第9話 慢心と恐怖

 正直なところ、その可能性を考えなかったわけではない。


 二人は高次元生命体に関わった人間の中でも特別で、だからこそ再構築前の記憶を保持したまま、この世界に落とされた。


 そう思っていたし、実際そうなのだろうが、かつての世界の在り方全てがリセットされたわけではないことに、もう少し目を向けるべきだった。


「お前……」


 次に赴いた女の元で、ラチカは手酷く傷を負っていた。

 脚を刃物で裂かれ、満足に立つことができない。おそらく腱が切れている。


 一ヵ月の空白期間で、気が緩んでいたこともあったが、それよりも。


「エルラチカ……頭の中で囁いている。お前のせいだ。お前のせいで俺は……俺は?」


 ラチカの記憶では、確かにこの時の転生体はこの廃倉庫で怪人に襲われたことで死に瀕した。

 だから、オルムの滅びたこの世界において、その役割は別に置き換えられるだろうと思っていたが。


 ラチカの目の前にいる男は、怪人でこそないが、ラチカと同じ、元怪人オルムチルドレンだった。ラチカと同様、否それ以上の膂力を持っている。


「ラチカ!」


 國彦は落ちていた鉄棒を手に取り、男に向けて突いた。

 だが、その攻撃も虚しく、男に防がれる。男は鉄棒を掴むと、片手でへし折った。


「殺す」


 男の様子は、明らかに正気ではなかった。

 國彦とラチカの姿を見て頭を抱えて、それからだ。

 二人の姿を見たことで、かつての世界での記憶が蘇り、彼を蝕んでいる。


 折れた鉄棒を手に、男は血走った目でラチカを見る。

 脚を動かせないラチカは、倒れたまま応戦するしかない。


 折れた鉄棒がラチカの頭に振り下ろされる。

 ラチカはそれを両腕で防いだが、男は半狂乱になった顔を涎でぐちゃぐちゃにしながら、もう片方の手に刃物を握り、ラチカに向けた。


「あ」


 死んだ、とラチカは思った。

 この世界でラチカが転生することはない。ここで死ねばもう終わり。そう思った時、そこしれない恐怖が、ラチカを襲った。ラチカは眼を閉じる。


 血飛沫が舞う。


 頬に血が迸る。

 だが、痛みはない。

 ラチカは恐る恐る、眼を開けた。


「クソ──ッ」

「──國彦!」


 國彦がラチカに覆い被さっていた。

 その背中から、胸にかけて、刃物が貫通している。


「お前……」


 國彦はラチカの言葉に応えることなく、彼女の上で意識を失った。

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