第7話 お引越し

  皇珠との話が終わりしばらく経ち、私たちは食堂に来ていた。昨日からほとんど何も食べていない私たちは、空腹を通り越してもはや死にそうなまであった。今日の昼食はカレーライスなるものらしい。



 「…エレグラ、なんだかとても食欲をそそられるにおいがするよ。」


 「カレーだろ?古くから日本人のソウルフードだ。…もしかして、食べたことなかったりするか?」


 「え?あ、うん。」



 そう答えると、エレグラは私をたまらなく憐れむような眼で見てきた。まるで浜辺に打ち上げられた魚でも見るような顔だ。



 「…そうか。お前、普段何食ってたんだ?」


 「えっと…肉とか、魚とか、野菜に木の実、そんなとこだよ。」


 「原始人かお前は。…ああ、本当にかわいそうになってきた。どれだけ恵まれてないんだ。カレーライスも口にしたことがないだなんて。まぁ、食ってみなよ。本能を刺激する味だ。」



 そう言ってエレグラは立ち上がり、厨房前のカウンターへと向かった。私もそれに続く。ここで食事は配られるのだ。少し並ぶことになったが、何とか空腹で飢え死ぬまでにはカレーライスを受け取ることができた。並んでいる間にも、独特のスパイシーな香りが漂ってきて、何度よだれをたらしそうになったことか。私は黄金に輝くどろどろとしたものを大事に抱え、テーブルに着いた。四人掛けのテーブルにはすでにエレグラがひとりで座っていた。


 「エレグラ、どうしたの?食べないの?」


 「せっかくだから、お前を待っていたんだ。まずはお前の反応を確かめたい。」



 そうは言っているが、エレグラの手は禁断症状でも起こしたようにスプーンを持ったままガタガタと震えている。そこまで我慢する必要はないのに。私の反応とはそれほどに重要なことなのだろうか。もしくは本当はただ私を待っていただけ?だとすれば何のために?



 「…それじゃ、いただきます。」



 それを口に運んだ瞬間、私の頭の中に電流のようなものが走った。それはすぐに全身の隅から隅へと行き渡り、次の瞬間には頭が真っ白になっていた。いったいどんな快楽物質を入れたらこんなことになるのか。


 

 「…なんじゃこりゃぁーーーーー!!」



 思わず叫んでしまった。周囲の注目がいっぺんにこちらに向いた。恥ずかしすぎる。…私はそっと着席した。



 「…えっエレグラ、何なのこれ、おいしすぎて本当に死んじゃうかと思ったよ。何か危ないものなんて入ってないよね。」


 「そんなものが入っているわけないだろ。ごく一般的な食材を混ぜ合わせただけだよ。」


 「そうなの?…おいしすぎる…こんなの食べたことないよ!」



 私はその後もひたすらにカレーをほおばり続け、気付けば皿には何一つとして残っていなかった。ちなみにこの後も数杯はカレーを食べ続け、私の胃の中は怒涛のカレーラッシュで子供でも身ごもったかのようになっていた。おそらくこのような料理は生まれてこの方食べた事がないであろう。…そしてこのような食べ方をすることもこれからもこの先もないであろう…。満腹になった私は部屋に戻り、そのままベッドに倒れこんでしまった。


 …深夜、今何時ごろだろうかと時計を見ると、針は午前三時ごろを挿している。昼間からずっと寝ていたようだ。私はたった今、突然吹き荒れ始めた突風の音で目を覚ました。こういう時に限って不思議と目覚めはよく、すっとベッドから起き上がれた。しかしここは地下なのにもかかわらず、どうして風の音が聞こえるのだろうか。不可解に思った私は唯一部屋にある窓から外を覗いてみた。すると、いつもならば地中の岩やら土やらが見えるはずが、この日は柔らかな光を放つ三日月が顔をのぞかせていた。空を、飛んでいたのである。どういう訳か、周りの環境に大きな変化が起きるときは、決まって私は寝ているのだ。



 「どういうことなの!?」



 私はあわてて部屋を飛び出し、エレグラの部屋へと向かった。



 「エレグラ!」



 …しかし、部屋の扉を開けてもそこには誰もいなかった。そこで次は、ナコちゃんの部屋へと向かった。しかしながら、そこにも人らしき姿は見当たらなかった。ふと吹き抜けから下を見ると、下に大勢の人が固まっているのが見えた。私も急いで下へと降りる。



