第2話 反逆の小虎

 どれくらい走っただろうか。気が付けば私はどこかもわからない廃ビルが立ち並ぶ路地まで来ていた。周りを見渡してみると、捕食者はうまく巻けたようだったが、集落の人は誰も見当たらなかった。



 「どうしよう…ん?」



 私は行き場もなくし、辺りをさまよっていると、何やら人影が見える。恐る恐る近づいてみると、すぐにその正体はわかった。



 「トラの刺青…捕食者だ…」



 そこには大体私と同じくらいの歳の少年の捕食者がいた。私はすぐに出していた顔を引っ込めた。その捕食者は後ろを向いていてこちらに気付いてはない様子で、その向いている方向には被食者の子供がいた。うちの集落の者ではない、別の集落の女の子だ。しかし、この捕食者は少し変なのだ。目の前に餌があるのにもかかわらず、殺す気配も食う気配もない。もう一度覗いてみたが、やはり動きがない。顔は見えないがその顔はほかの捕食者のような恐ろしい表情ではないとわかった。目の前にいる少女も、心なしか安心した表情を浮かべている。



 「…ん?誰だ!?」



 長い間観察しすぎてしまった。少年はこちらを振り返り、その真っ黒い瞳でこちらをにらみつけてきた。



 「ごめんなさい。別に悪気があったわけじゃないの。」


 「…お前、謝るくらいだったら逃げた方がいいんじゃないか?この腕のトラが分かるだろ。俺はお前を食うぞ。」



 しかし少年はそういいながらも、こちらに明確な殺意を向けてくることはなかった。腰には一本の剣を挿していたがそれも飾りに見えてしまうようだった。



 「いいえ、あなたは私を食べたりしない。そうでしょう?あなたからは殺意を感じ取れないもの。」


 「それはお前が鈍感なだけだ。」


 「ちがう。」



 私は即答できた。 



 「私は今までの人生でたくさんの捕食者を見た。でもあなたみたいなのはいなかった。みんな眼に生気が宿っていなかった。あなたは…そう、まるで何かに抗ってるかのようだわ。現にあなたは、その被食者の子供を食べるどころか箸の一つもつけていないじゃない。」


 「…黙れ。…お前に何が分かる。こいつは生け捕りにしているだけだ。」



 私たちはしばらくにらみ合っていたが、ここでずっと口を閉ざしていた少女が口を開いた。



 「ちがうよ。そのお兄ちゃんは私を助けてくれたの。私が悪い捕食者に食べられそうになったところを、助けてくれたんだぁ。」


 「…何を言う小娘。俺は…!」


 「……?」



 少年は必死になって怒鳴っていたが、少女はそれを今まで私が見たことないくらいの純粋無垢なまなざしで見つめ返していた。それを見ると男も怒鳴れなくなったのか、下を向いて黙り込んでしまった。



 「…やっぱり、あなたは他の捕食者とは違うのね。」



 私がそういうと観念したのか、少年は真実を話し出した。



 「俺は…確かに捕食者だ。だが、本当は俺だって、人を食べたいわけじゃないんだ。…お前も知っているだろう。数百年前、カニバリズム思想を唱え、世界中でテロを起こしたカルト教団『天虎テンコ』の一件を。」


「…ええ。その天虎って組織が突然現れて人を食い始めたっていうやつでしょう?」


「実は、もともと天虎の思想は、人の血肉を食らうことで食われたものの魂を取り込み、より完全な魂へと進化できるというものだった。そして世界は、そんな天虎を鎮静化すべく戦っていた。…しかし、天虎の力は各国が思っていたよりもずっと強大なものだった。長引く戦いの中で、人類全体は自らの歴史を忘れ、天虎の教えも狂い、ただひたすらに人を食らい続けるだけの組織と化した。天虎以外の人類もあまりに恐ろしい天虎を前に戦うことを忘れ、次第に逃げに回っていくようになった。それが続いた結果、襲い掛かってくる天虎からおびえ逃げ惑うだけの存在と化した。これが今の捕食者と被食者…トラとコギツネの関係だ。」



