第5話 コギツネたちは奮起し、一頭のトラは現実を突きつけられる

 出発からしばらく、私たちは荒れ果てた都市部の中を進んでいた。その間私の隣にいたエレグラは、どこか不穏というか、浮かない表情をしていた。 



 「エレグラ、どうかしたの?」



 私はエレグラに話しかけてみる。…上目遣いで、出来るだけあざとく。



 「いや、何でもない。…なんだその目。あと近い。…はぁ、そうだな、少し複雑な気分なんだ。これから行くナノ集落は、俺の故郷なんだ。これから俺は、もしかすると親族の者まで手にかけてしまうことになるかもしれない。もっと早く言ってくれていれば、気持ちの整理ができたかもしれないが、伝えられたのは出発のその時。こういう気分なのもわかるだろう。」


 「そんな、…こんな偶然ってあるの?そりゃ、そんな顔にもなるか。」



 私はなんと声をかけていいものかわからなかった。そしてそっと目をそらす。こんな偶然は天がふざけているとしか思えない。そこからは私たちが話すことはなく、とうとう目的地へと着いてしまった。



 「いいですか、ここからは二手に分かれて行動します。第一から第四までは私の従者の公の後ろに着き突撃を仕掛けてください。残りの隊は私と別行動とします。」



 第五番隊の私たちは、皇珠護天と共に行動することとなった。移動中、突撃を仕掛けるもう一方の隊遠くに見えた。捕食者たちは突然の事に戸惑っている様子だったが、武器を構えまさに虎のごとく応戦していた。すると、その様子を見ていたエレグラがふと足を止めた。 



 「…ナミカ、お前は、俺の家族と戦うことになったとしたら、殺してくれるか。」


 「…え?…いや、そんな、なんでそんなことを急に…」


 「この先に向かえば森に入り、そこを抜けると、比較的緩やかな崖に到着する。あの女はおそらくそこから奇襲を仕掛けるつもりなのだろう。…そして、その崖のふもとは、俺の家だ。」


 「…じゃっじゃあ、これからエレグラの家にカチコミに行くってことになるの?」


 「実質そうだ。…情けない話だが、俺には家族を殺す勇気なんてない。だからナミカ、俺からの頼みだ。万が一の時は、俺の家族を容赦なく撃ってくれ。」



 エレグラはガラでもなく、私に深々と頭を下げてきた。彼の体は少し震えているように感じる。彼だって本意ではないはずだ。私だって本意ではない。けれども彼はこれで覚悟を決めようとしている。彼の意思を尊重するのならば私の答えは…



 「…うん。わかった。その時は私が、鎮魂の銃弾を撃ち込んであげる。」


 「…ああ、ありがとう。これで前に進めるのなら、覚悟は決めようと思う。さて、少し遅れてしまっている。急ぐぞ。」



 私とエレグラは走り出した。隊はもうかなり先に行ってしまっている。それでも何とか追いつき、崖の上から見えたのは、被食者の集落とは似ても似つかぬような栄えた街並みだった。あんなに硬そうな材質でできた小屋は初めて見た。…いや、あのような立派な小屋のことは、家というのだったか。そんなことを前にほうれいおばさんから聞いたことがある気がする。そういえば、箱舟に来てから、おばさんにはまだ一度もあっていない。機会があればあいさつ程度はしたいものだ。ともかく、開戦の時は近い。私の初陣がこれより始まろうとしている。私は銃を握りしめた。反逆の狼煙は今ここに揚がったのだ。



 「相手が捕食者である以上、だれが襲ってくるかわかりません。少しでも敵意を見せる者は迷わず葬って差し上げてください。さぁ、突撃です!」



 私たちは崖を駆け下りた。途中何度も転びそうになったが、今はどうでもいい。私の頭には今、人を殺すことへの恐怖と不安しかないのだから。


 崖の下には人は一人もいなかった。辺りは妙な静けさに包まれており、空気は何かを隠すようだった。…私は知っている。本当に人がいないとき、このような妙な静けさなど感じないのだ。



