あだばだ

@kironekutai

第一話 あだばだ

『あだばだ』


通学途中、電車に揺られながら、正面に座る老人の新聞にその言葉は書いてあった。


あだばだ、アダバダ、何かの呪文だろうか?


その新聞がどのような記事なのかも、事故なのか事件なのか、スポーツ紙か政治紙かもわからず、ただその文字だけが頭の中に直接入ってきた。知らない言葉であったが、不思議と妙に血液に染み込むような、肌に馴染む響きがあったためだろうか、私はその日、一日中その言葉に支配されていた。


授業より少し早く大学に着いた私は教室に向かうはずの足を図書館に向けた。

当然、「あだばだ」について調べるためであった。

ーーーーーー

いくら探しても「あだばだ」という言葉は見つからなかった。

図書館には35以上の日本語辞書があるがそのほとんどを調べ、英語やドイツ語フランス語の辞書を、調べ上げようとしたところで、私の名前を呼ぶ声が聞こえた。


「おい、タカ、何やってんだ、授業も出ないで。」


「あぁ、なんだ、ヒデか、驚かすな。」


「授業、代わりに出席票出しといたぞ、こんど駅前のラーメン奢れ。」


「海苔トッピングだけならな。」


「ケチな奴だな、これが初めてじゃ無いだろ、後期始まってこれで2回目じゃないか?前期も入れたら結構な回数になるぞ。」


「味玉もつけて良い。」


「替え玉も追加だ。」


「許そう。」


「よし、決まり。ラーメン行くぞ、その仰々しい辞書たち片せよ。」


「え、今から行くのかよ、ダメだ、まだ調べてるんだよ」


「タカ、もうちょいで9時だぞ?もう学校も閉館時間だろ、

何をそんなに調べてんだよ?」


「あだばだ」

私はドイツ語辞書のAの頁を開きながら言った。


「んぇ?なんて?」


「あだばだ!あだばだのあに、あだばだのだ、あだばだのばに、あだばだのだ。」


「何言ってんだよ、気持ち悪いな、なんかの呪文か?」


「俺もわかんないんだよ、今日電車の中で偶然その文字を見つけてよ、それ以来ずっと気になってしょうがないんだ。」


ふぅんとヒデはどうでも良さそうに答えると、スマホをポケットから取り出して、机の上にある10冊ほどの辞書とそれに囲まれる私を撮ると誰かに送信したようだった。


「おい、ここ図書館だぞ、周りに迷惑だろ。」


「机にそんなに辞書並べて、一日中調べ物してるやつの方が周りにとっちゃ迷惑だろうが、

俺なら怖くて近くにいたく無いね。」


「やっぱ、海苔も味玉も無しな」


「悪かったて、謝るから、ご勘弁ご勘弁」


「まぁいいよ、で、誰に送ったんだ?」


「ヒロだよ、あいつそういうの詳しそうじゃん?」


ヒロは滅多に学校に来ない、学校以外で会う方が多いかもしれない。来ないくせに頭は良く、テストをやらせると大抵解ける、簡単な授業の単位は落とすくせに4割近くが落とす単位は普通に取ってくるからもう、よくわかんない。

それでいて博識、よくわからないことをよく知っている。

ヒロ曰く「俺は知らないことを知ってることが好きなんだ」と。


「でもヒロに会えるのって結構確率ゲーじゃ無い?」

私はドイツ語の辞書にも「あだばだ」らしき単語が無いことを確認しながら、適当に返した。


「んなことねぇよ。来なきゃいけない時は来ねぇけど、こういうどうでも良いことは来るんだ。」


たしかに、そういうところはあるやつだった。

友だちとしてはこれ以上楽しいやつはいないなと思うほど。


「あだばだ、ねぇ、ほんとにその単語だったのか?なんかの見間違えとかじゃないのか?」


「そんなことは無いよ、たしかに「あだばだ」だったんだ。その場で3回復唱したから覚えてる。」


「おまえ、気持ち悪いやつだな。」


「ほっとけ。」私は相手に聞こえるか聞こえないか微妙な声量で言った。


あだばだ、聞き覚えは無い、存在しないのだからあるはず無いのだが、声に出してみると自然と皮膚に染み込むような、自然に口が動く感覚があった。まるで幼馴染の名前を呼ぶような、言い慣れた、そこにいることが当然であるかのように私は「あだばだ」と声に出していた。


「アイツ遅いな、」ヒデが辞書を片しながら言った。


アイツとはヒロのことである。

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