 「…皇珠…それに、エレグラやナミカちゃん、ヨウタさんもいる。…みんな!」



 私はみんなの顔を見つけるなり、側に駆け寄っていった。私の声に振り返ったみんなの表情は、どこか緊迫しているようだった。



 「ナミカ。…お前こんな時でも寝てたのか。ていうか寝すぎだろいつもいつも。まぁいい。状況を説明する。実は、箱舟の場所が特定された。おそらく…俺のせいだ。実は、まだ話していなかったんだが、さっき帰ってくる途中敵の襲撃に遭った。さほど手ごわい相手ではなかったが、あと一歩のところで逃げられてしまった。そしてついさっき、その追手と思われるトラの集団が箱舟の手前まで来たんだ。…そうだ、これを見てくれ。」



 そう言ってエレグラは何やら丸いものを見せてきた。どうやら私がのんきに寝ている間に大変なことになっているようだ。



 「これって…」


 「おそらく発信機だろう。さっき叩き壊したが。これで俺の位置を把握していたんだろうな。…あの野郎、一瞬の隙をついて俺にマーカーを張り付けやがった。」


 「…それで、今どこへ向かってるの。」


 「九州の森の中だってよ。知ってるか、九州って。自然が豊かなところなんだってよ。一応到着は明日の午前中だそうだ。着いたら少しだけ探索にでも行ってみような。」



 斯くして私たちは、拠点を九州へと移すこととなった。これまでの拠点が見つかってしまったことを考えると、これからはより慎重な行動を求められるだろう。新たな地では何が私たちを待っているのだろうか。不安と共に心躍る感情を抱き、私は再び眠りについた。…寝ている間にエレグラが私の部屋にやってきて「よくまだ寝れるな。」とツッコミを入れてきた気がするが、おそらく気のせいである。


 …陽光がまぶしい。日の光を浴びて目を覚ますのは久しぶりのことだ。外を見ると、箱舟はまだ空を飛んでいたが、だんだんと高度を落とし、着陸の態勢に入ろうとしていた。私はエントランスの様子を見てみようと思い、扉を開けたが、偶然にも扉の前にはエレグラが眠そうな目をこすりながら立っていた。


 「わっ、エレグラ、どうしたの?結構びっくりしたんだけど。」


 「ナミカ、なんだ起きていたのか。昨日あれだけ寝ていたのもあって、流石に早いみたいだな。」


 「ナミカさーん!エレグラさーん!」



 私とエレグラが話していると、遠くからナコちゃんが私たちの名前を呼びながら走ってきた。



 「さっき第五の隊長さんに会って、お二人に伝言を預かりましたよ。着陸準備に入るので、身を低くして構えるようにとのことでした。」


 「構える?そんなに危ないことなのかな。」



 疑問に思いつつも私たちは床にしゃがみこんだ。するとしばらくしないうちに足元から聞いたこともないような爆発音が響き渡ってきた。一度ならず何度も、轟音が体を突き上げてくる。



 「なにこれ、どうなってるの!?」


 「掘削爆弾です。隊長さんいわく、これが一番手っ取り早く地面を掘れる方法なんだそうです。」


 「ごっ豪快だな…」



 エレグラも若干引いているようだった。それよりもこの数の爆弾をどこから持ってきたのか。箱舟の資金や技術力にはまだまだ謎が多い。


 掘削し始めてから十数分、爆発音はようやく治まり、舟は徐々に降下していき、数分もしないうちに窓の外は暗黒に包まれた。



 「終わったみたいだね。」


 「ああ。外の様子が気になるのだが、もう外出してもいいのだろうか。」


 「一度皇珠さんのところへ行ってみましょう。勝手に動くと何があるかわかりませんし。」


 「そうだね…。んじゃ、エレグラ、ナコちゃん、行こうか。」



 私たちはよろけながら腰を上げ、皇珠のもとへと向かった。



 「…あ、皇珠だ。もうエントランスに降りてきてたんだ。」



 皇珠のもとへ向かおうと部屋を出ると、皇珠はすでにエントランスに降りてきていたようで、その神秘的な立ち姿が上から見えた。私たちもその姿を追って下へ向かう。



 「皇珠―!やっと九州に着いたの?」


 「うん、何事もなくてよかった。」



 そうは言いつつも、今日の皇珠は何となく疲れているような気がした。…いや、どちらかと言えば、不安感に近いようなものを感じる。



 「どうしたの?皇珠。」


 「…あ、いや、何でもないの。ただ、やっぱり一つ気になることがあって…。」


 「もしかして、俺についていた発信機のことか?あれなら既に破壊したはずだろう。」


 「…そうだよ。でも、発見に至るまでの時間、舟の飛行航路から、その先の飛行航路まである程度予想できると思うの。現にそんな距離進んでしまうくらいに、発見は遅れてしまっている。」