 「…みんな、気を付けて…!」



 私は周りに向けて叫んだ。するとその直後、案の定家々の隙間や木の裏から、斧だの鉈だのを持った捕食者たちが、本当に一般人かと疑うほどの勢いで襲い掛かってきた。



 「戦闘用意!」

 


 皇珠護天は腰につがえていた刀を抜いた。彼女の様子から察するに、彼女もすでにこのことに気が付いていたようにうかがえる。こうして、私たちと捕食者たちによる大乱闘が始まった。戦いは熾烈を極め、結果的に双方多くの死傷者を出すこととなった。しかし、もともと寄せ集めでまともに訓練を受けていない被食者側に対して、捕食者側は一般人とはいえ元来身体能力が高い。時間がたつにつれ、こちらの劣勢が見えてきていた。だがそんな中、一際卓越した存在がいたのだ。エレグラである。彼は私たちとは違う。彼は自身の持つ捕食者の力で迫りくる敵を次々になぎ倒していく。周りの人々も、そんな彼の様子に目を奪われている様子であった。私も負けじと銃の引き金を引こうとすると、どこからか飛んできた赤い稲妻が私の目の前を横切り、前方の敵を一掃していた。私が稲妻の流れた方向に目をやると、そこにはかの『最強』が勇ましく刀を構え立っていた。皇珠護天である。



 「皆さん、よくやってくださいました。準備は整いました。あとは任せてください。」



 そういうと皇珠護天は頭上に刀を掲げ、柄の底の部分に搭載されている何かのスイッチに手をかけた。



 「…さぁ、始まりますよ。」



 横を向くと、ヨウタさんが奇妙な笑みを浮かべながら傍観していた。



 「ヨウタさん?確か第一番隊でしたよね。なんでここへ?それに始まるって…?」


 「見ればわかりますよ。あれが我々の技術と反逆の意思の結晶です。」


 「…天叢雲アメノムラクモ限界超過オーバーリミット、『恩光雷鎖おんこうらいさ』!」



 皇珠護天は刀を地面に強く突き刺した。その瞬間、凄まじい轟音とともに、無数の雷が空間に迸る。それはまるで木の根のように、クラゲの触手のように、辺りの捕食者を貫き、葬っていった。



 「…すごい…なんなんですか、あれ。」


 「オーバードライブトリガーの効果ですよ。僕らの武器が、ただの武器なわけがないじゃないですか。覚醒機能搭載武具、『神器』って呼ばれていて、本来とてつもない力を秘めているんです。ですが、百パーセントの力を出してしまえば、本体がその強大すぎる力の負荷に耐えられずに崩壊してしまう。そこで考案されたのが、このオーバードライブトリガーなんです。通常時は出力を十分の一程度に抑え、必要に応じて一時的に全出力を放出することで、反動を最小限に抑えつつ、より大きなパワーを出せることが分かったことから搭載されたシステムです。」


 「は、はぁ。」



 ヨウタさんは熱心にかなり早口で語りつくした。しかしこうも早口で話されるとほとんど頭に入ってこないのだが。そんな時、ちょうどエレグラが私たちの方へ、血の付いた刀をハンカチで拭いながら向かってきた。

 


 「ナミカ、無事だったか。気づけば姿が見えないからもう食われたのかと思ったぞ。」


 「あなたが早すぎるの。あ、…そういえば、身内の人は、いた?」


 「…いや、まだだ。この辺の死体に紛れてたりしないよな。」



 エレグラは辺りに散らばっている屍を手当たり次第に漁っていった。それらは皇珠護天によってぐちゃぐちゃにされていたが、辛うじて顔は確認できた。



 「…エレグラ…」


 「…見ろ。」



 エレグラは一つの小さな屍を抱いて、うつむいたまま私を呼んだ。…私はエレグラの横に正座した。



 「紹介しよう。俺の妹のクルーリャだ。」



 その屍、いやエレグラの妹のクルーリャは体の半分から下がどこかへ行ってしまっていた。体の周りにはだんだんとハエがたかってきている。それでもエレグラは平然と話し続ける。



