第5話

 飼い猫の世話をしてから三度目の満月を見た時分、草猫は逃げ出した。飼い猫の言葉を忘れたわけでもない、逃げられるとも思ってはいない、ただそれでも逃げるほかにないと思えてしまった。我慢の限界だったのだ。

 草猫は飼い猫がまだ寝ている明け方にこっそり抜け出し、自分がもともと住んでいたところへ走って逃げた。帰ったとしても、守ってくれるものは誰もいない。追いかけてきた飼い猫に殺されるか、逃げ切った先でもてあそばれて死ぬかのどちらかである。しかし、草猫には後先を考える余裕などもはやない。ただ、飼殺されないこと、それだけが大事であり、それ以外のことはもはやどうでもいいといって良い。

 草猫が逃げることを決定づけたのは、ここ最近、餌の分け前がより一層厳しくなったのだ。三分の一だったのが五分の一、七分の一と少なくされていった。反抗しようものなら、脅されすべて取られてしまうというのが続いたのだ。これではさすがに生きてはいけないので、自ら狩りをする頻度が多くなっていった。だが、その自分で狩ってきた獲物さえも近頃は取られるようになってきており、いよいよ草を食わなければどうしようもない。しかし、以前のようにいくら草を食っても腹は満たされず、よりひもじくなるばかりである。このままでは飼殺されて飢え死にのほかにないのだと悟った草猫は逃げることを決めたのである。遅かれ早かれこうなっていたのだ、生に執着するつもりはもともとなかったが、せめて野良猫としての尊厳が守られる死にたい。逃げた先で死んでも、追いつかれて死んでも、走れなくなって飢えて死んでもいい、ただ漠然としたプライドのために死にたいのだ。

 ひたすらに走っているとふと狭くなっていく視界の端に子猫を見た。久々に飼い猫以外の猫を見たのだ。つまり、アイツの生活圏から逃げることができたのであるが、それでも油断はできない。今頃飼い猫も自分がいなくなったことに気が付き追ってきているだろうから。逃げる先もきっとすぐにばれているのであろう。そうゆうわけでここがどこなのかとかを聞いている余裕もなく、また子猫が草猫を見た途端に逃げ出したのでできなかった。がむしゃらに走ってきたために様々怪我をしてきた、はたから見れば死にかけの猫が目いっぱいの力でかけてきたのである、それは恐ろしく見えるだろう、ましてや子猫ならなおさらであると草猫は思った。

 そのまま走っていると、覚えのある猫たちが何匹か見えてきた。そしてある猫の集団が輪を作り集まっている様子を見て思わず立ち止まってしまった。その猫というのが、草猫をいじめていた猫たちであり、その猫たちの集団の真ん中にいるのが、やせ細った小さな猫であったためである。そのやせ細った猫を見ているとこんなきたらしいに戻ってきたことに対する後悔が少しづつ心の中に現れると同時に、今この猫が標的になっているのならもしかしたら自分も交渉次第ではこの社会に入れてもらえるのではないかという一つの暗い希望も芽生えてきた。飼い猫に飼われる前は他者とかかわる経験がなかったので交渉などできはしなかったが、今では交渉や媚の売り方などをずっと見てきて学んできた。飼い猫から学んだことがあったのだということに驚いた。

それでも、足はなかなか彼らの方へは行かなかった。交渉の方法を知ったからと言ってもかつて自分をいじめていたのだから怖いのは当然である。しかしこれ以上のチャンスはないだろう。ここで死んだとしてもいい。覚悟を決めて彼らの方へ歩いて行った。

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