第3話 箱舟

 捕食者の少年、エレグラと盟を結んだ私は、これからの具体的な行動を話し合っていた。


 「…それで、具体的にはこれからどうするの?」


 「やりたいことは二つある。一つ目は捕食者と被食者の和解。二つ目は、今の天虎の頭の首を取ることだ。こうして長きにわたった争いを終わらせる。」


 「てかそれ、普通に考えて二人いたところで厳しいんじゃない?それをあなたは一人でやろうとしてたなんてかなり無謀だわ。」


 「誰かがやらなきゃ始まらないんだよ。だから俺は一人でもやらなきゃいけなかったんだ。確かに一人じゃ厳しいかもしれないが、お前が加わってくれた今、一つだけ可能性のある策を思いついた。」


 「それって?」


 「まず、順序としては、捕食者と被食者の大勢をいっぺんに味方につけ、天虎の頭を孤立させる。」


 「でも、大勢の人間をいっぺんに味方につけるなんてこと本当にできるの?」


 「不可能なことではないぞ。前提として、天虎の思想はほとんどの人からすれば愚かなものであるということは明白なんだ。しかしそれでも天虎は増え続けているそれはなぜか。今の天虎は本来の思想や教えを忘れているいや、知らないからだ。つまり、」


 「元々の信者の子供が親から盲目的な教育を受けさせられてひたすら人を食い続けてるってこと?」


 「そうだ。ならばその中のほとんどは天虎の思想を理解できない者なのではないか。ということだ。多くの人間が捕食者は食う、被食者は食われるという枠にとらわれているんだから、これもこの説の裏付けとなるだろ?本来の歴史を認めてくれさえすれば、仲間を増やすことも可能になってくるってわけだ。」



 彼は謎の自信に満ちているようだった。確かに理論的にはいけなくもないことなのだが、誰しもが私のように馬鹿正直なわけではないのだ。それに、多くの信者が盲目的になっているのにも理由があるはずだ。…しかし、



「…誰かがやらなきゃ始まらない…か。」



 ここだけは私も同意見ではあった。それが故に、私も彼を信じてついていくのだ。そもそも最初から決めていたことではあったのだから。



 「あ、そうだ。仲間を増やすなら、いい人材を知ってるかも。私と一緒で馬鹿正直な人。」


 「ん?そうなのか?」


 「生きてればいいけど。」



 正直者という名の騙されやすい馬鹿に、私は心当たりがあった。私はエレグラとともに、私が元居た集落へと戻っていった。


 私たちが集落へ到着すると、そこは案外以前と変わりない様子だった。あの捕食者たちはもうどこかへ行ってしまった様子で、おんぼろの小屋とあのクソガキのものと見られる血痕だけが残されていた。唯一変わったところといえば、以前までならあったはずの人々の喧騒がなく、しんとなっていることだろうか。



 「いないね。」


 「誰を探していた。」

 

 「近所の優しいお兄さん。クルさんっていうの。髪が生まれつきクルクルだからクルなんだって、クルさんのお母さんに昔聞いたことがある。」


 「お前らは本当に適当だな。まぁいい。そのクルさんって人はいないのか。」


 「何時間か前に捕食者たちの襲撃に遭って、みんなバラバラになっちゃったからね。私もそれで逃げてきたの。」



 私は辺りに誰かいないか見渡してみたが、だれ一人この場にはいなかった。どっかのクソガキの幽霊くらいいればよかったのだが。やはりここに戻ってこようとするものはいなかったのだろうか。私たちは諦めてこの場を離れようとしたが、どこからか声が聞こえてきた。その声は年の若い女の子のもののようで、小さく聞き取りづらかったが、耳をすませばかろうじて内容を聞き取ることができた。


 「助けて…うごけ…ないの…」



 その声をたどって集落の中を探ってみると、一つのとても古い小屋から声が聞こえていることに気が付いた。私たちはそのいまにも壊れそうな小屋に突っ込んでいき、隅から隅まで捜索した。すると部屋の隅の方の山積みになった布団や衣類などの下に、一本の若々しい腕が伸びていた。私たちは早速その腕をつかみ、引っ張り出そうとした。すると、



 「あの、あまり無茶はしないでください。この布団は見た目以上に重量がありますので、無理に引っ張ると私の腕がもげてしまいますので、お手数ですが、少しずつ上の布団をはがしていってくれないでしょうか。」



 年の割にはしっかりとした言葉遣いのできる子供である。私たちは仕方がなく、上から少しずつ布団をはがしていくことにした。



 「えっと、ありがとうございます。」



 私たちが布団をすべて取り除き、顔を出したのは思ったよりも幼い少女であった。そういう性癖を持っている人ならばこの子をどうしたことだろうか。想像しただけで虫唾が走る。



