から生まれ、それに取り込まれてしまうのではないかと、不安になった。これは違う、私は直感した。


「エイダ・バイロンって人ならいるぞ、19世紀イギリスの世界初のプログラマーだってさ」

 ヒデがおそらくウィキか何かを見ながら言ってきた。

「ちょいと見してくれ」

私はヒデの手から携帯を半ば無理やり取り、そのページを読んだが「あだばだ」に繋がりそうなことは書いてなかった。ベルヌーイ数、詩的な科学、プログラム言語など、どうやらむつかしいことが書いてある。


おまたせしましたぁーとまたも抑揚のない声でラーメンが運ばれてきた。



「おぉ、うまそうだ、やっぱここのラーメンがいいな、寒い夜にはたまらない」


ヒデが海苔をスープに浸し、レンゲに小さいラーメンを作っていた。ヒデのラーメンは私のより少し豪華だ。海苔と味玉が追加され、麺が隠れている。なんでも入れればいいってものでもないだろと思いながら、海苔追加すればよかったなぁと少し思った。


「海苔やるよ、特別だからな」


ヒデがこちらの心でも読んだように、椀に一枚入れてきた。


「俺の金だわい」


ヒデは祝杯を仰ぐようにラーメンのスープを喉を鳴らしながら、スープを飲み干した。私は少し早く食べ終えていたので、それを肩ひじ着きながらぼんやりと眺めていたのだが、その飲み干した椀の朱色から目が離せなかった。最近、どこかでこの色を見た、どこだったろうか、艶めかしい、引き込まれるようなこの朱色は。


「あぁ、鳥居だ!大苗神社の鳥居!」


私が声に出すのと同時に、ヒデの携帯が鳴ったので、余計に驚いていた。


ヒロからの返信らしかった。

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