第6話
萌花は鍵を閉めてドアノブを回したり、開けてドアノブを回したりしていた。ドアノブはガチャガチャと動くのに扉は揺れる事すらしない。ただ虚しくガチャガチャと音が反響するだけ。体全体で押しても1ミリも動かない。玄関近くの物置部屋に行って、とりあえず目についた扇風機を取り出した。奥にある上に他の物とコードが絡まったり乗っかったりして取り出しにくい。やっと取り出した時には、物が散乱していた。
少し息が上がった状態で、玄関に戻ってドサっと扇風機を置く。落ち着くまで休んで、扇風機を持ち上に振り上げた。
「え…?」
一瞬だった。扉が開いたのでその時は柚子かと思った。扉にぶつけようと振り下ろそうとする腕を止めた。
扉の先には家主が立っていた。その姿を見た瞬間、景色が回転した。家主に首を掴まれて外に引っ張られたと気づいた時にはお腹に痛みが走っていた。無理矢理動かされたのでバランスとれる事もなく地面に転がった。次、理解したことは、頭を掴まれて首に何かが入る感触だった。
柚子はダイニングに行くと、窓を開けようとした。が、いくら力を込めても鍵は動かない。力の入れる向きも変えながらしてみるが全く動かない。ただ自分の指が痛くなるだけだった。椅子を持ってきて叩きつけるが鈍い音がするだけで揺れることすらしない。むしろ反動で柚子が尻もちをつくほどに動かなかった。
台所があるので包丁を取り、刺してみた。が、かすり傷ひとつつかなかない。部屋の中のどの窓もやってみるが全く同じで動かない。何か引っかかっているのかと思い、念入りに窓を見てみるが特に気になる所は見つからなかった。もう一度、包丁を持ち刺そうと思ったが、あまりの手の痛さにやめた。
少し休み、もう一度包丁を持った。刺そうと手を上げた所で、隣がリビングなのを思い出して走って部屋を出た。もし動くなら。何かの間違いでも動くなら。そう願って走ってリビングに入った。
「う…あ…」
入って窓を見た瞬間、柚子は包丁を床に落とした。
謎の…人のようなものが上へあがろうとしている。骨と皮だけの謎の生き物。人と似ている見た目。その人の下にチラリと見える、本来地面なはずの場所は、赤黒い光なのか虫なのかがうごめいている。
その不気味な光景に恐怖で固まっていると、上から鞄や椅子などが落ちてきた。2階に行った人たちの所に行こうとしているのだろうか。柚子は包丁を拾い、倒れ込みそうな足を頑張って動かし窓に手を伸ばした。鍵を回そうとするがここの鍵も全く動かない。殴ってみても揺れることもしない。
どうしようかと思って無理矢理こじ開けようとしていたら、人々は自ら手を離して落ちていった。
一体なぜ…と思っていると大きな塊が落ちていった。ドサっと音がするわけでもなくそのまま下に吸い込まれていった。人々はその後、何事もなかったかのように不気味な地面に入っていく。いなくなると、ただの地面になった。
怖い。今まで頑張って無視していたが、一度それを認めてしまったら恐怖という感情がなだれ込んだ。もう足には力が入らず座り込む。それでも心のなかに、一部だけ、帰る道を見つけるという想いが残っていたので包丁を力なく窓を刺していた。
なにも考える事もできず、涙が流れている事にも気づかず、しばらくそうしていた。
何回腕を動かしただろう。玄関の方で物音がした。扉の開閉音だったので萌花が開けたのだろうか。柚子は突然現れた希望にすがるように立った。その時に後ろで窓を叩く音が聞こえた。さっきの光景を思い出し、心臓がドクンとなった。
ぼくは死ぬんだろうか…そうならせめて犯人を睨みつけたい。そう思って後ろを振り向くと萌花だった。
萌花は人差し指だけを立てて口に当てている。その通りに静かに窓に近づいた。
「家主が犯人。玄関に今いる。家主から逃げて」
そう小さく言うと、萌花は玄関側へ走り、大声を出した。そのすぐ後、物凄い勢いで走る音が聞こた。その音は扉を開け外に向かっていった。まだ分からないままだが、リビングから覗いてみると扉が閉まっていた。壁に背をつけ廊下を歩く。ダイニングに誰もいないか確認しようと覗くと、窓の外で萌花がお腹と首から血を流して死んでいた。萌花の顔がこちらを向いているのでどうしても目があう。家主は気づかずそのまま歩いていった。
その目が離せないでいると、逃げて、と口が動いたような気がした。
静かに、けれど急いで玄関の扉を開けようとしたが全く動かなかった。続けて奥の部屋から出られないかと思い、子供部屋に向かった。
部屋をすぎる前に中を覗き家主がいないか確認する。誰も居ないと分かったら次へと進み、子供部屋にたどり着いた。耳をすませても何も聞こえないので少し扉を開き覗く。窓の向こうには誰もいないので静かに入り、静かに扉を閉めた。しゃがんだまま歩き窓に近づく。下から外を見て、誰もいない事をもう一度確認すると鍵に触れた。ここも全く動かない。
