第21話 主役

 次の公演に向けてスワロー一座が動き回るなか、アクアは独り、距離を置いたところでぽつんと立ってその様子を眺めていた。


「アクア、柔軟くらいしておいた方がいいよ? いきなり派手に動くと怪我してしまうから」


 彼女の元に歩み寄って来たのは兄のマクリオ。右足の痛みはかなり退いたようだが、それでも足を引きずっていた。


「兄ぃ……、私には無理だよ。今日何回も失敗しているのに、今度はいつものと違う役でよりむずかしくなる。兄ぃの助けも借りられないし、できっこない」


 下を向きその場でしゃがみ込むアクア。下手をするとこのまま梃子でも動ないつもりかもしれない。

 そんな彼女の肩にそっと手を置き、マクリオは話しかける。


「自信をもって、アクア! お前ならできる。練習を一番近くで見てきた僕だから確信をもって言える。アクアの技術は僕以上だ。絶対に上手くやれる!」


「……煽てたってダメなんだから。お客さんの前だとすぐあがっちゃうし、練習みたいにはできないよ」


 アクアはまるで貝のように頭をぴょこっと上げて返事をすると、またすぐに膝に顔を埋めてしまった。


「アクア、僕は誰よりもお前の舞台に期待しているんだ。なにも恐れなくていい。アクアなら絶対できるって僕は信じてる」


「失敗しても……、兄ぃがなんとかしてくれる?」


「ううん、僕はそんな心配していない。だって、アクアは失敗しないって思ってるから。僕は自分の代わりをアクアに任せたい」


「そっか……。そうだよね、前に出る方だと兄ぃもフォローしきれないもんね?」




◆◆◆




 開演の時間が近付いてきた。座長のノーラン氏は妙にそわそわしている。舞台の役回りを決め準備も整っている。しかし、最終最後はアクアさんが意思を固めるしかないのだ。


 彼女の説得は兄のマクリオくんに任されている。本番前にアクアさんが怖気づいてしまうのは珍しくないようだ。しかし、今日は兄と役回りを交代し、彼の助けもあまり望めなくなる。


 いつもとは異なる状況にさすがの座長さんも落ち着かないようだった。



「――アクアっ!?」



 ノーラン氏と一座の仲間たちが叫ぶ声が耳に飛び込んできた。ゆっくりと、マクリオくんと並んでこちらに向かってくる。


「アクア、やる気になってくれたんだな! みんなお前に期待してるんだからな!」


「うん……、なんとか練習みたいに、やってみる」


 彼女はこくんと小さく頷いて、舞台の方へと向かっていく。身体はやはり、怖気ているのが見てとれるが、不思議とその表情はやる気に満ちて見えた。


「スガワラさん、でしたか。あなたとアレンビーさんのおかげです。ひょっとしたら、今日からはずっとアクアが花形かもしれません」


 私の横を通り抜けるとき、マクリオくんがそう言った。それを聞いて私も安堵する。アクアさんの小さく見えた背中が今はほんの少しだけ大きく見える。


 彼女が壇上に足をかけたとき、アレンビーさんがその背中から声をかけた。


「全部終わったら、その景色を目に焼き付けなさい? きっと――、に挑む勇気となってくれるから」


「――はい! ありがとうございます!」



 こうしてアクアさんは舞台の中央に立った。


 小さい村の、決して大きくはない舞台。だが、そこに集まった人たちは皆、期待に胸を膨らませて彼女の姿を見つめている。


 彼女がとして舞う舞台が、ここに始まる!

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