第27話 約束の時

 ずっしりと重たく、それでいて少し錆びついた鉄の扉を押し退け、学校の屋上へと足を踏み入れる。

 フェンス越しにグラウンドを見下ろしていた六花は、俺がやってきた事に気づくと、こちらに振り向いた。


「長太郎くん、来てくれたんだ――なんて、なんかボクが初めて読んだ、あの台本みたいだね」


 朝倉の導き出した結論を聞いた翌日の朝。

 俺は、六花の正体を――真相を知りながらも約束通り屋上にやってきていた。


 ――告白の返事をするためではなく、六花に真実を話すために。

 

 途中、何度も逃げ出したいと思った。だが、そうしたところでいずれ六花にはバレてしまうだろう。


 ならば『解決策を探すためにもすぐに話すべきだ』と、自分自身に言い聞かせ、俺は今この屋上に立っていた。

 

「……屋上の鍵なんて、どうやって手に入れたんだ?」

 

 尋ねると六花は、胸ポケットから針金を取り出した。


「知ってる? この屋上の鍵って古くて単純な構造だから、簡単にピッキングできるんだよ?」

 

 ――もしも、中学生の俺が告白シーンを書いたとしたら、場所はきっと屋上を選ぶ。


 だからこそ、中学の俺が書いた設定に準じている六花はピッキングという無茶までしてこの場を用意したのだろう。


 だが、現実とフィクションは違う。

 ロクに手入れもされていない現実の屋上は、苔や砂埃で汚れ放題になっていて、告白の場には相応しくなかった。


「長太郎くん。それじゃあ聞かせてくれるかな、告白の返事――って、言いたいところなんだけどさ」


 六花が、何かを押し殺したような笑顔で言った。


「何か、あったんだよね」


 ……やっぱりだ、彼女に隠し事は通用しない。

 

「今の長太郎くん、怖い顔してる。……きっと、ボクの記憶のことで、何かあったんだよね」


 六花の読みは、恐ろしいほどに的確だった。

 そして俺は、すぐにその理由を知る事になる。



 

「……昨日の夜。いつもと違う夢を見たんだ」


 六花がいつもみる夢。

 それは、何もない真っ白な空間の中で、城に向かおうとするが決して辿り付くことはない。そんな夢だったはずだ。

 

「違う、夢……?」 


「……知らない教室で、智子ちゃんと真央ちゃんと三人で『ドリミーに行こう』って話をしてる夢。行く日はやっぱり六月五日、ボクの誕生日の日だった。……なんだかやけにリアルで、とても夢だとは思えなかったんだ」

 

 六花が、遥か遠くを見つめるように言う。


「あの夢はボクの妄想なんかじゃなくて、ボクの失った記憶だったのかな――ボクはやっぱり大阪に住んでいたのかな」


「六花、それは……」

     

「でもね、やっぱりわからないんだ。夢の中のボクと今のボクはあまりにも違う。話し方も、仕草も、性格も学力も身体能力も、何もかも違うんだ。――自分自身のはずなのに、全くの別人みたいだった」


 六花は俺の目を見つめ、ついにその問いを口にした。




「ねえ長太郎くん。ボクは一体どこからきたの――?」




 久城山で真相にたどり着いたその日の夜に、夢の内容が突然変わった。

 それはきっと、単なる偶然ではないのだろう。


 ――仕掛けのバレたドッキリを打ち切るかのように、“仕組まれた日々”が今、元に戻ろうとしていた。

 

「……六花、学生証の振り仮名の表記の件、あっただろ?」


『カザガミ ムイカ』。六花の学生証の振り仮名欄にはそう表記されていた。

 そして、六花はそれを『誤字』だと認識していた。

 

 記憶喪失で自分のことを覚えておらず、学生証以外に名前の書かれた書類を持たない六花がムイカという表記を誤字だと認識できたのは、ノートの設定に準じる彼女には、リッカという名前が刷り込まれていたからだ。


 思えば、俺たちはあの時疑問を抱いておくべきだったのだ。


 ――記憶喪失の彼女に限って『学生証に誤字がある』なんて偶然があるのだろうか、と。


 何か裏が……カラクリがあるのではないか、と。

 