柚子はポケットからスマホを取り出し双子の妹にメールを書いた。
いつもありがとう。ぼくいつも嫉妬して意地悪していたけど、檸檬と一緒に居て楽しかった。大好き。ずっと檸檬もママもパパも大好き。いつも隣に居てくれてありがとう。ぼくが友達と泊まりに来ている所には絶対来ないで。ぼくたちは帰れないかもしれない。でも帰りたい。でも来ないで。来たら危ない。きっと帰ってこないからママたちが警察呼ぶと思う。だから来ないで。いつも双子の繋がりがあるから誰よりも早くに気づいて助けに来てくれと思う。でも来ないで。大好きだよ、ずっと。
送信ボタンを押した。気を紛らわせるためにスマホのホーム画面をいじっていたら圏外になっている事に気づいた。悪い事続きで心がやるせない深い悲しみに染まっていく。そういえば家主が居ないか確認していた時、萌花の死体もなくなっていた。どこかに埋めているのだろうか。
壁によりかかって座っていると、閉めていた部屋の扉が勝手に開いた。
せめてこの包丁で怪我させてやろう。あまり力が入らない足で立ち上がった。
扉が開いて相手の姿が見えた途端、気が抜けてまたヘタリと座り込んだ。
「け、圭司ぐ、が…」
泣きながらドミニクがそう言った。悟司を引っ張って扉を閉めて入った。
「け、じ君が…死んだ…」
「…え…」
色々な感情が爆発して何も考える事ができなくなった。
けーじが死んだ。もえもえも死んだ。
3人は集まって静かに泣いた。時折吐きそうになるのをなんとか飲み込んで。
「そう…けーじ…そう…。実はもえもえも死んだの。家主に気をつけろって言ってたし、お腹と首から血が出てたから家主だと思う」
「そうか…圭司君は…圭司君の部屋の窓が開いたからロープもあったし降りたんよ…そしたら下から人みたいなものが上がってきてな…掴んで…落ちた」
人みたいなもの。それを聞いて柚子は、あの大きな塊の中に居たのか、とピンときた。
「も、し、それって…人みたいなものに…たくさん包まれて…?」
「せや…重さに耐え切れんかったんやろなぁ。圭司君、手を離して…」
ああ、だから人みたいなものは自ら手を離したんだ。
どんよりとした重い、吐きそうな絶望が胸を締めた。軽く出来ないかと思い、上を向くがなんともならない。
動く気力さえ失っていた。
ドミニクの後ろの悟司も抜け殻のように見える。
「家主って人なのかな…」
ポツリと柚子は言った。
「悪魔信仰みたいな。儀式をしている人間なのかな…」
包丁を膝の上に乗せ言う。
「やと思う、物も持ってたし話してたし…」
「台所に行って包丁持って刺したら…」
「………しよか」
それを聞いてやる気が出たのか、悟司も、いいと思う、とはっきりと言った。
廊下に何も音がしていない事を確認して静かに扉を開けた。そのまま、そろりそろりとなるべく音を立てずに歩く。
リビングの前に着こうとした頃、柚子は何かおかしい事に気づいた。
腕を触られている気がする。思い返せば子供部屋を出てからそう感じる。けど、はっきりと触られている感覚でもなく、気のせいだと言われたら、そうだな、と言うくらい分かりにくい。
だけど気になるので歩きながら腕を前に出して見ると、また手の跡がついていた。慌てて前を向き、ドミニン、と言おうとしたらドミニクと悟司の代わりに子どもたちが立っていた。あまりにも細く、そして皆小さい。目にもくぼみができており、爪も髪もぼろぼろしている。圭司が落ちる原因になった人のようなものと同じ見た目をしている。
「あ、や、来ないで!!」
と後ずさりをしながら包丁を振り回すが、攻撃のために振り回してるわけでもないので当たらない。2歩、3歩と下がっていると何かにぶつかった。
「う、あ…」
慌てて体ごと後ろを向こうとしたが腰をガシっと掴まれてできなかった。
顔だけ後ろを向くと別の子供が掴んでいた。
帰りたいとも、死にたくないとも思う事もできず、死んだのかも気づくこともできないまま目の前は真っ暗になった。
静かに、ゆっくりと歩いていたので、ドミニクと悟司はやっと目的の部屋に辿り着いた。
覗いてみると窓の外にも誰もいない。中に入ってそっと丁寧に包丁を取り出し玄関まで歩いた。
念の為、ドミニクがドアノブを回すとあっさりと回った。そのまま押してみるとこれまたあっさりと開いた。
「あれ?開いた。出れるんちゃう?」
後ろを振り向きそう言うと、柚子が居なくなっていた。
「あれ?悟司君、柚子君見てへん?」
え、と言って悟司も後ろを向きキョロキョロするが、不気味に見える廊下があるだけだった。
柚子君、と声を出そうとしたが出なかった。首に何か入る感触がある。それはブチブチと肉をちぎり前に居る悟司に血がかかった。ゴポゴポ、としか音が出せずいつの間にか床を見ていた。
家主と同じ靴が目の前に降りてきたと思ったら、悟司も倒れた。
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