第86話 名付け

 スピカはひとり、遺跡の通路を駆け抜け広間に出る。口を引き締め、彼女らしからぬ敵意を宿した目つきを周囲へ向けてまものの気配を探っていた。


 次の瞬間、スピカを覆うように黒い塊が襲い掛かる。その大きさは彼女の背丈の2倍はありそうだった。


「エアロカッターっ!!」


 スピカはスティックの先をまものの足元へ向け呪文を放つ。鋭い風の刃はまものが踏み込まんとした右足首を切り裂き、そのまま右側へ重心を崩し、まものは倒れた。


 しかし、倒れたまものの背を踏みつけながらもう2体、先ほどより小さいまものが彼女へ襲い掛かろうとする。


『センセは言ってました。魔法に名前を付けるようにと――』


 スピカ脳裏に魔法の師、ルーナから教わったあることが過っていた。それは彼女がギルドに所属してから、ルーナが訪ねて来て「重力魔法」について話してくれた時のこと。




◇◇◇




「いいかい、スピカ? 重力魔法は『特異魔法』に分類され、『標準魔法』と違って体系化されていない。だから、私らが使う魔法には名前が付いていない」


 スピカはルーナの話に目を輝かせ、何度も頷いている。


「でもね、魔法は明確なイメージをもつことでより強力なものになる。だから、重力魔法にはスピカが想像しやすい名前を付けてあげるんだ。名付けることによって再現性が格段に上がるからねえ」


「センセはお名前を付けてないんですか? あたしと同じ魔法が使えるんですよね?」


 スピカの無邪気な瞳はルーナを真っ直ぐに捉えていた。


「くふくふ……、せっかく魔法の名付け親にしてあげようと思ったのに。私と同じでいいのかい?」


「はい! あたしはセンセと同じ魔法を使えるのが嬉しいんです!」


 スピカの返事にルーナは優しく微笑む。まるで、我が子の成長を喜ぶ母のように。


「そうさね……。だったら、いくつか教えてあげるとしようか。まずは重力魔法の初歩から――」




◇◇◇




「――グラビトンっ!!」


 続いて現れた2体のまものは、最初に倒されたまものに重なるようにして上から重圧に叩きつけられた。


 スピカは「重力」と「風」、それぞれの魔法を使う際、一度きりだが連発ができる。ゆえに、まものが続けざまに襲ってきても即座に対処できたのだ。


 しかし、それはあくまでもの話。


 彼女の重力魔法の範囲外――、先ほどとは逆方向からさらに数匹のまものが姿を現す。スピカの重力魔法は動きこそ封じられるが、一撃必殺の火力はない。


 次の敵に対処するにはグラビトンを解除しなければならないのだ。だが、それは今封じているまものの動きを解放することに他ならない。

 そして、スピカが判断に迷ったわずかな時間にも、まものは彼女に迫ろうとしていた。



「――アビー! 魔法結界、全力でお願いっ!!」



 そのとき、後ろから大きな声が響き渡る。


 その主はラナンキュラス。


 刹那、スピカの周囲に強力な結界が展開された。彼女の後ろに現れたのはラナンキュラスとアレンビー。



「――お願いします! ラナ様っ!」

「ジオブレイクっ!!」



 彼女たちの立つ場所だけを避け、地面が一瞬光ったかと思うと次の瞬間、下から突き上げる爆発が起こった。数匹のまものは土砂と一緒に広間の奥へと吹っ飛ばされていく。


「コンちゃん! チャトラちゃんと戦った時に使った引き寄せる魔法、使える!?」


 ラナンキュラスの言葉を聞いてハッとし、後ろを振り返るスピカ。しかし、それはほんの一瞬のこと。すぐに視線を前へ向け、虚空のに魔力を集中させる。



「ディジェネっ!!」



 まるで超小規模のブラックホールが如く、ある一点に物体を引き寄せる魔法。ルーナ・ユピトールはこれを「ディジェネ」と呼んでいた。


 スピカは出し惜しみなく、全力で小さな小さな――「特異点」をつくり出す。ジオブレイクで吹っ飛ばされたまものも、まだその姿を見せていなかったまものも彼女の魔法によって無理矢理一か所に集められた。



「消えなさい……。インヘルノ」



 ラナンキュラスはまものが引き寄せられた一点に、杖の切っ先を向けた。

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