「――あれは誤字なんかじゃなかった」


 そして俺は“リッカ”に告げる。


「大阪に住む女子高生、風賀美六花かざがみむいか。彼女こそが、君のその体の持ち主で――」


 俺はリッカに、画像加工で繋ぎ合わせ復元した一枚のイラストを渡した。

 

「リッカ。君は、大阪の高校生“ムイカ”に芽生えた『別の人格』だったんだ」


 ノート見た彼女は、表のイラストを見ては訝しみ、そして、裏面の紹介文を見て目を見開いた。


「そんな紙切れの上にしか存在しないはずだったりっかというキャラクターが今、何の因果かムイカの体に宿る事でここに立っている」


 そんなことを可能にした、不可解極まりない一連の現象を俺たちは――


 『天業現象てんごうげんしょう』と、そう呼ぶことにした。

 

 ◇


「――天業現象」

 

 闇に包まれた久城山の中、朝倉による種明かしが始まると、奴はそう言った。

 

「天業現象……?」

 

「ああ。今起きている不可解な現象の総称だ……といっても、今考えた造語だけどな。見えない絶対的な力……即ち、『天が起こす業によって引き起こされる現象』だから、天業現象だ」

  

 朝倉のことだ、単に言葉遊びがしたくて名前を付けたわけではないだろう。

 大方、名前が付いていた方が話を進めやすいとか、そんな理由のはずだ。

 

「……わかった。なら早く説明してくれ、その天業現象とやらを」

 

 朝倉は、「だな」と小さく言うと、その言葉通りにすぐさま話を始めた。


「結論から言おう。彼女の正体はおそらく、大阪府立中槻高校に在籍する女子生徒『風賀美六花むいか』の肉体に、ノートに描かれたキャラクター『風賀美六花りっか』の人格が芽生えた存在だ」


 ――俺は、朝倉が何を言っているのか、全くもって分からなかった。


「人格……だって……? 記憶喪失じゃ、なかったのか……?」


「……だから言っただろ、事はそう単純じゃないって。お前が理解できるまで何回だって説明してやる。だから今は黙って深呼吸をしろ」


 言われるがままに深呼吸をすると、ほんの少しだけ思考がクリアになった気がした。


「……順を追って話せ」  


「ああ。……まず、ノートが見つかった時お前が真っ先に口走った『リッカはノートから飛び出してきた存在』という説だが、俺は天業現象にそこまでの力はないと踏んだ」


「力……?」


「つまり、どれだけの規模の現象を引き起こせるかってことだ。例えば、同じオカルト現象でも、たかがラップ音とゾンビパニックじゃ規模が違うだろ?」


 ……言わんとすることは分かった。

 言うなれば、その現象を引き起こすのに必要なエネルギー量の差とでも言うべきものだろう。


「お前が風賀美と出会ってから起きた現象は大きく分けて『頭痛』、『記憶の削除』、『スローモーション』……それとお前が『呼ばれるような感覚』と呼んだ現象の計四種だな?」


「ああ、そのはずだ」


「これらには、ある種の『共通点』がある」


 そう言われ、俺も思考を巡らせる。

 そして「世界がスローモーションに見えるのは、脳の処理能力が一時的に加速しているからだ」という話を思い出した時、俺はあることに気づいた。


「全て、脳や意識に干渉するような事象ということか……?」


 朝倉はうなずくと、話を続けた。

 

「そうだ。そして逆に言えば、それ以上の『書類を書き換える』『無から人間を生み出す』といった、物質を変化させたり生み出したりすることはできないと考えた。……そして、その程度の力でノートに描かれた風賀美六花りっかというキャラクターを現実で再現しようとするとどうなるか」


「……それが、他県の高校生に別の人格を芽生えさせる、なんて話に繋がるということか?」


「ああ。……今から俺は悪趣味な例えをするぞ? 例えば、『まだ商品化されていないロボットのプラモを自分で作りたい。でも多少の改造はできても、ゼロから原型を作るのは無理だ』そんな時、お前ならどうする?」


「……まさか」


 俺は、朝倉が「悪趣味な例え」と称した理由を理解した。


「――『既に存在するプラモを改造して別のロボットにする』だろ? そしてこの時に重要なのは、『改造のベースとなるプラモは、作りたいロボットになるべく似た形のものを選ぶ』ということだ」


 六花りっか六花むいか

 何が似ているのかと問われれば、一目瞭然だろう。

 

