第31話 夢中だった

 演劇のメイクアーティストのバイトを終えた次の日。

 あたしは布団から出られなかった。

「は〜……体だる〜い」

 一日動いただけで疲れるほど、体は訛っていない。

 となると……精神的な疲れだろうな。

 失敗したら終わりの状況が続いてたんだ。

 気がついてないだけで、疲労が蓄積されるのは当たり前で……。

 だが、いつまでもこの理想郷ふとんの中にいる訳にも行かない。

「兄貴……迎えに行かなきゃ」

 十一時に兄貴が海外から一時的に帰国する。

 オフシーズンに入ったらしく、休暇を貰ったらしい。

 以前までは、正直会いたくはなかった。

 けど、今はそうでもない。

 時刻は九時。

 準備に一時間かかったとしても……まぁ、間に合うか。




「あっちぃな〜……」

 外は雲ひとつ無いカンカン照りで、コンクリートを太陽がジリジリと焼いていた。

 空港までの道のりは、電車を乗り継ぐ必要がある。

 あれこれ考える必要があるけど、外を歩くよりは全然マシ。

 十一時ちょうどに空港に着いた。

 出口ロビーの椅子に座りながら待っていると少しだけ日焼けした兄貴が出てきた。

 兄貴は、あたしを見つけると笑顔を浮かべて歩いてくる。

「よ、久しぶり」

 片手を上げて声をかける。

「久しぶりだね加奈子。背少し伸びた?」

「……一センチくらい」

 あたしと兄貴の性格は真逆だ。

 言葉遣いが荒くやんちゃなあたしと朗らかで面倒見のいい兄貴。

「加奈子はこれからだよ。迎えありがとうね、暑かったろ?」

「別に〜」

 あたしが歩き出すと隣を歩いてくる。

 なんか、兄貴の周りにお花が飛んでいる。

 それくらい、上機嫌だ。

「久しぶりに日本に帰ってきたのが、そんなに嬉しいのか?」

「それもあるけど……。加奈子が俺と話してくれるのが嬉しくて」

「そ、そうかよ……」

 あたしが悠亜姉、兄貴ともに避けてたしな……。

 嫌いじゃないけど、なんか近くにいるとザワザワするから。

「そういえば、加奈子はお昼食べたの?」

 言われてみれば、お昼どころか朝も食べてない。

 現金なお腹なもので、そう言及されると急激に空腹を主張してくる。

「ううん、食べてない」

「なら、どこか寄っていこうか。何食べたい?」

「兄貴が行きたいところで良いよ」

 あたしがそう言うと、うぅーん……と悩み始める。

「なら、ハンバーグにしよう」

「良いのかよ、現役の選手がそんなもの食べて」

「たまにね?……それに、加奈子小さい頃好きだったろ?」

「ち、小さい頃だろ!」

「じゃあ、やめとく?」

「…………行く」

 兄貴はクスクスと笑い、今度は先頭を歩き出す。





 お昼を食べ終え兄貴はコーヒー、あたしはプリンを食べていると――

「加奈子さ、最近良いことあった?」

 ドキッとした。

 動揺したせいで、プリンがスプーンからこぼれ落ちる。

「な、なんだよ急に……。なんもないよ」

「なんていうか……迷いが無くなったっていうか。顔つきが変わった気がする」

 あたしの微々たる変化に気づくあたりさすが兄貴と言うか……。

 ちょうどいい機会だ。

「兄貴はさ……才能があるからサッカーを始めたの?」

「え?」

 あたしの唐突な質問に困惑している。

 が、すぐに腕を組み考え始めた。

「ん〜……才能がどうとか考えたことないな」

「じゃあ、なんで始めたの?」

「観るのが好きだったし、実際にやってみたら楽しかったから……かな」

 フワフワした返答。

 けど、何となく想像していた答えだった。

「まぁ、プロの世界は結果が全てだからさ。良くも悪くも才能の有無が結果を左右することもある」

「けど、心の底にあるのは、サッカーが好きだって気持ちかな」

「嫌になったこととか無いの?好きだから――だけじゃ、続けられなくない?」

「もちろんあったよ。後から入団した子にエースのポジション盗られたり、海外に行ってからは長い間ベンチで試合に出れなかったりね」

 あたしが聞いてても嫌な気分になる。

 でも、嫌なことを話す兄貴の口調は楽しそうだった。

「そんな事があっても、次の日にはユニフォームをバックに詰めこんで練習に向かってるんだよな」

「それも好きだから?」

「好きだったのとそれくらい夢中だったんだよ」

 そうだったんだ。

 てっきり、その道の才能があって、難なく突き進んでいるのかと思ってた。

「ちなみに、悠亜も俺と同じだよ?大会とか練習で上手くいかなかったら、部屋で泣いてた」

「うそ!?悠亜姉が?」

 衝撃すぎる。

 気が強くて誰の前でも泣かない悠亜姉が??

「それでも、次の日になったらケロっとして練習に向かってるから大したもんだよね」

 どこか懐かしむような表情と声音。

「好きで夢中になれたのが俺はサッカーで、悠亜がスケートだっただけだよ。才能があったわけじゃない」

「そっか……そうだったんだね」

 何となく、今ならわかる気がする。

 南雲は、それを才能と呼んでいた。

 だから、あたしの才能は――。

「なるほどね。加奈子は俺たちと同じ夢中になれるものを見つけたんだね」

「まぁ……昨日の今日だけどね」

「良かったよ。これで、俺も悠亜も安心して加奈子と仲良く出来るな」

「そう……だね。なんか、感じ悪くしちゃっててごめん」

 二人はなんも悪くなくて、あたしの思い違いなのに。

「あ、別に加奈子が俺たちを避けてたって思ってるなら違うよ?俺たちが加奈子から距離を置いたんだよ」

「へ?どゆこと?」

「『私たちが近くにいると加奈子が負い目を感じるから距離を置こう。加奈子が夢中になれるものに気づけたら、加奈子から近づいてきてくれるから』って悠亜が言っててね」

「なっ!?」

 ずっと、あたしが二人を遠ざけていたと思ってたのに……。

 それなのに、この状況まで悠亜姉の手のひらの上だった!?

「だから、悠亜にもちゃんと言うんだよ」

 そう言って、兄貴は伝票をもってレジに歩いていった。

「…………うん」

 嬉しいような恥ずかしいような……。

 そんな気持ちがあたしの中で綯い交ぜになっていた。

 こんな気持ちになれたのは、夢中になれるものに気づかせてくれた南雲のおかげか……。

 同族嫌悪とか言って嫌ってたけど、全然同族じゃなかったな〜……。

 バイト代入ったら、なにかお礼をしよう。

 柄にもなくこんなことを思うあたしだったのでした。

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