第93話 あの時
「うん。骨折はない……、捻ったところもなさそうだ」
私は手足に怪我がないかを念入りに確認した。軽くその場で飛び跳ねたり、手足をいろんな方向に動かしたりしてみる。特に問題はなさそうだ。
そのあとに持ち物の確認をした。腰にぶら下げた短剣、水筒とポケットに入れた携帯食。とりあえず、最低限必要なものは手元に残っている。
アイラさんたちと広間の調査をしているとき、隊の荷物をまとめたリュックは降ろしていた。ゆえに手持ちのアイテムは少ない。
岩壁にぽっかりと空いた穴を私は見つめていた。まるで水路のように砂と細かな石が絶え間なく上から流れてきている。
まるで、ビルのダストシュートにでも入ってしまった気分だった。広間の岩壁に手を付き、身体を預けた途端、それは突如として手応えを失った。
壁が倒れた――、とは違う。背もたれを急にどかされたかのような――、あったはずのものが突然消えた感じだった。身体は支えを失い、体重をかけたその方向へと倒れた。そこはまるで長い長い滑り台のようになっており、私は抵抗する術もなく下へ下へと流されてきたのだ。
あれは一体なんだったのか?
単なる「隠し扉」とは違ったものの気がする。
滑り落ちてきたところを改めて見ると、それなりの傾斜があり、常にきめ細やかな砂が流れてきている。これを逆走するのはどう考えても現実的ではない。何度か大声で上に向かって呼びかけてみたが反応はない。逆に上からアイラさんたちが呼びかけてくる様子もない。
どうやら思った以上に長い距離を下って――、滑り落ちてきてしまったようだ。なんとか王国軍に合流する術を考えなくては……。
私は同じ目に合わないよう、念入りに岩壁を手で押したあと、そこに腰を下ろして背を預けた。暗闇が支配する天井を見上げながら、この先どうするかを考える。
まずここを動くべきか、じっとしているのか、どちらが得策か、だ。
今いる「黒の遺跡」はまものが無数に蔓延る場所だ。むやみやたらに動き回り、まものと遭遇するのが私にとってもっとも避けたいこと。残念ながら単身で戦う技量はほとんど身に付けていない。腰にある短剣を手で確認し、私はひとつため息をついた。
しかし、ここでじっとしていて果たして助けが来るだろうか?
今いる場所がどこか通路と繋がっている保証もない。――とはいえ、滑り落ちてきたところからの逆走はまず不可能。そこから助けが来る気配もない。
なんだか異世界へやってきた日と状況が似ていると思った。あの時もどうしてこうなったかは理解できず、ただただ動けなくなる前に助けを求めようと歩き出した。
そして――、偶然ラナさんの姿を見かけたのだ。
だが、今回はあの時より状況が悪い。どこかわからないだけならまだしも、「危険」とだけは確定しているのだ。さらに助けを乞える人が近くにいる可能性も極めて低い。
とりあえず、今いる場所がどこかへ続いているのか、それとも行き止まりなのか、それだけでも調べようと思った。軽い痛みのある腰と背中をさすり、私は立ち上がる。
そのとき――、闇に閉ざされた視界の奥で「なにか」の気配を感じた。いや……、この状況で遭遇するものなんて人でなければなにかなんて決まっている。ただ、私の頭がそれを認めたくないだけだ。
私は短剣の柄を握り、それを引き抜いて視線の先に刃を向けた。自分の鼓動と唾を飲み込む音がこれでもかと大きく聞こえる。
やがて、目の前に姿を見せたのは「まもの」――、いや、まものの群れだった。
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