 「いえ、どういたしまして。この人は違うけど、私もここの住民なの。確か…うちの小屋からは三軒くらい隣の小屋の子だよね。ナコちゃん…だっけ。」



 そう、よく見ればこの少女には見覚えがあった。そこまでかかわりがあったわけではなかったが、そこそこ近所に住んでいた幼い子だ。しかし私たちがナコちゃんを見つけたのはその小屋とは全く別の小屋だった。



 「…あっ、思い出しました。まくらさんですよね。いつも小屋の扉を投げ飛ばすように閉めていたんで近所では有名ですよ。まくら投げとか言われてます。」


 「知ってたんだ。てか私そんな風に言われてたの!?えっと…それはそうと、なんで君はここに?ここ君の家じゃないよね。」


 「ここは私がアルバイトという形でお世話になってる方の家です。家計も裕福ではないので。ノウダンさんっていうんですけど。外の様子はよくわかりませんが、騒がしくなる前にそのノウダンさんにこの押入れを掃除しておくように頼まれたんです。そしたら思ったよりも中のものが多く、あの有様です。お二人が来ていなかったら本当に死んでいたかもしれません。ところで、ずいぶんと騒がしかったですけど、なにがあったんですか?」



 どうやらナコちゃんはもうずいぶん長くここに下敷きにされていたようだ。ここでは貧しい家の子供が仕事をすることはよくあることなのだが、その最中でこのような事故に遭ってしまったのだ。もう少し遅ければどうなっていたことか。事の顛末を知らないナコちゃんに、私は真実を話した。



 「そうだったんですね。…この集落が…。あ、みんなは、ノウダンさんは?大丈夫なんですよね!?」


 ナコちゃんはその丸く愛らしい瞳でこちらに訴えてきた。



 「ごめん。わからない。みんなバラバラになっちゃったんだ。でも少なくともわかるのは、一人死んだってこと。」


 「え…?誰ですか…?」


 「クソガ…いや、ラオだよ。わかる?私の小屋の隣に住んでたやつ。」


 「ラオさんが…。知ってますよ。あの人、周りからはクソガキだのなんだの言われてますけど、実はいい人なんです。ラオさんはよく他人からご飯を盗んでましたけど、魚ばかり盗んでいたでしょう?私、前に見ました。ラオさんは盗んだ魚を野良猫たちに分け与えていたんです。他人の夕飯を盗んでまで餌をあげるのはどうかと思いますけど。」



 初めて知った。あのクソガキが私たちから盗んだ魚を猫のために使っていたとは。言ってくれたら少し分けてあげたものを。昔からああだったのか。あいつは。



 「ダークヒーロー気取りかよ。」



 私は彼の最期をふと思い浮かべていた。結局最初から最後までそういうやつだったわけだ。しかしなぜだろう。こんなダークヒーロー気取りのかっこつけている奴に対して、不覚にもかっこいいと思っている自分がいるのだ。


 「…で、ナミカ、どうするつもりだ。これから。」


 「どうするって…。えっと…」


 「あの、私にできることはないですか。」



 私が今後について悩んでいると、ナコちゃんが助けてくれようとしてくれた。しかしどうするか。確かに少しでも仲間が欲しい今は猫の手も借りたいくらいではあるのだが、流石に子猫に手伝わせるとなると少し気が引ける。何も子猫まで使おうなどとは思っていないのだ。



 「ねぇ、どうするの。」


 「今は一人でも仲間が欲しい。ガキでも構わん。」


 「でも…」


 「心配するな。俺だって鬼じゃない。」



 そう言ってエレグラはナコちゃんの方へ歩み寄った。



 「…単刀直入に聞くが、お前はどれほどのことができる?俺たちが今欲しているものは共に捕食者の頭を倒す仲間だ。出来ることなら手伝ってほしいが…子供のお前に何かできる?」



 ナコちゃんはしばらく考え込んでいたが、突然前を向くとこう言った。



 「…後方での援助くらいなら、できるかもしれません。それが本当に可能なのだとすれば、私も同胞の仇を討ちたい。私を連れて行ってください。命を投げ売ってでも、必ずお役に立って見せますから。」



 彼女の眼は一つの迷いもないようだった。今後どんな過酷なことが待っているかもわからないのにもかかわらず、もしかすると命を落としかねないというのにもかかわらず、彼女はそれを理解してなお、仇を討つと言っているようだった。



 「こうまで言われては止めようにも止められんか。」



 そう言ってエレグラは微笑を浮かべる。それは呆れているようにも歓迎しているようにも見えた。



 「改めて、俺はエレグラだ。そう呼んでくれ。」


 「私のことは知ってると思うけど、今はもうまくらじゃなくて、ナミカっていう名前をエレグラからもらったんだ。ってことで私もよろしくね。」


 「はい。よろしくお願いしますね。エレグラさん、ナミカさん。」



 ナコちゃんは満面の笑みを浮かべた。…しかし子供の笑顔とはどうしてこんなにも尊いのだろうか。昔、裏の小屋のお兄さんが集落の子供をのぞき見しながら目の保養だのなんだの言っていた理由が分かった気がする。