私は信じられなかった。被食者が捕食者を倒そうとしていたなんて。私はこれまで、捕食者を化け物か何かだと思っていた。しかし本当は、



「…捕食者も、所詮は人間なんだね。」



盲目的になっていた私がこの事実に気付いた時、ようやくあの『クソガキ』の気持ちが理解できた。もしかするとあいつは、あいつだけは、捕食者を人間として見れていたのかもしれない。



「…ああ。そうだよ。同じ人間なんだから、こんな争いは早く終わらせてしまいたいものだ。」


「それはそうと、捕食者の人たちは被食者のことをコギツネって呼んでるのね。」


「肉塊という言い方もあるが?」


「…コギツネでいいわ。」


「だろうな。」



少年は薄く笑った。彼はその後、「この小娘を送ってくる。」とだけ言うと、腕の刺青を持っていた包帯で隠し、路地から出て行ってしまった。



「…やっぱりついて行ってみようかな。」



 そう思った私は、息をひそめそっと彼らの後を追った。


 彼らの後を追って着いたのはいたって普通の被食者の集落だった。やはり彼は信用していい人間なのだろう。集落の人は彼を特に警戒する様子もなく、少女も無事に自宅と思われる小屋へと返された。私は安心してその場を離れようとしたが、うしろをむいたところで突然彼に話しかけられた。



 「…お前…なんでついてきてんだ?」


 「え…?気付いてたの?」


 「ずっとな。」



 少年はだるそうなまなざしでこちらを見ていたが、どうも嫌悪感は抱いていないようだった。そして少年はこう切り出す。



 「どうせついてくるんなら協力しろ。ちょうど一人では限界を感じていたところだ。」



 普通ならば断わって当然のことなのだが、彼ならば信用できる。私は被食者という身ではあるが、この捕食者とならば協力関係を結ぶのもありではないか。初めて出会った時から直感的にそう思えていた。



 「それって、争いを終わらせるってやつ?…だったら協力してもいい。」




 「当然だ。では、よろしく頼むぞ。俺のことはエレグラと呼んでくれて構わない。」


 「私は…名前がない。適当にまくらって呼んで。」



 そういうと彼、エレグラはくすくすと笑いだした。



 「まくらって…お前は名前にこだわりはないのか?よし、俺がもうちょっとましな名前を付けてやろう。さすがの俺も哀れに感じる。」



 エレグラはその場に座り込み、落ちていた木の棒を使い何やらいろいろと地面の土がある部分に書き出した。しかし今までこの呼び名について深く考えたことはなかったが、…まくら…確かに何とも言えない微妙なネーミングセンスである。どうかこの少年のセンスはよくあってほしいものだ。



 「よし。これにしよう。」



 エレグラは初めて会った時では考えられないような自信と輝きに満ちた目で名前を高らかに叫ぼうとする。



 「お前の名は…」


 「待って、なんか嫌な予感がする。さっき何か地面に書いてたよね。それ見せて。」



 なんとなく嫌な予感がした私は、自信満々に名を叫ぼうとするエレグラを遮り、さっきまでエレグラが書いていたところの地面を確認してみた。そこには案の定、なかなかに酷いものがいくつも羅列されてあった。わずかな希望を胸に注意深く見ていくと、一つの名前に目がいった。



 「ん?この名前はまだいいじゃん。」


 「…それ、一番最初に省いたやつ。なんでそれがいいんだ。それ、こっち側の言葉で人畜無害なただの人って意味だぞ。」


 「それでもいいよ。私としては、捕食者の君から普通の人間だって思われてることがうれしいもの。それに響きも何となく良いし。」



 右上の端っこの方に『ナミカ』という名前が書いてあった。これは捕食者の言葉でただの人間を意味する言葉だとエレグラは言うが、私にとっては彼が普通の人間として私を扱ってくれていることがうれしかった。


 「そう言うんなら、まぁいい。よろしくな。ナミカ。」


 「うん。よろしく。」


 私たちは固く握手を交わし、互いに微笑みあった。この日、昼下がりの廃都市の景色は、いつも通りの寂しさの中にも、どこか温かい抱擁感がある気がした。こうして私たちは今、この数百年間でおそらく初めてとなるであろう、捕食者と被食者による異色の同盟を結んだのだった。

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