第20話 俺に足りなかったもの

 黒瀬さんの熱狂的なファンに詰め寄られる事件の翌日。


 ――昼休み


 俺は屋上のベンチでくつろいでいた。

 午前中の時点では、黒瀬さんに変化はなかったので、あの二人との接触はなかったみたいだ。

 俺はそう思っていた。

 昼休みに黒瀬さんから切り出されるまでは……。

「すまない、南雲くん……昨日は迷惑をかけてしまって」

「迷惑?」

「誤魔化さなくてもいいよ。放課後、女子生徒二人に絡まれたんだよね?」

「俺は平気だよ。黒瀬さんは大丈夫?」

 俺は強がりや気を遣ったわけではない。

 ただ、黒瀬さんからは全てを諦める雰囲気を感じる。

「やっぱり、無理な話だったんだよ。本当の僕を見て欲しいなんて……」

「らしくないな。あと少しだろ」

「南雲くんに飛び火してしまうことを考えていなかった。僕は君に甘えすぎたんだ」

「あんな状況はし、甘えすぎも何も俺から始めたことだろ」

 それでも、黒瀬さんは納得していないみたいだ。

「君はそう言うけど……僕自身のことなのに、背中を押してくれている君が恨みの対象になっているじゃないか」

「別に自己犠牲の精神でやってる訳じゃないよ。それに……」

「それに?」

「あの二人とは違って、他の生徒はきっと受け入れてくれるよ」

 俺は確信に近い言葉を告げる。

「……え?」

「みんなは『王子』としての黒瀬さんを受け入れてるでしょ?」

「それはそうだけど……でも、それは中学生の頃からだから……」

「だから、時間をかければ受け入れてくれる。大変なのは、これからだよ?」

「そうかもだけど……」

 依然として、黒瀬さんの表情は晴れない。

 やはり不安の芽は残っているみたいだ。

「不安?」

「当たり前じゃないか。不安で不安で仕方がない」

 そうか。なら、賭けに出るか。

「雫」

 俺は、黒瀬さんの名前を呼び、手を重ねる。

「っ!?」

 俯いていた顔が勢いよく上がる。

「人の目なんて気にするな。自信を持て。今日まで雫がやってきたことは無駄じゃない」

「あ……えっ……?」

「雫は色んな人から信頼されてる。最後の一歩だ。頑張れ」

 俺は、静かに微笑む。

 少しの間、視線が交差する。

 不安に揺れていた目が、次第に決意の色に変わる。

「南雲くん……。そんな風に言われたら、頑張るしか無いね」

 先ほどまでの消極的な雰囲気は無くなり、ほんのり頬を染めつつ笑顔になっていた。

 今回の物語の主役は黒瀬さんだ。

 長い長い物語の分岐点。他人軸ではなく自分軸で決めるべきだ。

「一つ……聞いてもいいかな」

 黒瀬さんは、俺に向き直ると真面目な顔で問いかける。

「なんで、こんなに必死になってくれるの?南雲くんにメリットなんて無いだろう?」

「別に損得勘定で動いてる訳じゃないよ。今の黒瀬さんが昔の俺と重なったからだ」

「ふぅん……?昔の君……ね。君はどんな人生を送ってきたのかな?」

「それは、また今度な?この件が片付いて、俺の気が向いたら話すよ」

「それ、気が向かないやつじゃないかい?」

 黒瀬さんは口を押えて笑う。

「それとさ?いつまで手を握ってるの?僕は構わないけど」

「っ!?ご、ごめん!」

 慌てて手を離す。

「ふふっ初めてだな〜。あんなに情熱的に気持ちを伝えられたのは」

「ま、まぁ……俺も初めてだ」

 穏やかな空気が流れてきたところで予鈴がなった。

 慌てつつもタイミングをずらして教室に駆け込む。

 授業中、俺は悶々としていた。

 賭けの前提条件は、昔一緒の劇団で過ごした女の子が黒瀬さんであること。

 もし、違っていたら…………。

 恥ずかしすぎて、机に頭を叩きつけたい衝動に駆られる。

 まぁ、過ぎたものはしょうがない。

 やれることはやった。あとは、黒瀬さん次第だ。



 翌日は、いつも以上に教室が騒がしかった。原因は黒瀬さんだ。

 当の本人は、いつもと雰囲気も口調も変わらない。

 ただ、一つだけ変わったことと言えば――

「凄く似合ってますよ!雫ちゃん!」

「ちょ……声大きいよ!渚」

「あ、ごめんなさい。でも、すっごく可愛いです!」

「ありがとう……そう言ってくれると嬉しいよ」

 スラックスからスカートに制服が変わっていたこと。

 黒瀬さんとほんの一瞬だけ俺と目が合った。

 バレたら面倒なので、俺は外の街並みに意識を向けるように誤魔化した。

 黒瀬さんの変化と同タイミングで、黒瀬さんのファンから向けられていた煙たく思うような目線が消えた。

 おそらく、黒瀬さんがなにかしたんだろう。だが、特に何も言ってこないので俺からも聞くことは無かった。




 改めて思う。黒瀬さんは凄いな。

 自分の気持ちと向き合い、恐怖と不安に打ち勝って自分を変えた。

 自分の殻を壊して外に出ることなんて、誰にでもできる事じゃない。

 あのクラスの様子だと、すぐに受け入れてくれる。それも、日頃の献身的な振る舞いのおかげだろう。

 俺もあのとき――劇団全員を『実力で俺という存在を認めさせる』なんて馬鹿な野望を掲げず、地道に交流していれば変わっただろうか。

 しっかり、自分と向き合っていれば認められただろうか……。

 自分と向き合う強さ。

 これが、俺に足りなかったものか。

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