 「えっと、捕食者…天虎の頭を討つってことは、やっぱりそれなりに仲間や武器が必要ですよね。」


 「ん?…そうだな。確かに必要になってくる。」


 「でしたら、なんとなく心当たりがあります。昔ノウダンさんの仕事の関係で連れて行ってもらった場所があります。他言厳禁と言われていた場所ですが…。ついてきてください。」



 ナコちゃんはそう言って小屋の照明のランタンを持って小屋を出て行った。私たちもそれに続く。


 小屋を出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。ランタンの明かりのおかげで近くにいるナコちゃんの姿は目視できるが、視界のほとんどは深い闇に包まれていた。いつの間にそんなに時間がたっていたのだろうか。ナコちゃんは小屋から出てきた私たちを確認すると、戸締りをして、集落の北の方へと進んでいった。


 どれくらいたっただろう。いまだにナコちゃんが振り返ることはない。周りは相変わらず闇に包まれており、ここがどこだか見当もつかない。ナコちゃんは足を止めず、ずっと歩き続けていたが、大きなうろのある大木の側に来ると突然立ち止まった。



 「…ここです。着きました。」


 「ここなのか?どう考えてもただの森の中なんだが。」



 エレグラはかなり警戒している様子だった。ふと彼の手元を見てみると、彼はその拳を強く握りしめているのが分かった。怪しいと思う気持ちはわかるが、そうやってすぐに人を疑ったり、相手を葬ろうとしたりするのは彼の悪い癖なのだと思う。このようなエレグラに変わり、私は冷静に対応する。



 「…それで、ここで何をすればいいの?」


 「はい。ここで合言葉を言うんです。確か、…さんかくのとろろをたべよ!」



 ナコちゃんは木のうろに向かって合言葉を唱えたが…反応がない。



 「あ、あれ?違ったかな。えっと…さんかくじゃなくてしかくだったかな。とろろをたべよっていうのもなんだかおかしいような。えっと、えっと…」


 「反逆の狼煙を揚げよだ。」



 ナコちゃんは合言葉を忘れてしまったようでしばらくその場であたふたしていた。私たちは呆れつつも温かい目で見守っていたがそこへ、一人の老年の男性が歩いてきた。



 「あ…、ノウダンさん!よかった、生きてたんですね。合言葉…そういえばそんなのでしたね。」



 この人が、ナコちゃんの言うノウダンさんという人らしい。そこそこ大柄な人なのだが、顔は優しそうな雰囲気がある。



 「まったく。まじめな子だと思ったら肝心なところでドジが出るよなお前は。集落のやつらは安心しても大丈夫だ。お前は聞いたかわからないが、一連の騒動の後、私が皆を先導して基地に避難させた。一人死者は出たが。」


 「そうだったんですね。大体のことはナミカさん…まくらさんに聞いてます。ラオさんのことは残念でした。」


 「なんだ知っていたか。…それで、まくらはやっと名前をもらえたのか?まくらでずっと定着していたものだから、だれも名前を付けようとしなかったもんなぁ。」



 そう言ってノウダンさんは高らかに笑う。私が知らない人でさえも私の存在を認知しているとは。いつの間にかすっかり有名人になっていたようだ。



 「はい、一応。ナミカっていいます。そこのエレグラにつけてもらったんです。」


 「エレグラです。集落の外でナミカと会って、行動を共にしています。」


 「そうか。よろしく。ところで、今こうしてナミカといるということは、もしや君も行く当てがないのではないか?」


 「まぁ、そんなところです。」


 「それならば君もここにいなさい。今日から君も家族だ。」



 ノウダンさんはそう言いつつも若干顔をしかめていた。直感的に彼のことを疑っているのだろうか。


 

 「ありがとうございます。」


 「それでは行こうか。反逆の狼煙を揚げよ。」



 ノウダンさんが木のうろに合言葉を唱えると、私たちの乗っている地面が丸くくりぬかれ、そのまま下へと下がっていった。確か、エレベーターというものだっただろうか。


 エレベーターに乗り、最下層まで下りていくと、この荒廃した世界では考えられないような化学と清潔さにあふれた世界が広がっていた。何層にも重なる吹き抜けのあるフロア、純白で傷一つない壁、所々植木鉢に植えられ飾られている生き生きとした緑色の植物。地上のような土臭さを感じない新鮮な空気。この世界にまだそんなものが残っているなど考えもしていなかった。想像を絶するほどの未来的な空間、ここで私たちを待ち受けるものは何なのだろうか。


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