 「そんな、…じゃあ、壊したって無駄だったってことかよ。」


 「そうなるよ。まだ確証はないけど、今も背後から追ってきている可能性だって十分あり得るんだよ。」



 よく見ると、皇珠は上着の下には鎧、腰には例の刀と、私服ではまずありえないような恰好をしている。



 「私はこれから周辺の偵察に行ってこようと思う。みんなはここで待機してて。」


 「そんな、…それなら私も一緒に…」


 「こんなところで死ぬ必要なんてないでしょ!!」



 私が同行しようとすると、彼女はものすごい剣幕で怒鳴ってきた。



 「…死ぬだなんて、そんな大げさな…」


 「大げさなんかじゃないよ。今までこういう場面になって、何度私が仲間を失ってきたと思ってるの。せめてあなたたちだけでも生きててほしい。ひいきするわけじゃないけど、…私は、あなたたちのことを、生まれて初めての対等な友だと思ってる。もちろん、ナコ、あなたも。あの時はありがとう。」


 「あ、いえ、そんな大したことはしてないんですよ?」


 「ナコちゃん、いつの間に皇珠と親しくなってたの?」


 「えっと、ナミカさんが寝てた時のことなんですけど、皇珠さんが砂と砂糖と塩と小麦粉と危ない薬の違いが分からないと調理室のテーブルに並んでいる五種類の粉を眺めて眉をひそめていらっしゃったので、わかりやすく並べてあげたんです。」


 「どういう状況なんだそれは。砂糖と塩と小麦粉はともかく、砂と危ない薬がどうして調理室にあるんだよ!てか、どうやって見分けた!?」



 エレグラがかなり情熱的にツッコミを入れている。…そういう仕事志望なのか?



 「えっと、見分け方は、色とか手触りとかです。あ、そういえば、結局あの時、何をしていたんですか?聞いてませんでした。」


 「あの時は、夜食にスイーツを作ろうとしていたの。あそこにナコがいなかったら、私は最悪の場合、お薬入りのスイーツを食べていたかもしれないわ。でも…、子供はもっと早く寝ることだよ。寝ないと発育に悪いから。」



 そう言って皇珠はナコちゃんの頭をやさしくなでる。ナコちゃんも「はーい」と言いながらまんざらでもない表情でされるがままにされている。



 「とにかく、だからあなたたちには死んでほしくない。唯一素で話せるのが、あなたたちなの。そんな人たちに、こんなところで危険にさらせるわけないじゃない。ただでさえ普段から死と隣り合わせなのに。」



 彼女を見ると、彼女はぽろぽろと涙をこぼしていた。彼女がこれまでどれだけ孤独な思いをしていたのかが分かる。するとそんな彼女のもとへ、エレグラがゆっくりと歩み寄っていく。



 「…気持ちは分かった。ありがとう。でも、俺たちは前に進まなくちゃならないんだ。この世界に再び安寧を取り戻したい。だからもっと『今の世界』を知りたい。…それに、俺たちだってお前が大切だ。お前は俺たちの大将で、友達なんだから。一人で背負わせる気なんて俺たちにはない。」



 いまだ不安そうな表情でエレグラを見上げる皇珠に、エレグラは続ける。



 「大丈夫だ。俺は普通の人間じゃない。ナミカやナコのことだって、俺が守る。そう簡単に死ぬようなことはない。」



 エレグラは皇珠にまっすぐな視線を向ける。それに安心したのか、皇珠も微笑み返す。



 「わかった。君たちを信じよう。でも、絶対に無理はしないでね。それと、私からもはぐれないようにね?」



 この時の皇珠は普段の感じからは想像もできないような表情をしていた。そこには被食者最強の皇珠護天も、名家のお嬢様の姿も、つかみどころのないいつもの皇珠の姿もなかった。そう、まるで、ただの気弱な少女であった。


 こうして私たちは、未開の地、九州地方に足を踏み入れたのだった。外に出てみると、そこは相変わらず鬱蒼とした森であった。しかし、足場の悪い森の中をやっとの思いで抜けたその先で、新天地を体中で感じたのだった。



 「…すごい…こんな景色、今まで見たことないかも。」



 どこまでも広がる草原、高地特有の雲、澄んだ空気、連なる高い山々、森を抜けた先は、向こうでは感じることのできない、高原地形であった。



 「…天虎にいた時、古い文献で見たことがあった。九州の一部の地域では、このような雄大な自然が広がっていると。かつては多くの人々が行き交う観光地でもあったそうだぞ。」


 「少し探索してみましょう。もっとこの場所を見てみたいです。」


 「ちょ、ちょっとナコちゃん!?そんなにはしゃいだら危ないよー!?」


 ナコちゃんはついて間もなく、大草原へと駆け出してしまった。やはりまだまだわんぱくな子供である。そんなナコちゃんを追いかけていた時、私は信じられないものを目撃してしまった。

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