第9話 遺伝子の覚醒

 グレイは注射器を取り出し、自分の腕に注射した。するとどうだ、グレイは見る見るうちに二倍ほどの大きさになり、筋肉量も元の体格とは比にならないものへと変わり果てた。



「フフッ…フハハハハハ…最後のあがきだ!一か八か、効力が切れるまでの一分間に貴様らを殺す!」 



 グレイは鎖を手に取り、ものすごい速さで振り下ろしてきた。間一髪よけることができたが、地面を見ると、とても人間がつけたとは思えない地割れが大きく広がっていた。捕食者としてのフィジカルが、今までとは断然違う。その後もグレイは、桁違いの身体能力で私たちを圧倒した。鎖を振り回す速度は時間を経るにつれ増していき、目で追うのがやっとである。



 「この俺をここまで追い詰めたことは誉めてやろう。しかしここが貴様らの墓場となることは変わらんのだ!虎流殺傷術こりゅうさっしょうじゅつくう辻風つじかぜ!」



 グレイはこれまで以上の速さで鎖を振ってくる。その様はまさに辻風のようである。



 「私に任せてください。すべて流します!」



 皇珠は荒れ狂う鎖の中に飛び込み、刀で次々と鎖を受け流し始めた。しかし、グレイの鎖はあまりにも速すぎた。皇珠は一見して鎖を受け流せているようだが、それでも一部は皇珠の体を打ち付け続けていた。



 (…痛い…体中が焼けるようだわ…でも、ここで手を止めるわけにはいかない!後ろには友がいる。それに、ここで死んだら、平和な世界を見ることは叶わなくなってしまう。さっきこいつは、効力が切れるまでの一分間と言っていた。時間的に見ておよそあと二十秒!このまま耐え続ける!)



 皇珠は必死に鎖の猛攻を耐え続けた。しかし、いくら皇珠とは言えど、体力には限界がある。徐々に受け流せる鎖の量も減っていく。そしてついに、


 ゴスッ!!


 周囲に鈍い音が響き渡る。皇珠は脇腹にグレイの強烈な一撃を受けてしまった。



 「グァ…!!」



 皇珠はその場に倒れこんだ。そしてそのままピクリとも動かない。



 「皇珠!!」


 「これだから愚かなのだ。他の被食者のように大人しく飯になってくれればいいのだ。手間がかかる肉だ。あと八秒…他のやつも殺す…!」



 グレイは振りかぶり、私たちの方へと襲い掛かってきた。死を覚悟したその時、



 「グハッ…!」



 グレイは突然動きを止めたかと思うと、その場に膝をついた。



 「…これは…あの女、しっかりと爪痕を残しやがった。体がしびれる…電気を使っていたのか…金属製の鎖を通して俺に高圧電流を!例のブツの効果が切れ始めたせいで今になってダメージが来たのか…!」


 「皇珠…少なくとも、あなたは負けてなかったよ。あとは任せて。」



 注射の効果が切れたのか、グレイの体は見る見るうちに元の体へと戻っていく。その隙を見て私は銃の引き金に手をかける。



 「…さよなら。」 



 私は無情にグレイの頭を撃ち抜いた。辺りに返り血が飛び散り、グレイから表情が無くなった。…グレイが死んだ。私がこの手で、初めて殺した人間だ。



 「おい!ナミカ!しっかりしろ!グレイのことは考えるな。今は仲間の心配をするべきだろう!」



 グレイを撃ち抜き、突然冷静になった私は、気付けば人を殺したことの罪悪感に囚われ放心状態になっていた。しかしエレグラの言うとおり、敵のことよりも今は味方の皇珠の心配をしなければいけない。私は倒れこんでいる皇珠の元へ走って向かう。



 「皇珠!」


 「ナミカ…ちゃんと、勝てたみたいだね。それとステラ、夢幻天影は本来斜め上に受けて撃つものなんだ。普通に撃っちゃうと両サイドに飛散して味方も危ないから。」


 「そうだったんだ…」


 「とりあえず早く箱舟に戻ろう。まだ治療が間に合うかもしれない。」


 「そう…だね…。被食者最強が、この程度で死ぬわけないよ。…正直死ぬほどしんどいけど。」


 「俺が担いでいこう。乗れ。」



 皇珠はエレグラの背中に乗った。しばらく歩いていると、近くの木陰から、一部始終を見ていたのであろうナコちゃんが駆け寄ってきた。



 「皆さん!というよりまず皇珠さん!大丈夫ですか!?」


 「…問題ないよ。この程度じゃ、私はどうということはないんだから。」



 そうは言いつつも、皇珠の顔色は明らかに悪い。今のところ命に別状はないが、早急に手当てを行わなければ今後どうなってしまうかわからない。私たちは急いで箱舟へと向かった。


 箱舟に着くと、エレベーターの前で想一郎さんが気ぜわしい様子で待っていた。



 「皇珠様!?…皆さん、これはどうされたのですか!?やっと帰ってきたと思えばあの皇珠様がボロボロに…」


 「知っているかわからないが、天虎幹部、エネムの配下筆頭、グレイだ。エネムの領地と分かっていながら俺も油断していた。」


 「知っていますとも。前に遠方から流れ着いたという被食者から話を聞いたことがあります。しかし…いくらエネムの配下筆頭と言えど、皇珠様が負けるなど…まさか、使われたのですか。」


