第105話 声と言葉

 おそらく時間にしてほんの数秒――、正面にいるまものと私は睨み合っていた。私の「構え」に効果があったのか、まものは動きを止めている。警戒しているのか、いきなり襲い掛かってくる気配はない。


 まともに戦えない私にとっては時間稼ぎと――、この稼いだ時間を使ってなにをするかがもっとも重要だ。


 カレンさんやランさんは、ほんのわずかな時間でも私が目の前の敵に対して隙をつくってくれれば、戦いに割って入るくらいはできると言っていた。

 しかし、今の状況でそれは期待できない。つくり出した時間をどう活用するかは自分次第。そしておそらく――、ここで私が助かるかもにかかっている。



「――こちらに敵意はない。武器も下ろす。だからどうか……、話を聞いてほしい」



 私の選択。私だから可能な手段――、それは話しかけること。


 ラナさん曰く、私は「言語の魔法」を常時発動している状態にある。耳に届く言葉は「日本語」へと勝手に変換され、話す言葉は相手に伝わる言語へと変わって届けられるのだ。


 これに気付いたきっかけも「黒の遺跡ここ」だった。まものの発する声から、その意味を理解できた。単なる「怪物」と思われているまものが実は、私たち人間に近い生き物であると知った。


 ならば――、話し合える可能性がある。


 私はゆっくりと構えていた短剣の刃先降ろし、手のひらをこれ見よがしに広げて見せた。刃先が地面に当たり、甲高い音が響く。


 どのみち戦う手段としての「短剣」はほとんど使えない。今、まもの相手に話しかけているこの時間を稼げただけでこの武器はお役御免なのだ。



 私の声を聞いたまものから困惑の言葉が伝わってくる。何匹――、否、何人いるかわからないまものが話し合っているようだ。

 彼らの声は、大勢の人が同時に話しているかのように、「言葉」としてうまく伝わってこない。ただ、まものに「迷い」に似た感情があるのだけは感じ取れる。すぐに襲われる可能性は低い。


 これもまた「時間稼ぎ」。稼いだ時間で次の一手を考える。まさに生きるための綱渡りだ。わずかな時でも繋いで繋いで……、活路を見出すしかない。


 私は向きを正面に固定したまま、目の動きだけで左右を確認した。いさというとき、咄嗟に逃げる方向を決めておきたい。果たして右と左、どちらの方がより生存率が高いのかと――。



「きゃははははっ! ちょっとマジで? マジで? が話しかけてきたって? そんなことってありえる?」



 明らかに異質な「言葉」が耳に飛び込んできた。まものが発する声は「言葉」というより、断片的に「意味」だけが伝わってくる感じだった。

 ところが今、耳に入ってきたのは明らかに言語、言葉――、人と話す際のそれと変わりないものだ。


 声の質は……、若い、女性のもののように聞こえる。


 やがて、目の前にいるまものの群れは私の正面を避けるように左右へと分かれ始めた。そして、そこに1人の――、人間の姿をした何者かが姿を現した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る