第5話 祓う生業、何のため?

 ひとまず祖母の家は結界を強化し、祠はさらに安全な場所に移された。あの祠は今祖母がいる場所を守る楯だ。私は1日だけ祖母の家にいることを許さた。祖母からは今は、彼らから学ぶ知識を得ることが身の安全を守る方法だと念を押された。


 私はあの祖母の家の事件以来、座学と実技と、実戦を交互に行っている。


 実戦の日々は初日だけで死にそうになった。

 呪詛はあらゆるところにあった。ファミレス、コンビニ、学校、駅、デパート。人々の無意識化で作り出す生霊はさまよい、悪霊になる。それはとてもささやかなことで。


 例えばデパート。欲しいモノが買えない人間が欲しい物をたくさん購入する客を見て嫉妬する。理不尽な客が店員をののしるとき。その客はまた誰かに虐げられている。客の怒り、店員の怒り。ときには自尊心を傷つけられたことによる悔恨。その人間から生まれた恨みや嫉妬がその場に取り残され、悪霊が形成されていく。


 ささやかなものは祓う能力がある者が側を通るだけで浄化されるが、肥大化した悪意は悪霊化し悪さをするようになる。発火したり、人を使って人を傷つけたり。悪霊によって起こる事件は祓って未然に防ぐ。それが、祓いの能力を受けた家系の生業。


 幼き頃、様々な不思議な体験は、私が無自覚で祓っていたことによる現象だった。祖母は私の能力を隠すために「虚無の封縛」をかけたという。その術の効力で、私は15になるまでごく普通の子供と同じように成長することができた。


 その一時しのぎが私にとって良かったことなのか、それはわからない。ただ、私は今、これは使命だ宿命だと、ほぼ洗脳のような指導を受けている。


 「ここは色々な人が立て続けに亡くなっているマンションだ。」

 実戦を開始して半年。今回は初めて蒼人と現場に入った。到着しただけで鼻をつく不快な臭い。息をするのもためらう。外から一般人が入らないように結界を張る。


 「いくぞ。」と蒼人に声をかけられ建物のエントランスに踏み込んだ途端、大きな衝撃でふたりは吹き飛ばされ、エレベーター内の壁に激突し、閉じ込めれた。エレベ―ターは上下ではなく真横に猛スピードで動き始めた。ぐらぐらと脳がゆられ、めまいと吐き気に襲われる。


 真横に動いていたエレベーターは斜め上にかけ上がり、かなり上に昇ったところで落下した。胃がひっくり返されるような気持ち悪さが続き、強い衝撃とともに床に叩きつけられた。悪霊が潜んでいるわけじゃない。このマンション全体が悪霊だ。


 鈍い音と体中にピキーンと鋭い痛みが走り呼吸ができなくなる。右肩が引っ張られたと同時に私の右腕が空を舞った。は?

 次に左腕が引きちぎられて、そのまま両足を引きずられ両脚も切り落とされた。血しぶきがあがる。床に倒れたまま、空を見ていると蒼人の頭が吹っ飛んでいた。すぅっと意識が遠のく。


 再び気が付くと、手足首がまだある。そしてまた同じように繰り返された。何、これ。なんだ・・・。意識が遠のく中で蒼人の声が聞こえる。


ーーー幻影だ。視ろ。正しく視ろ。


 血しぶきが空に舞う。全身の骨がくだけるような感覚と痛みがあるのに、これが幻影だと? 必死で視る意識をした瞬間、両目がえぐられた。


 もう嫌だ。

 死にたい。


 なぜ私がこんな目に合うの?

 何のため?

 誰のため?


 自由を奪われて、監禁状態。

 受験は?

 大学推薦は?

 ふざけんなっ。


 私の中で憎しみがたぎった。

 頭に血が上り、空間全体を血走った目で視た。あれだ。


 建物全体に広がる影の中に、頭は小さく、体はぶくぶくと肥え、長くバランスの悪い腕がだらりと垂れ下がり、短く細い奇妙な脚。全身はぼこぼこでイボがつぶれた吹き出物からへどろが流れている怪物がいた。

 

 その怪物の小さな頭が透明になった。

 「拘束。消滅。死ね、くそ野郎っ」


 ブジュ。と何ともいえないつぶれた音がし、一気に怪物が崩れ始める。建物全体が、"独楽こま"の動きが止まる寸前のように、ぶわーんと空間が回る。その中で蒼人が目の間に現れた。建物全体に術をかける。

 「氷陣開花。」

 彼の言葉と同時に揺れていた空間が凍りつく。続いて、

 「水浄浄化。」

 滝のような水が空間全体を洗い流した。


 おどろおどろしい空気で包まれていたマンションは、煉瓦風のタイルで覆われたとても温かみのある建物だった。これが何故あのような悪の巣窟になったのか。


 ふわっと、光に包まれた中で、過去に住んでいた人たちであろうか、人々が行き交う。ベビーカーを押しながら歩く夫婦、ふたりで仲良く歩く老夫婦、小学生くらいの子供たちが楽しそうに笑いながらエントランスから出ていく。


 私は無表情のまま、涙をこぼした。ボロボロ泣いた。両腕をちぎられ、脚が切られた。目もえぐりとられ、骨も砕け散った。


 疲れた。

 グロテスクな映画は、リアルで起こってはいけない。

 幻影とはいえ、私にとって現実に起きたことだ。


「立てるか?」

 蒼人から手を差し出されるが、そのまま差し出された手を眺めていた。


「何故、わたしらがこんなことやらなくちゃいけないの?」

「・・・。」

「生きている人間のせいで、それは赤の他人じゃん。どうして私らが自分を犠牲にして、祓わなきゃいけないの? 蒼人、何のために戦っているの? 私よりずっとずっと戦い続けているよね? 使命? 正義? なんのため?」


 私はそのままその場に倒れ込んだ。

 蒼人が私を抱えようとするシルエットがうっすらと見えた。

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