 「…クルーリャ、ほら、俺の友達のナミカだ。兄ちゃんにも友達くらいできるんだぞ?こいつは、…うん意外といいやつなんだ。まだ付き合いは浅いけど、俺にはわかるさ。…ナミカ、俺の妹も、いいやつなんだぜ?いつだったか、近所の公園に捨てられてた猫を、五匹も一緒に連れて帰ってきたことがあってな。母さんは置いてこいって言ったんだけど、こいつ、その後もこっそり家の軒下で猫飼ってるんだぜ?多分今もな。」


 「…そっか。」


 「ああ。…こいつ、父さんに似てきたかな。ほら、死人みたいな目だ。昔は母さん似だったんだけどな。」


 「うん。ていうかもうほら、…そこに君の妹はいないんだから。」


 「何言って…そうだよな。…もう…死んでんのか。」



 エレグラの声は震えている。そして爆発しそうな感情を抑え込むように妹を抱きしめるのだった。



 「泣いたっていいのに。」


 「泣けるかよ。もうとっくに覚悟は決めてんだろうが。決めてる…はずなのによぉ、どうしてだろうな。…さっきからどうも視界がぼやけるんだ。」


 「…やっぱり、こんなの、耐えられるはずないよね。…一人で抱え込まなくったていいんだよ。あなたには私がいる。出来れば、いつだって頼ってほしい。」


 「…さっき、まだ身内は見ていないと言ったが、あれは嘘だ。というよりかは、認めたくなかったんだ。思い返せば、あれは確かに俺の両親だった。父さんは銃で頭を撃ち抜かれて道に倒れてた。母さんはこいつと一緒でさっきの皇珠護天のやつで体をぐちゃぐちゃにされてた。」


 「…そう。」



 私は何も言えなかった。このような状況で、彼になんと声を掛けたらいいのかなど、わかるはずもなかった。辺りはいつの間にか暗くなっていた。遠くから皇珠護天の撤退の声が聞こえてくる。それでも私たちは、この場で残酷な運命を噛み締めるのだった。



 「あ、ナミカさーん!エレグラさーん!」



 …空気を読めないやつがのうのうとやってきた。悟られぬよう、出来るだけ平然と接するよう心掛けた。



 「お二人とも、何をしているんですか?作戦は無事成功しました。退却しますよ。」


 「うん。…ごめんなさい。少しまだ慣れていないようです。」


 「その気持ちはわかります。僕も最初は怖気図いて何もできませんでしたから。まぁどのみち僕は弱いのですが。…一つ言っておきますが、進まなければ、成し遂げることはありませんからね。では、後程合流しましょう。」



 ヨウタさんは私たちに背を向けて去っていった。その背中はなぜだか私たちを冷たく見ているような気がする。



 「そうだナミカ。お前が寝ている間に、クルとかいうやつと会ったぞ。」


 「…クル?…あっ!クルさん!そうだった、私たち元々クルさんに会うために来てたんだっけ。…でも被食者の仲間なら山ほど手に入っちゃったから、今更って感じもするけど。」



 私は当初の目的をすっかり忘れていた。結果として仲間を増やすことにつながったことは幸運というべきことだろうが。



 「後で顔くらい出しておくか。」



 辺りはもう暗い。帰ろうかと、重い腰を上げると私の腹の中から鈍い音が鳴り響いた。夜の静けさの中、人前でおなかを鳴らすことほど恥ずかしいことはない。ふと、エレグラの方を向くと、うずくまったまま小刻みに震えているのが見えた。



 「なにを笑っとんじゃー!」



 私は顔から火が吹き出そうになった。そしてそのままエレグラを置いたまま箱舟の方向へ走っていった。




 …この時のナミカは気が付かなかった。エレグラにはナミカの腹の音など聞こえていなかったのだ。エレグラはその時、いまだ絶望を噛み締め、目から絶望を流していた。

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