第2話 奇跡を手に

「お願い、神様。どうか、フィリーを、フィリーを助けて……」


 一週間、外に出て遊びに行くこともなく、ルークは一心不乱に祈りをささげた。いるかもどうかも分からない神に祈った。魔法という奇跡を授けてくれることを、フィリーを癒してくれることを求めて。


 はぁ、重い息を吐いて、ルークはベッドに倒れ込んだ。藁の上に毛皮を乗せたチクチクするベッド。使い古してつぶれたそれに背中から倒れ込み、ルークは天井を見上げる。食事もほとんどとらず一心不乱に願ったルークは、力なく両手を投げ出して、涙でにじんだ視界の先をにらんだ。空高く、そこにいるであろう神へと、恨みのこもった視線を向けた。


 視界の中の木の天井が揺らぐ。それは、鎧戸の隙間から差し込んでいた日差しが遮られ、部屋の中が一層薄暗くなったがための変化だった。

 奇跡などでは、なかった。


「どうして、どうしてだよ……」


 なんで、フィリーが死ななくちゃいけないだと、ルークはもう何度目になるか分からない呪いの言葉を口にする。恨む先などなくて、本当は神だって恨むつもりはなくて、それでもルークは、身の内に燻る怒りを、口にせずにはいられなかった。

 そうでもしなければ、行き場のない怒りは、無力感は、ルーク自身の身を焼き滅ぼしてしまいそうだったから。


「ずっと病室じゃあ、世界を旅なんてできないだろ。見たことない景色を見ることだって、山や海に行くことだってできないだろ。ずっと同じ窓から、同じ景色を見るだけで……」


 そんなの、耐えられるわけがない。フィリーが、それで満足するはずがない。

 けれど自分にできることはなくて、ルークはただ無力感に打ちひしがれる。


「……せめて、フィリーが世界を旅できたら。ううん、フィリーが、見たことない景色を見ることができたら」


 ルークの頭の中に、イメージが浮かぶ。フィリーが寝そべる病室、その中いっぱいに、たくさんの絵が飾られている。迫ってくる海、葉っぱが赤く染まった山、上から下に落ちる大量の水、見たことのないカラフルな動物や不思議な生き物、変わった服装で暮らす人たち、見たこともない形の食べ物、船という水の上を旅する乗り物、空を飛ぶドラゴン——


 ブン、低い音が響いた。夜の部屋に、明かりが灯る。否、それは明かりでなかった。

 ルークの目の前に、絵が浮かんでいた。青々とした草原の丘、中央にそびえる大樹、広がる枝葉を包み込むような青い空、前を駆けていく少女——


 彼が願った、せめてもと願った、過ぎ去った元気なフィリーの姿がそこにあった。


「……フィリー?」


 それは、絵ではなかった。動く絵。

 その景色に、振り返ったフィリーが舌を出して笑う光景に、再び前を向いて駆けだしたフィリーが転ぶ様子に、駆け寄って差し出す誰かの手に、そして、泣きそうになりながらも涙をこらえて気丈に笑って見せるフィリーの表情に、ルークは見覚えがあった。


 手を伸ばす。空中に生じた動く絵に、ルークの手が突き刺さり、通り抜ける。動き続ける絵の中から、フィリーの姿が消える。たまに現れる絵いっぱいのフィリーの顔と、はにかんだ笑みから、どうやらフィリーは誰かと手をつないで歩いているらしいとわかった。まるでその誰かになったように——過去の自分になったように——ルークは遠き日を思い出しながら涙した。

 目の前には変わらず、誰かが見た光景が動く絵となってルークの前に広がっていた。


 ルークの思考が、現実に追いついた。

 慌ててベッドから飛び起きれば、動く絵はルークの顔からに十センチあたりの距離をキープして動く。ルークが首を左に回せば左に、右に回せば右に、常にルークの顔の真正面に、その動く絵は移動した。


 狭い部屋を、ルークが走る。壁にぶつかりながらも木製の窓へとたどり着き、思い切り窓を開け放つ。外の世界を見る。多くの星と月に照らされたそこにはもう夜が顔をのぞかせていた。気が付けばルークの顔の横、壁に垂直に突き刺さるように存在する動く絵では、フィリーが草原に寝そべって空へと手を伸ばしていた。


 絵が変わる。

 小さなフィリーと積み木をして遊ぶ光景。フィリーと川で互いに水を掛け合う光景。

 移りこむ手は——ルークの手。


 フィリーが消える。

 そこには、フィリーのいない大樹の丘があった。


 行かないでくれ、フィリー。

 ルークの願いにこたえるように、絵の中にフィリーの姿が戻る。


 呆然と立ち尽くしていたルークは、すとんと地面に座り込み、つぶやいた。


「ま、さか……魔法?」


 奇跡と呼ぶにはいささか不思議な、そしてフィリーを癒すことなどできるはずもない、役立たずな力。それが、ルークが手にした奇跡だった。


 動く絵に対する既視感に、ルークは答えを得る。

 これは、自分が見た光景を映し出す魔法なのだと。


 直感的に理解したその先で、動く絵の内容が移り変わる。世話をしている牛が映り、父親が映り、兄が映り、母が映り、フィリーが映り——コロコロと移り変わっていく光景は誰かが見た景色。

 ルークが見て来た景色が、そこにあった。


 気が付けば夜が明けていた。若干血走った眼で動く絵を見続けたルークは、再度ベッドに倒れこむなり深い眠りに入った。

 起こしに来た母親の叱責も、今日のルークには何の意味も持たなかった。





 その晩、ルークは家を飛び出した。


 世界を見て回り、フィリーが見たことのない景色を、フィリーが望んだ世界を、ルークしか見たことがない光景を、魔法によって病室のフィリーに届けるために。

 フィリーと一緒に旅ができないのなら、せめて自分がフィリーに旅を届けようと。ルークは自分が手に入れた奇跡の使いみちを、フィリーへと旅先のすべてを見せることだと定義した。


 長く険しいルークの旅は、こうして始まった。


 ひたすらに街道を歩き、魔物の襲撃から命からがら逃げきって街にたどり着いた。

 家からくすねた持ち金を、騙され奪われかけた。

 何度も死にかけて、その度に泥水を啜ってでも生き延びた。

 生傷は絶えず、全身が痛くて眠れない日もあった。

 路銀が尽きて奴隷に等しい待遇で雇われたこともあった。

 生きてフィリーの元に帰って、素晴らしい世界を、美しい光景を見せると、その思いだけでルークは血反吐を吐きながらも強くなり、歩き続けた。世界を旅した。


 まるで映像みたいだと、知り合った一人の男がルークの魔法を見てそう言った。その日から、ルークの中で自分の魔法により映し出される動く絵は「映像」となった。


 山に登り、海を見て、色とりどりの植物や動物を見て、おかしな姿をした魔物という化け物と戦って、秘宝を得て、滝という大量の水が落ちる光景を見て、砂漠を見て、海みたいな湖を船で渡って、ドラゴンの背に乗って空を飛んだ。

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