第38話 かつてない充足感
「はい、バッチリだよ!」
メイク係の女子生徒の声で俺は目を開ける。
目の前に立っているのは柏崎では無い。
「ありがとう。さすが手馴れてるね」
「四ヶ月もやれば慣れるよ〜よし、頑張ってね!」
そう言って別の部員のところまで走っていく。
その背中を黙って見送る。
以前なら知らない人にメイクをされる事に抵抗があった。
今でも抵抗感がない訳では無いが、もしそれが人を遠ざけているのなら――変わるべきだろう。
開演まで三十分。
緊張はしてないし仕上げもバッチリ。
普段なら揚々と声をかけてくる雫も台本に目を通して最終確認中だ。
「僅かな時間で仕上げてくれてありがとうね。南雲くんが代役を引き受けてくれて助かったよ」
台本に目を通していた俺に神崎先輩が声をかける。
「まだ、引き受けただけですよ。良い舞台にしましょう」
「そうだったね。いつになく気分が上がっていたよ。頑張ろうね」
台本に目を通し終えたタイミングで――
「もう、台本は良いのか?南雲」
「台本はぼんやり入ってるくらいが丁度いいんですよ。春樹先輩」
「へぇ……プロだね?」
「先輩の胸を借りるつもりで舞台に望むので――よろしくお願いしますね?」
俺はともかく春樹先輩も軽口を言い合える余裕はあるみたいだ。
十分前のミーティングを終え、各々は所定の位置に待機する。
「和葉は緊張してる?」
俺の隣にいた雫がやや緊張した面持ちで俺に問いかける。
「少しだけね。雫は緊張してそうだな」
「普段はそんなになんだけどね……」
「緊張している雫にはエスコートが必要っぽいな?」
「む……和葉も安心して失敗するといいさ。僕がカバーしてあげるから」
開幕のブザーがなり、語り部のセリフが劇場に響く。
「「「「お疲れ様〜!」」」」
カシャンとグラスをぶつける音が色々なところから鳴る。
公演会は大成功を収め、それを祝して打ち上げが行われることになった。
ワイワイと今日の公演会の感想を部員同士で楽しそうに話している。
かく言う俺も例外では無い。
「俺さセリフ飛んだのに南雲のアドリブのおかげで乗り切れたんだよ!マジ助かった!!」
右斜め前に座る先輩から手を合わせて感謝される。
「俺も自分からアドリブを仕掛けたのは初めてですよ。先輩のアドリブ力が凄かったから、そこに賭けたんです」
あそこから持ち直した事には俺も驚いた。
むしろ多少の沈黙が、あの場面ではリアルさが演出できて良かったのかもしれない。
「あの春樹もいつもより熱くなったって言ってたな」
「いや……本当に学生なのかと疑うレベルですよ?春樹先輩は……。真摯に演劇と向き合って来たんだなって思いました」
嘘ではなく本心だ。
どんな舞台も全力で向き合っている俺だが、負けたと思わせられる演技力だった。
「え、あいつも似たようなこと言ってたな。南雲の実力は学生レベルじゃないって」
「ただ、運が良かっただけですよ」
「謙遜するなって!春樹は見る目あるし同じ舞台に立った俺もそう思う!」
そう言って烏龍茶に口をつける。
一段落したところで神崎先輩が悪い顔をしながら雫に近づく。
「なんか今日はいつもより雫さんのキレが良かったね?」
「それ、わたしも思いました!なんか……いつもよりキラキラしてた気がします!」
「前のヒロイン役よりもずっとヒロインだった!」
神崎先輩の何気ない発言にメイク担当の女子生徒達が便乗する。
何気なく放った言葉は、滴が落ちた水面のように女の子達に広がっていく。
当の本人は――
「ぼ……僕はいつも通りです!」
顔を赤くして否定しても意味は無く、しばらくの間いじられ続けていた。
「南雲?お前も他人事じゃねーぞ?」
