第29話 鈴木実咲という少女


「ずっとリッカの中から見てるだけやったから、ウチがここにいるのはなんか妙な気分やな」


 ムイカはそう言うと、居心地悪そうに後ろの壁にもたれ掛かった。

 続くように俺と鈴木も同じように壁にもたれかかる。 


 金曜日振りの部室は、いつもの部室なのに、いつもと違う光景だった。


 ――ありふれていた日常が、変わってしまった。


 そんな残酷な実感が刃物のように俺の胸を突き立てる。


 リッカはもういない。

 ……きっと、これからしばらく、こんな思いが続くのだろう。


 ――明日から、あの快活な「もっはろー」を聞く事はもう二度とないのだ。


 気づけば俺の頬には、一筋の雫が伝っていた。

 

「アンタ……泣いとるんか」

 

「……悪いかよ」


「長太郎くん……」


 ああダメだ。どうしても語気が荒くなる。

 

「すまん……。その、なんやリッカの事は……お気の毒様、言うたらええんかな」

 

「……同情だけはやめてくれ」

 

 きっと天業現象は終結し、全てはただ元の形へと戻った。ただ、それだけの話なのだ。


「……すまん。でも、これだけは言わせてほしい」


 ムイカは優しげな声色で言った。


「――リッカは本当にアンタのこと大好きやった。それにあの子は生まれたときからアンタが好きだったわけやない」


「そう、なのか……?」


「だって、全部が全部ノートの設定通りだったなら、リッカはアンタの事、目を覚ましたときから既に知ってるはずやろ? ……あの子は、自分を孤独と不安のドン底から救ってくれたからこそ、アンタの事が好きになったんや。……それだけは、忘れんといてほしい」




 ……一瞬でもムイカに敵意を持った俺が馬鹿だった。

 蓋を開けてみれば、リッカを一番理解していたのは、ムイカだったじゃないか。

 

「……ああ、忘れないよ」


 俺は、短く答えた。


「……ムイカ、あんたはリッカの事、どう思ってるんだ?」

 

 尋ねると、ムイカはやっぱり優しげな表情を浮かべた。


「……せやなぁ。あざといし、周りからチヤホヤされまくっとるし、

 なによりウチの身体乗っとるしでムカつくところもあったけど。寂しがったり悩んだり、やっぱり可愛らしいところもあって……まあ何や、手の掛かる妹、みたいな感覚かもしれへんな」


 ……俺は、ムイカの浮かべる優しげな表情の理由がようやくわかった。


 『鬱陶しいけど愛おしい』それはまさしく、家族に向けるような感情だったのだ。


「ムイカさんも、リッカちゃんのこと、大好きだったんですね」


 鼻をすすりながら尋ねる鈴木の目は、すでに赤く腫れていた。


「……ウチからしたらこの三ヶ月はあの子の成長を見守った三ヶ月でもあったわけやしな。そりゃ嫌でも情くらい湧くわ」


「そうなんですね……それを聞いてやっぱり私、ムイカさんと友達になりたいって思いました」


「……勝手にせえ、もうウチの負けや」


「本当ですか⁉︎」


「ええよ。……なあ狭間、聞いてもええか」

 

「なんだ」

 

「昨日、告白されたんはリッカからだけか?」


「どう言う意味だ?」

 

 その言い方じゃまるで、リッカ以外にも俺に告白しようするような変人がいるみたいじゃないか。


 ――俺は、自分でも無意識のうちに鈴木をちらりと見てしまった。


 ――彼女は、無言で頬を朱に染めていた。


 そういう、ことなのか?


「あー……そのなんというか、実はやな……」


「……ムイカさん、私から話しても、よろしいでしょうか」


 鈴木は気恥ずかしそうな様子で俺の前に立った。


「えっと……実は勉強会の日、夜寝る前にですね。リッカちゃんとその……『恋バナ』というものをしたんです。どんな異性が好みなのか、とか色々なことを話しました」


「もちろんリッカちゃんの好きな人は狭間くんでしたけど」と、鈴木はくすりと笑う。


「でも私、こういう話って全然したことなくて……自分が好きになるならどんな人かって、一生懸命考えてみたんです。例えば、私が変だったり抜けてたりしても面白がってくれ。……時には励ましてくれて。……何より、一緒にいるとすごく安心できる人。この三つが私なりの答えでした。……そしたらリッカちゃん、何て言ったと思います?」


「……何て、言ったんだ?」


「リッカちゃんったら、『じゃあ実咲ちゃんは恋のライバルだね』って言ったんです。そして押されるがまま、気づいたら『交流会が終わったらそれぞれ告白しよう』なんて話になっていました」


「リッカ、らしいな……」


「はい。……でもリッカちゃんがいなかったら『いつの間にか狭間くんのことを好きになってたんだ』って気づくことはなかったと思います」


 ――鈴木らしい、遠回しだけど真っ直ぐな告白だった。


「……思えば、狭間くんの隣にいるとよく顔が熱くなったり、脈拍が上がったりしてたんですけど、まさかそれが、恋だったなんて気づきませんでした……でもそうですね。


 あの時から気になり始めてたんですよ?

 」


 そうしてあどけなく微笑む鈴木を見た瞬間、冷え固まりかけていた俺の心臓が、バクン、と息を吹き返したのが分かった。


「……本当は、狭間くんにこの気持ちを伝えるつもりはありませんでした。なんたって狭間くんとリッカちゃんは両思いでしたから。……でも、リッカちゃんがいない今、リッカちゃんが気づかせてくれたこの気持ちを、狭間くんには知っておいてほしかったんです」


「……そう、か。ありがとな」


「はいっ!」


 すると、ムイカがおもむろに扉の方へと歩き出した。


「色々頭ん中整理したいし、ウチはもう帰らせてもらうわ」


 どうやら、彼女なりに俺たちに気を遣ってくれたらしかった。

 そして去り際、ムイカは言った。


「あの子は……リッカは、三人で付き合えたらって、本気で考えとったよ」


 なんつー事を言い残しやがる。

 そして閉じられた扉に向かって俺はぼやいた。


「だから、俺にそんな甲斐性はねーよ」


 それに、一人だって手に余る。

 

 ……けれど、俺は鈴木の思いを聞いてしまった。

 だから、返事を出さなければならない。


「鈴木、俺は――――」


 言いかけた途端。一粒流れて治まったはずの涙が、一粒、また一粒と流れ出しはじめた。

 あっという間に視界が滲んで、俺は前が見えなくなった。

  



「……狭間くん、もう、我慢しなくて大丈夫ですよ」




 鈴木は優しげな声色とともに、俺を抱きしめてくれた。

 

 押さえ込んでいたものが一気に溢れ出していく。

 

「うう……! ああ……! ああああっ……‼︎」


 リッカ……なんで、なんで消えちまったんだよ……!


 彼女の笑顔を、声を、仕草を思い出す度にとめどなく涙が溢れ出してくる。


 ――ああ、やっぱり俺は、どうしようもなくリッカが好きだったんだな。


「……狭間くん、返事はいつか、もしも気が向いたらでいいです。……だから……だから今は…………!」


 鈴木の声も再び、涙ぐんだものへと変わっていった。


「私……もっとリッカちゃんと一緒にいたかったです……!」


「俺も……。俺もだよ……!」

 

「リッカちゃん……!」


 ――俺たちはそうしてしばらくの間、抱きしめ合ったまま、涙を流し続けた。

 



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