 「ああ、俺たち捕食者にとって一番のドーピング剤、虎の血だ。」


 「血?…どういうこと?」


 「お前らにはあとで部屋でゆっくり話す。…想一郎さん、すまないが、皇珠のこと、任せてもいいか。」


 「ええ。それが務めですので。」



 想一郎さんは近くに常備してあったのであろうストレッチャーに皇珠を乗せ、医務室まで運んで行った。私たちは心配しつつもそれを見送った後、エレグラの部屋へと向かった。



 「それで、血って、何のこと?」


 「ああ、俺たち捕食者にとって、虎の血は、最大のドーピング剤なんだ。俺たち捕食者は、基本的に被食者よりも身体能力が高い。なぜかわかるか。…俺たち捕食者は、生まれて間もないころに、虎の遺伝子を基に人肉に適応するための遺伝子操作手術を受けるんだが、その副産物として、身体強化というものが想定外の形で発生したそうだ。そのせいか、虎の血を体内に注射すると、遺伝子操作が人体の許容範囲を超え、暴走する。」


 「なっ、なんか、難しいです。」


 「要するに、俺たちは虎と人間の混血なんだ。虎の血を摂取することで虎の部分が濃くなるわけだな。ただし完全にキャパオーバーだから暴走する。長時間続けると細胞が壊れて普通に死ぬ。人体のオーバーリミットってわけだ。」


 「なっ、なるほど?」



 ナコちゃんの頭上にはずっとはてなマークがグルグルしている。ちなみに私もはてなマークがグルグルしている。



 「まぁ難しいことはどうでもいいよ。とにかく、敵は私たちが思っているよりもずっと厄介だってことはわかった。少なくとも皇珠…だっけ。あの人があんなになるくらいには。あの人、相当強いでしょ?それが敵わないんだから。」


 「…皇珠は、ずっと俺たちを気にかけていた。あいつの攻撃は高威力かつ広範囲だ。もしもあいつが本気でやり合っていたんなら、グレイも俺たちも骨まで残らず粉々になっていたはずだ。あいつがあの程度のはずがない。」


 「…そうだ、そろそろ皇珠のところに行ってみよう。ちょっと心配だから。」


 「そうだな。…俺も、いろいろと話したいことがある。」



 私たちはエレグラの部屋を後にし、医務室へと向かった。


 医務室に着くと、大きめのベッドの上に、全身を包帯で巻かれた皇珠が寝かされていた。そのそばには想一郎さんと、医師と思わしき女性が寄り添っていた。



 「皇珠!えっと、大丈夫そうですか?」


 「一応、一命はとりとめました。もう少し遅かったら危険でしたが。時期に目を覚ますはずです。ただ…」



 女性は表情を曇らせた。



 「…ただ、かなり深手を負っているようでして、肋骨の粉砕骨折が見られます。内臓にも損傷が見られますし、恐らくは当分戦闘が不可能かと。」


 「そんな…これも、私たちのせいなのかな。」



 …そうだ、皇珠は私たちをかばって実力を十分に発揮することができなかった。もしもあの場で私たちが弊害となっていなかったのならば、皇珠はこの前のように一瞬でグレイを消し去れていたのだろう。そもそも血を使われることもなかったはずだ。…いろいろな思いがこみ上げてくる。私はそれらすべてを拳に握りこんだ。


 …その夜、私はふと目を覚ました。不思議とすっきりとした目覚めだ。それにしても、どうしても皇珠のことが気になって仕方がない。それで目を覚ましてしまったのだろうか。



 「行って、みようかな。」



 私はこっそりと部屋を抜け出し、医務室へと向かった。すると医務室には、皇珠以外にも、一つ人影が見られた。息をひそめ、そっと覗いてみると、その正体はステラであった。とても穏やかな表情で皇珠を見つめている。


 「…皇珠、今意識があるのなら、聴いてほしい。ないのなら、私の独り言になってしまうが。…私は、本当にここにいるべきなのだろうか。私は体質的にも、日中の活動は制限されてしまう。まともに戦えるような場面は少ないし、私は本当に役立たずなんだよ。あなたたちはこうして迎え入れてくれたけれど、他の人たちは、集落の人たちと同じように、吸血鬼呼ばわりしたり、役立たずだと言って石を投げるかもしれない。…ずっと我慢してた。ずっと強がってた。あなたたちと最初に話した時も、ずっと悔しい気持ちでいっぱいだった。あなたたちの肌を見るたび、目を見るたび、私が普通じゃないんだって、いやでも突き付けられた。ねぇ、慰めてよ。あの時のお姉ちゃんみたいにさ。弱いんだよ、私。守ってよ、…『お姉ちゃん』…!」



 ステラの声は震えている。常夜灯に反射して光る大粒のしずくが、白い布団に落ちるのが見えた。私はとうとうこらえきれなくなり、病室のドアを思いきり開き飛び込んだ。



 「ステラ!」


 「えっ!?なっナミカ!?何でここに!?今の聴いてたの!?…ちょっと、何泣いてるの。」


 「ごめん、ごめんね。常に堂々としてるけど、本当はとても悔しいんだろうって、私、なんとなくわかってたのに、何も言ってあげられなくて!」


 「ええ…?いや、いいよ。ていうか、あなたに相談してないし!あなたに同情されるような義理はないし!それに、あなたたちのことだって、完全には信用してないんだから!あなたなんて特に感情読めないじゃない!」


 「これから信用される。そのためだったらなんでも協力する!」


 「なによ、あなた、そんなにおせっかいだったわけ?……でもまぁ、……ありがと。」



 強く当たりつつも、ステラは顔を赤らめながらぼそっと私に礼を言ってきた。昼間はサングラスでよく見えなかったが、彼女の瞳はとても美しい金色をしている。今の彼女の瞳には、心なしか喜びや安心のようなものを感じる。



 「…何見てるのよ!」



 ……うん、そんな気がする。

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