「名前……か」


「そうだ。天業現象では戸籍の名前を書き換えることはできない。だから、この現実で風賀美六花りっかいうキャラクターを再現するためには、同姓同名であることは最優先事項だった」


 ここまで聞いて、俺にもようやく今回の一件の全体像が見えてきた気がした。


「だが、そんな珍しい名前の奴、世界中探したって二、三人いればいい方だろう。――それに、設定再現のためには、美少女である必要もあるわけだからな。そりゃあ素体――もとい、リッカを演じる『役者』を探す範囲も、千葉から大阪にまで広がるわけだ。……大方、催眠か何かで大阪から千葉に呼び寄せたんだろう」


「……そうして呼び寄せられた役者こそが、智子氏と真央氏の友人ムイカだった。そういうことか」


「そうだ。……だが、あくまでムイカは役者であって“本物”じゃない。だからこそ当然、設定を再現しきれない部分もあった。風賀美六花りっかと風賀美六花むいか。字面こそ同じだが、読み方までは一致させられなかったのが、その最たる例だな」


「じゃあ、ノートの設定だと俺が『演劇部』じゃなく、『帰宅部』ってことになってるのも、その影響か」


「ああ。きっとこのノートを書いた、当時中学生だったお前は、まさか自分が演劇部に入るなんて思ってもなかったんだろう?」


 朝倉の言う通り、俺が演劇部に入部することになったのは、偶然と成り行きの結果であり、その時まで俺は部活に入るつもりは毛頭なかった。


「他にも、再現しきれなかった設定はある。『天才的なまでに文武両道』って部分とかな」


「いや、それは十分再現できていただろう。反動で数日筋肉痛だったり、寝込むこともあったが……」


 だが、言いながら気付く。『頑張りの反動で寝込んでしまう』なんて目立つ特徴があるならノートに設定として書かない訳がない、と。


 ――逆に言えば、反動についての設定が書いてないならば、それは想定外のシワ寄せの結果であり、朝倉の言う、『設定を再現しきれなかった部分』なのではないか?


「お前の勘付いた通りだ。名前と容姿を最優先して選ばれた役者むいかが、そう都合よく文武両道なわけがない。……多分、天業現象の脳に働きかける効果で、脳のリミッターを解除することで天才的な運動能力と学力を強引に再現していたんだ」


「……そうだな。そんな無茶をすれば、体に反動がきてしまうのも頷ける」


 設定を再現しきれなかったシワ寄せというのなら、リッカがあそこまで胸を大きく見せることに固執していたのも、無意識のうちにイラストのビジュアルに寄せようとした結果だったのだろう。


 ……それだけじゃない。

 本当は、あの雪のような白髪だって染めた色のはずで、ブルーの瞳だってカラーコンタクトなのだろう。

 

「――以上が、リッカの正体が大阪の女子高生ムイカの体に芽生えた別の人格だと考えるに至った理由だ。理解は……したようだな」


 ――ああ。リッカの置かれている状況は大体わかった。

 だが、もっと根本的なことは聞けていないままだ。


「そもそも、なぜ天業現象は中学生の俺が書いたキャラクターを今更再現なんてしようとする……?」


 ムイカをリッカへと仕立て上げ、俺と引き合わせ、頭痛で行動をコントロールするなんて、手の掛かることまでして。


「……さあな」


 朝倉はためらいもせずに言った。


「ただ一つ言えることは、天業現象はお前が中学の時に思い描いた妄想を現実にしたってことだけだ」


「……俺はこんなこと、望んじゃいない」


 ……人の運命がめちゃくちゃになるような、こんな方法で。


「神が願いを叶えてくれるとして、それが必ずしも望んだ通りの形で叶えられるかのどうかは分からない。……そういうことなんだろうな。……なにせ神は神だ。本当の意味で人間の気持ちがわかるはずもない」


「……神なんて、いるわけないだろうが」


「納得いかないなら、こう言う言い方はどうだ?」


 そして、朝倉は言った。


「――狭間長太郎、お前はきっと運命に選ばれたんだ」


 ――命を運ぶと書いて運命。

 運ばれてきたのは、決して命を持つはずのなかった妄想の産物。


 だがそれは、人の身体を依代とした、不完全な命だった。

  

 不完全。それはきっと、とても儚いものだ。

 ムイカとしての意識が目覚めたその時、リッカはきっと―― 


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