第40話 一つの物語の終幕

「え?和葉くん?和葉よねっ!」

 目の前の女性は目をまん丸にして、驚きを表情全体で表している。

 一つ一つの動きが大きいところも変わっていなかった。

「お、お久しぶりです……先生」

 かつての想い人であった女性が目の前にいた。

 後方には、旦那さんと思わしき男性が――ベビーカーを押していた。

「本当に久しぶりね!といっても四年ぶりくらい?」

「そう……ですね。最後に会ったのは中一なので。先生はお綺麗なままで……」

 ほんとうに……変わっていない。

 年齢も三十代後半のはずだが、最後に見た時おなじ美しさだった。

「あの頃と違って私はもうおばさんだよ〜!和葉くん、背伸びたね!」

「少し……ですけどね」

「そうだ!ピアノはまだやってるの?最後に見たとき、すっごく上手になってたよね!」

「いえ……やっていませんよ」

 やる理由が無くなったから。

「えぇ〜?すごく勿体ないなそれ。でも、何か理由があるんだよね?」

「まぁ、はい……いろいろ」

 上手く話せない。

 そんな俺の動揺も知る由もなく、そうだ――と先生は笑顔で手を叩く。

「私の子供抱っこしてみる?和葉くんなら、きっとぐずらないと思う!」

 俺は、未だに先生が結婚して子供を産んだ現実を受け入れられていなかった。

 それなのに、是非抱っこさせて下さい!――なんて言える訳もなく……。

「いえ、やめておきます。俺、子供に好かれないんですよね」

 軽く笑って断った。

「そっか……。和葉くんに抱っこしてもらいたかったんだけど、しょうがないね」

 少し残念そうな顔をさせてしまった。

「旦那待たせてるから、私は行くね?また会ったらお話しよ?」

 そう言って、手を振って背を向けようとする。

 ようやく長かった片思いが終わった。

 どんな形であれ、これが現実だ。

 この恋を諦めて俺も宝条さんの元へ――

「ダメです。しっかり伝えてきてください」

 振り向けないように肩を押さえられる。

「相手に迷惑だとしても、和葉くんが苦しむ選択はしちゃだめです」

 トンっと優しく力強く背中を押された。

「先生っ!」

 既に歩き始めていた先生を呼び止める。

「ん?どうしたの?」

「少しだけ……お時間よろしいですか」

 何かを悟ったのか、先生は旦那さんに一言声をかける。

「時間は大丈夫だよ。そんなに長くは取れないけど」

「……ありがとうございます」

 これは負け戦だ。

 気は楽なはずなのに……この一言を言ってしまえば俺の中で一つの物語が終わってしまう。

 ――終わらせたい……楽になりたい。

 ――終わらせたくない……もっと夢に浸っていたい。

 相反する考えが俺の行動にブレーキをかけていた。

 何かを言いかけては――口を紡ぐ。

 言葉が……出ない……。

「なんでもハッキリ言う性格の和葉くんが言い淀んでいるの初めて見たよ。今にも告白しそうな雰囲気だね」

 笑みを浮かべ冗談交じりに俺に声をかける。

「……好きです」

「俺は、先生のことが好きでした。昔からずっと」

 一瞬の沈黙。

「ちなみに聞くけどさ、尊敬とか憧れって意味の好き?」

「異性として……です」

「は〜……そっかぁ」

 笑顔をしまい、真面目な顔で俺と向き合う。

 と、思いきや先程の先生としての元気な笑顔では無く、年相応の笑顔を見せる。

「私もまだまだ自分に自信を持っていいんだね」

 迷惑な素振りを見せず嬉しそうに笑う。

「和葉くん、中学生とは思えないほど大人びていて達観していたもんね。私にもすごく懐いてくれてたし可愛い教え子だったよ」

「だから、送別会とか和葉くんだけ来てくれなかったの寂しかったんだよね」

「けど、そういう理由だったんだ。そんなふうに見られてるなんて思わなかったけど……すごく嬉しいよ」

「けど、今の私には家族がいるから……気持ちには応えられない。ごめんね」

 これは……負け戦だ。

 どう足掻いても勝てない勝負。

「ありがとう……ございました……。お時間取らせてしまってすいません」

 頭を下げ踵を返そうとしたとき、優しく頭を撫でられる。

「気持ちはすごく嬉しかった。だからこの先好きな人が出来たら、その人に今とおんなじくらい気持ちを伝えてあげてね」

「じゃあ、元気でね」

 ポンポンと軽く頭に触れ、今度こそ行ってしまった。

 やり切った……悔いは無いのに……激しい空虚感が俺を襲っていた。




 俺はベンチに座っている宝条さんの横に腰を下ろす。

「ちゃんと気持ちは伝えましたか?」

「あぁ……」

「よしよし、よく頑張りましたね」

 本日二度目のなでなでタイム。

 だが、何故だろう……。

 宝条さんに撫でられるのは物凄く恥ずかしい。

「大丈夫!大丈夫だから!ほら、適当に歩くんだろ!」

 恥ずかしさを誤魔化すように。

 落ち込んでいるのがバレないように。

 空元気を見せベンチを立つ。

 宝条さんはベンチに座ったまま、歩き出そうとした俺の手を捕まえる。

「もし、何にも手がつかなくなるくらい辛かったら……わたしを頼ってくださいね」

 俺を憂えるような表情で俺を見つめる。

 渚の手にほんの少し力がこもる。

「……うん、わかった」

「約束ですよ?」

 安心したようにゆっくりと手を放す。

 この後、少し散歩をして別れた。

 だが、俺の落ちた気分は散歩では紛れることは無かった。

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