がっちり肩を組まれ、俺も雫と同じ状況を味わうことになってしまった……。
時刻は十九時半。
打ち上げが終わり解散となった帰り道。
「はぁ〜酷い目にあった……」
ゲンナリと疲労を滲ませながら歩く姿は、当時の状況を物語っていた。
「お互い苦労したな」
俺も同じ目にあっていたので何となく共感できる。
「打ち上げはともかく……今日の公演会は今までで一番楽しかったよ!」
周りが薄暗くなってきているなか、一際明るい笑顔を放っていた。
「そうか?俺も無事に終わって安心したよ」
「そういう事じゃ無いんだよ。ようやく目標にしていた和葉と同じ舞台に立てたんだよ?」
「俺と舞台に立つことが目標?」
「そう。目標」
コクリと俺の言葉を肯定する。
ここで俺は引っかかっていた疑問を口にする。
「もしかしてさ、昔一緒の劇団にいた?」
俺の言葉に少しムッとした表情で返す。
「そうだよっ!和葉は覚えてなかったかもしれないけどね!」
「しょうがないだろ……雰囲気変わってたんだから」
「それはそれとして。今の僕があるのは和葉のおかげさ。あの時からずっと君は僕の目標だよ」
数年越しの告白に衝撃を受ける。
だが、すんなりと受け入れられなかった。
「目標にしてくれてた事は嬉しいよ。けど、俺は雫が思ってるような立派な人間じゃないよ」
「……どうゆうこと?」
笑顔を引っ込め俺に向き直る。
「俺は親から継いだ才能をたまたま上手く扱えただけ。運が良かった……それだけだよ」
「和葉は変わったね。昔よりずっとかっこ悪い」
「っ!だから、カッコイイことなんてやってないんだってば」
そんなの雫が抱く理想の押しつけだっ!
そう……心の中で叫ぶ。
「才能が〜とか言ってるけど、昔の和葉はそうゆうのどうでも良かったろ?」
「………………」
「ハッキリ言うけど、僕は和葉の才能とか家柄を見て憧れたわけじゃないよ」
「じゃあ……それ以外何があるっていうんだ」
一歩二歩と俺の前に歩み寄る。
そうして、俺の胸にそっと手を添える。
「和葉の演技に対する『ひたむきな姿勢』と『現状維持を許さない心』に憧れたんだ」
「…………っ!」
「心当たり――あるでしょ?」
あるにはある……。
けど、それは――
「雫だって持っているものだ。俺だけが特別なんじゃない」
「僕は見てたんだよ?和葉自身がやってきた努力を!才能に甘える自分を許さない姿を!」
このとき、俺は雫の勢いに飲まれていた。
雫はギュッと添えていた手で俺の服を掴む。
「才能を否定するのは良いよ。でも、積み上げたものを見ないフリするのはやめて」
「俺は――」
雫は手を離したかと思えば、ガバッと俺に抱きつき胸に顔を埋める。
「これは僕が美化しすぎているのかもしれない。けど、和葉は僕の憧れで目標なのは変わらないんだ……」
「だから……お願いだ。もっと、君の背中を追いかけさせてくれ」
じんわりと雫の言葉が胸に染みてくる。
確かに理想の押しつけだし、美化しすぎている。
けど、強く否定できなかった。
ただただ、嬉しかったんだ。
俺を見てくれていた事が。
そっか……こんな気持ちなんだな。
「雫……その……ありがとう。俺を見ていてくれて」
「うん」
「雫の期待を裏切らないように少しだけ頑張ってみるよ」
「……そうして」
ギュッと更に抱きしめる力が強くなる。
「あの……雫さん?そろそろ離してくれないか?」
「もう少し」
二つの意味で高鳴っている鼓動がバレてしまいそうだから離れて欲しいのに……。
――でもまぁ……もう少しこのままでもいいか
俺はこの状況に充足感を感じていた。
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